【ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯3】ミャンマーの瞑想の歴史

2020年3月31日火曜日

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目次
・ミャンマー仏教の荒廃と復興 
・新しいヴィパッサナーの誕生 
・次々と開発された新しいスタイルのヴィパッサナー 


ミャンマー仏教の荒廃と復興 

ミャンマー仏教の中興の祖であり、近世の大聖者と言われるレディ・セヤドーことウ・ニャーノ長老(1846〜1923)は、多数の著作を残した事で知られる。

 この長老の本によれば、ミャンマーで伝統的に行われてきた瞑想法は、まずサマタで集中力をつけておいてから、いわゆるボディスキャンに入る、今で言うゴエンカ式スタイルのものだった事が判る。

 そしてこの長老の元からは、2人の傑出した弟子が出た。1人はウェブ・セヤドーと言い、この長老の門下からゴエンカ師の師匠であるウ・バキン師が出ている。もう1人はタトゥン・ミングン・ジェータワナ・セヤドーと言い、この長老の門下からはマハーシ式の創始者のマハーシ・セヤドーが出ている。だからゴエンカ式もマハーシ式もルーツをたどればこのレディ・セヤドーに行きつく事になるのだ。

 驚くのは今をときめくマハーシ式の祖、マハーシ・セヤドーが修行したのは実はゴエンカ式だったという事だ。意外や意外。そしてこのゴエンカ式こそがミャンマー仏教徒たちが大切にし、多くの聖者を輩出し、ミャンマーの仏教を栄え続けさせてきた由緒ある方法だったと言うわけだ。

 では何故マハーシ・セヤドーはそのゴエンカ式を捨てて新しい方法を立ち上げたのか?そこにはこういう理由があった。

 19世紀半ばから帝国主義時代のあおりを受けた仏教国ミャンマーは、20世紀半ばにかけての1世紀近くの間をイギリスや日本に植民地支配された事で、戦後の仏教界は大きな打撃を受ける事になる。解脱・悟りに達した仏教界の指導者がめっきりと少なくなってしまったのだ。戦後、焼け野原になった日本のように、ミャンマー仏教界もすっかり荒廃し、形骸化の危機に陥った。

 だが、そんな時に一人の大聖者が登場し、たちまちミャンマー仏教界を立て直してしまった。その聖者は何と、自ら速攻で悟れる瞑想法を開発し、次々と仏教の指導者たる人材を輩出したのだ。

 この大聖者が開発した方法こそが、従来のヴィパッサナーの常識を打ち破る画期的な方法だったわけであり、驚くような効果をもたらす方法だったわけだ。

 この驚異の瞑想法により、ミャンマーのヴィパッサナーは思いもよらぬ変貌を遂げる事になる。この聖者の登場はまさに「ヴィパッサナー革命」と言っても差し支えないほどのミャンマー仏教界の歴史を揺るがす重大な出来事となった


新しいヴィパッサナーの誕生 

この大聖者こそ、ミャンマー人の中で知らない人はいないほど有名な、スンルン・セヤドーこと、ウ・カヴィ・ミンジャイン長老であった。この長老は元々は無学文盲の農夫であったが、自ら開発した瞑想法で「無師独悟」し、たちまち戦後のミャンマー仏教復興の大立役者になったのだから驚かずにはいられない。

 この長老は何と、まずサマタで集中力を磨いておいて、ニミッタ(光)が見えるぐらいまで深く入ったところで、今度は足の痛みが生じたり滅したりしている様子を観察すると、痛みが瞬間瞬間生滅している様子が見えてきて、容易に痛みと一体化出来るというノーベル賞級の大発見をした。いわば速成ジャーナ達成法を発見してしまったのだ。

 いや、この事は長老が自ら発見したという説と、元々伝承されていたものを長老が完成させたという説と2つあるので、必ずしも長老の大発見ではないのかもしれないが、とにかくその方法を実用化するのに成功した事は、ミャンマー仏教史に燦然と輝く偉大な功績である事には違いない。

 だが、「サマタでニミッタが見えるところまで集中する(近行定)と一言で言っても、それが簡単に出来るものなら誰も苦労しない」誰もがそう思う。しかし何とこの長老、激しい呼吸法を使う事で深く集中する事を容易にさせる方法までをもあみ出してしまったのだから、もう驚きを超えて、スーパー聖者か救世主と賞賛するしかない。

