チェコ人比丘が独立した理由
ミャンマーの地で、外国人による外国人のための瞑想センターを設立しようとするチェコ人のウ・サラナ比丘であったが、様々な困難が立ちはだかり、前途多難のスタートとなった事は前回までにお伝えした。
今回は、では何故彼はそこまでして自分の瞑想センターを建てたいのか?
という理由についてお伝えしたい。
現在ウ・サラナ比丘のサカンジー瞑想センターには修行者が、イタリア人男性、日本人男性、日本人女性、ポーランド人女性の4人滞在しているという。彼らは最初はヤンゴン郊外の空き寺を修行道場としていたが、賃貸契約上の問題で所有者と折り合いがつかず、僅か数か月でそこを後にした。
そして次に道場としたのがその隣村にある別の寺で、現在そこの寺の一角を借りてこの5人が住み、瞑想修行をしているのだという。
普通は独立して自分の瞑想センターを持つ場合は、自分の修行した流儀というものがあるから、マハーシやらパオやらの支部道場としてスタートする事になる。だからそのように場所を転々とするような事にはならない。
瞑想センターを開設した土地のマハーシ信者やらパオ信者やらが「近くに支部が出来て助かる」と言って寄って来て、直ぐサポートしてくれる事になるからだ。
では何故ウ・サラナ比丘の瞑想センターはそうならないかと言ったら、彼は何処の流派にも属していないからだ。彼は元々はヤンゴンにある、国際テーラワーダ仏教大学の留学生として仏教学と瞑想とを学んでいた。そして在学中に行・学の両方を修め、卒業後は教員となって教える側に回っていた。
教員時代のウ・サラナ比丘
では何故、彼は大学の教員というポジションを捨てて、そのようなインディペンデント系の瞑想団体を立ち上げて苦労しているのだろう?
一体彼は何を目論んでいるのだろう?
そんな疑問もあるので、今現在、放浪中の団体(サラナ比丘の団体)、サカンジー瞑想センターで修行している日本人修行者のS氏にウ・サラナ比丘の現状をレポートして貰った。
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S氏のレポート
今朝から、3時から、瞑想、チャンティング、インタビューという気が狂いそうなスケジュールになりました。
僕の気分は、最悪でしたが、良い知識を得ました。
ジャーナに限らず、ブッダの指導方法、大きく言えば思想は、500年位しか受け継がれず、その後、1500~1700年は、当時のグランドマスターたちが、間違った認識などにより、次々アップデートを繰り返した。それにより、真のブッダメソッドは消滅した。
そして、それに気づいた一部の坊さんや学者たちが回復、復興運動=原理主義運動をしているそうです。
Uサラナもその一端ですね。
今後、ダンマを勉強するに当たり、良い知識です。
将来、涅槃に至るプロセス メカニズムでも研究するようになったら、多少は、はっきりするかもしれません。
彼が、5th, 8th ジャーナで、サイキックが現れる。
そしてニルヴァーナに至るとき、何々とサイキックを使うと言っていました。
彼は、ウンザリするほど、物事に厳格なところがあり、ましてや、ダンマに関しては、徹底していると思います。
話は変わりますが、今回、ここに来て、原点回帰運動という潮流があることを知れたのは極めてラッキーでした。
今後も修行を続けるにあたり、ブッダの正統な教えは、自分にとっても興味があります。
部屋で講義するサラナ比丘
瞑想法について
最初は、メッタ。
キモは、デタミネーション。座るor歩く、1時間、動かない、願うみたいな。
1、好きな人を5人
コネクトしたら、リサイトを止め、対象の幸福と平和とを願う。
2、好きでも嫌いでもない人を5人
3、嫌いな人を5人。
詳細は不明ですが、上記15人をクリアしたら、ヴィパッサナーに変わる。
アクセスコンセントレーションとジャーナの違いや、その達成度合いの強弱は、ヨギのポテンシャルによって問わない。要求するレベルが変わる感じ。
だから、パオと違って、誰でもやる気が伴えば、ヴィパッサナーに移行できる
ヴィパッサナーの第一段階は、アスバ=ボディ メディテーション。身体が汚い。危険などの認識する。3相=無常苦無我の認識。
今は、骨と繋がっている筋肉の現象、認識により、ナーマ、ルーパは違うんだよの理解だと思います。
そして次は、身体の現象が感受や煩悩へのトランスフォームの観察による因果の理解でしょう? たぶん。
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(以上S氏のレポート)
何と、ウ・サラナ比丘がやろうとしている事は、仏教の復興運動だったのだ。だから彼は仏教の原点回帰を目指して大学の教員を辞め、自身の瞑想センターを率いて放浪するようなハメに陥っていた訳だ。
確かにそのような少数派の立場では、中々サポーターも集まらないというもの。しかしそんな逆境にも負けずに力説する彼の主張とは一体どういうものなのだろう?
