【ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯2】2種類ある仏教の瞑想

2020年3月31日火曜日

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ジャーナを目指すサマタ瞑想 

「自分と念仏とが別物だと思っているうちはまだ悟っておらん、念仏が念仏を申すのじゃ」(一遍上人)

 これこそが今言った対象との一体化の境地を語ったものだ。この対象との一体化の事を日本では禅定と言う。パーリ語ではジャーナと言う。一遍上人は念仏を唱えてそのジャーナに入ったわけだが、他にも禅には公案を「厶ー」と唸って入ったり、丹田に集中して入ったりする方法がある。

 気合を込めて対象と一体化しようとするなんていかにも日本人らしい発想だと思わざるを得ないのだが、テーラワーダ仏教には鼻腔の感覚一点に集中してジャーナ入りしたり、チベットにはマントラを唱えたり曼陀羅やら何やらを凝視したりしてジャーナ入りする方法がある。その方法を数え上げたらキリがないが、このようにして対象に集中没頭する事でジャーナを達成しようとする瞑想法を「サマタ瞑想」と呼んでいる。自分の外部のものと一体化しようとする事が多い。これがまず仏教にあるひとつの方法だと覚えておいていただきたい。

 そしてもうひとつある。


ジャーナを目指さないヴィパッサナー瞑想

「身体によって身体を見つめる。すると身体しかないという気づきが明らかになる………」

「感受によって感受を見つめる。すると感受しかないという気づきが明らかになる……」

「心によって心を見つめる。すると心しかないという気づきが明らかになる………」

   (大念住経より抜粋)




 別に対象と一体化するのに、何も集中力を磨く必要はない。「自分」というものの正体を見極めてしまえばそれでいい。対象を見ても自他分別する事なく「自分」というものを感じなければ対象だけがそこにある。だからジャーナというものを獲得するのに別に力んで目指す必要がない。

 主体のない状態なんて気づいてないだけで、すぐ目と鼻の先にある。ただその事に気づくだけだ。だからする事と言えば、ひたすら心身の現象をありのままに観察し、気づきの智慧を開発するだけ。「自分」と言うものは何か?「自分」は何処から来て何処ヘ行くのか?と言う事を徹底的に……いや、この場合テッテ的と言うのが正しい文法だが、探究し、「自分」なる感覚の生じ方を解明して、「私がいる」という幻想から脱却する、サマタとはちょっと違った観察の瞑想法、これを「ヴィパッサナー」と呼んでいる。

 ブッダ直伝の瞑想テキストと言われる「大念住経」(マハーサティパッターナ・スッタ)にあるのはこのヴィパッサナーの方法であり、これがブッダのオススメの方法でもある。ブッダの時代にはヒンドゥー教(バラモン教)の行者たちが沢山いて、誰もがサマタでジャーナを目指していたという。だからブッダはそのような行者たちにはジャーナの入り方を教えていたが、新しく瞑想を始める人にはヴィパッサナーを教えていたと伝えられている。そのため、保守的な仏教徒の中には「サマタでジャーナを目指すのはヒンドゥー教のやり方、気づきの智慧を開発して悟るのが仏教のやり方」と思っている人が多い。

 では、どうしてブッダはヴィパッサナーの方を教えたのか?それは色々言われているが筆者が思うのは、ブッダは瞑想する事で精神的に成長出来る道を説いたのではないか?という事だ。つまりサマタでいくら集中力を磨いても心が成熟する事はないが、ヴィパッサナーで自分をじっくり観察すれば、自分の愚かさが見えて来て、自分の事を偉いなどとは思えなくなるし、後で胸が痛くなるような言動もとりたくなくなるものだ。だから、ヴィパッサナーをすると「自分を知れ」というブッダからのメッセージが聞こえて来るような気がする。

 そして、たとえサマタでジャーナを達成しても、それだけでは不十分であり、その後悟りに達するためには、やはりヴィパッサナーで自らを見つめなければならない。だからヴィパッサナーはサマタを修行する人にも不可欠なものである事がわかる。と、いう事で仏教で修行するのは、このサマタとヴィパッサナー、止と観の2種類の瞑想がある事をお判りいただけただろうか?
  
 それはいいとして、戦後になってこのヴィパッサナー、ミャンマーで「ヴィパッサナー革命」とも言うべき出来事が起こり、ちょっとブッダの時代のヴィパッサナーとは様相が変わってきている。それはどういう事か?またその事について少し触れてみたい。


2種類に分かれたヴィパッサナー瞑想 

ヴィパッサナーを修行するひとつの方法に、マハーシ式というスタイルのものがある。日本にも伝わっているのでご存知の方も多いはずだ。このマハーシ式のテキストを読むと大概「ジャーナの4段階」についての説明が書かれてある。また、この方法の指導者たちは、法話で頻繁に「ジャーナ」という言葉を用いる。

 ミャンマー仏教に詳しい仏教学者の魚川祐司氏は、初めてその法話を聞いた時に耳を疑ったという。なぜならヴィパッサナーとはジャーナを目指さない瞑想法のはずだからだ。これは一体どういう事なのか?

 と、いうとこれにはまた深い理由がある。戦後のミャンマーでは「ヴィパッサナー革命」とも言うべき一大改革運動が起こり、それまでの常識を破ってヴィパッサナーでもサマタ同様に、集中力を磨いて対象に没頭する方法が人々から圧倒的な支持を得るようになったからだ。そして現在ではミャンマー仏教徒の8割程がこのジャーナを目指すタイプのヴィパッサナーで修行するようになっている。

 筆者はこのヴィパッサナーでジャーナを目指す修行もした事があるが、ミャンマーで主戦場としていたのは、主に集中力を使わない純粋なヴィパッサナーのシュエウーミン瞑想センターだったので、ジャーナ達成のために奔走する修行者たちを見ては、同じヴィパッサナーの修行とは思えず、違和感を覚えたりしていた。

 彼らは「対象を外に取る事なく、一体化しても心が外に出なければ、それはヴィパッサナーだ」と言っていた。そこには「一体化する対象はあくまでも身体感覚でありサマタのジャーナとは性質が違うのだから、集中没頭型の瞑想であってもこれはヴィパッサナーだ」という考え方があったのだ。

 そのためミャンマーの人々は今では「ヴィパッサナー」と言うと「ジャーナを目指すもの」という固定観念を持っていたりする。だからシュエウーミンの方ではその集中没頭型ヴィパッサナー瞑想とは一線を画すために、敢えて自らの方法にヴィパッサナーという言葉を使う事を控え、代わりに「マインドフルネス瞑想」(パーリ語でサティパッターナ)と呼んだりしていた。

 ちなみにこのマインドフルネス瞑想では、外のものとも内のものとも一体化する。ここでは心が行くまま自然のまま、行く先々のものと次々に一体化していく。「外の世界だって大切なんです。どうして内と外を五分五分の割合で見ようとしませんか?」(ウ・テジャニヤ長老)

 だからこのミャンマーでは、ヴィパッサナーは戦後「集中没頭型ヴィパッサナー瞑想」と、集中力を使わない観察だけの「マインドフルネス瞑想」とに分裂してしまった事になる。ではそのヴィパッサナー革命とは一体どういう事なのか?それにはまずミャンマーの瞑想の歴史について説明しなければならない。次にその事について触れていこう。




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  最終更新日 2023.12.31

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