 こうしてスンルン・セヤドーは、次々とジャーナ入りして解脱・悟りに至る人材を育成し、荒廃したミャンマー仏教界に衝撃を与えた。それまで伝統的なヴィパッサナーしか知らなかった人たちは、この型破りな瞑想法に驚き、それとともにまた深い感動をも覚えたのだ。ヴィパッサナーでありながらジャーナ入りを目指す瞑想、そしてそれは驚異の効果をもたらすという事で、ミャンマーのヴィパッサナーはこの長老の出現を機に、大きく変わっていく事になる。


次々と開発された新しいスタイルのヴィパッサナー  

「サマタでジャーナを目指せばそれはヒンドゥー教のやり方だが、ヴィパッサナーで目指すならそれはブッダの教えと矛盾しない」

 そんなかんじでミャンマーの仏教徒たちは、それまで禁じられていたものが解禁されたかのように一気にジャーナ獲得に向かって走り出した。そしてそれは何も一般修行者に限った事ばかりではなく、指導者クラスの長老たちですら、スンルン・セヤドーの大発見には感動せずにはいられなかった。そしてその大発見を自らの指導する瞑想法に取り入れる指導者も出て来た。

 まず最初にそれをやったのが、モゴ・セヤドーこと、ウ・ウィマラ長老だった。長老は伝統式を学んだ人だったが、その方法にスンルン式をミックスしたのだ。伝統式は瞑想中の対象である雑念や痛み、痒みといった身体感覚を観察する時、概念を外してありのままに観ようとする。しかし長老はタブーを破り、対象を観る時に全てを「生・滅」と概念的に観るように指導した。「智慧を開発するのではなく、ジャーナを目指すのだからそれでいいのだ」と。

 更に伝統式は対象を観察するのに、特定の対象を順番に観察していく(ボディスキャン)のだが、この長老は「フリーフォーカス」と言われる、対象を心に選ばせて、心が行った先々を観察する方法を取り入れた。つまりその方が心が足の痛みに向かいやすいからである。また、歩行瞑想を取り入れたのもここが最初だった。

 しかもこの長老は、集中力を磨くのにサマタは使わず、仏教理論を学ぶことで心を安定させる方法を取った。その斬新な発想は「スンルン式ような激しく苦しい事をしなくてもジャーナ入り出来る」という事で民衆から大きな支持を得る事となる。そしてこの方法はそのまま現在に至るまで、ミャンマーでは一番ポピュラーな方法となっている。

 更にこのモゴ式に続いてそれをやったのは、マハーシ・セヤドーこと、ウ・ソバナ長老だった。この長老もまた伝統式を学んだ人であり、この長老の場合は雑念や身体感覚はありのままに観察し、足の痛みだけを「生・滅」と概念的に観察する変則的な方法をとった。いや失礼、正確には味覚もそのように観察する。

 これは気づきの智慧とジャーナとを両方獲得しようとする大胆な試みだった。観察はモゴ式と同じようにフリーフォーカスで行われ、歩行瞑想も取り入れた。更に人々を脅かせたのは「ラベリング」という、観察している事を言葉で念じる方法を開発した事だった。これによって心を対象に釘付けに出来るので、足の痛みとの一体化をいっそう容易にした。

 そしてまた、更に斬新な方法を持って出て来たのは、在家出身のテーイングー・セヤドーだった。この長老はスンルン式をいっそう過激にし、足の痛みをじっくりと観察するために、一回の座る瞑想の時間を5時間、更には9時間に設定した。この常識外れの長時間の観察は、修行者から思考を奪い取リ、ジャーナ入りする人の数を増加させる事に成功した。

 この、モゴ式とマハーシ式とテーイングー式と元祖のスンルン式の4派が、それまでの常識を打ち破った大胆な瞑想法を開発したグループであり、彼らの試みはまさにヴィパッサナー革命とも呼べるもので、この4派の新しいヴィパッサナーによって次々と聖者を生み出した戦後のミャンマー仏教界は、戦後の日本経済のように信じられないほどの復興と急成長を遂げ、修行者の数を大幅に増加させ、その勢いは国内にとどまらず、終には隣国、仏教圏、そして世界に進出していくまでになったのであった。



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  最終更新日 2023.12.31

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