ウ・サラナ比丘の主張
従来の仏教では、瞑想でジャーナ(対象との一体化)を4〜5段階に分けていて、それを達成したら、今度はヴィパッサナー瞑想での観察に移らなければ悟れないという話になっている。
だがウ・サラナ比丘はこのジャーナは更にもっと上のものがあると言う。「第5ジャーナ(禅定)まで行くと超能力が出てきて更にジャーナを深め、第8ジャーナまで達したら更に超能力を使ってニッバーナ(涅槃)に至るのが、ブッダ直伝のやり方だ」と言うのだ。
そしてこれは彼だけではなく今、スリランカやミャンマーのごく一部で言われている事でもあるという。私はこの話は今回初めて聞いたし、本当なのかどうかは判らない。しかしS氏は面白いと言って、大変興味を持っているようだ。ウ・サラナ比丘の事だ、彼は2年ほどスリランカで研究をしてきている訳だが、その間、膨大な資料を集めてきた事は想像に難くない。
私にはこの復興運動の方は初耳だったが、実はこれとは別の原点回帰、復興運動ならば知っている。それも何とした事か!そこはこのウ・サラナ比丘が言っている事とは180度違う主張をしている。まるで右翼と左翼ぐらい違う復興運動が、やはりスリランカから起ってきているのだ。
これについてはまた次の機会に詳しく触れる事にするが、簡単に説明させて貰うと、こちらの原点回帰運動の方はマインドフルネス至上主義というものだ。ブッダはジャーナを説いていないと主張する。
もうひとつの原点回帰運動の概要
『ブッダは法話だけで多くの人を悟らせる事が出来たが、それは彼が阿羅漢(アラハット)という、最高の悟りに達した人だったから出来た事。阿羅漢になるとそれが出来る。しかしジャーナを使って悟ると阿羅漢に達する事は出来ない。
パーリ教典成立以来、阿羅漢が誕生しなくなったのは、経典作成者であるブッダゴーサがヒンドゥー教のバラモンで、仏教にジャーナを持ち込んだ事による。現在使用されているパーリ語テキスト、清浄道論などは全てヒンドゥー教の香りが漂うもの。
「アビダンマッタサンガッタハ」の作者のアヌルッダ長老も同様にヒンドゥー教徒。彼らの言う事を本気にしていては、阿羅漢にはなれない。真の阿羅漢は、法話だけで素質のある者を悟りに導く。そしてそれが出来る真の阿羅漢だけが、ブッダの教えを継承出来る。』
と、いう事でこちらの方は、ジャーナを使う瞑想法はブッダの教えに反するという「ジャーナ瞑想非仏説論」を展開している。いきなり凄い事を言い出すが、実は私が指導を受けている指導者の一人(スリランカ比丘)もその運動をしていて、彼はその運動を率いる阿羅漢の直弟子でもあり、阿羅漢の法話を聞いただけで修行も何もせずに預流果に達したという人だ。
彼らが根拠としているのは、パーリ語テキスト成立以前に伝えられていた「マガダ語」というブッダが使っていた言葉によるテキストだ。これは石板に刻まれて、古い遺跡の地下に遺されていたのが発見されたのだという。そしてジャーナ抜きのマインドフルネス瞑想だけで悟り、他人に法話しただけで悟らせる能力を持つ阿羅漢が、生き証人として教えを説く。
私にはこの2つの原点回帰運動の、どちらが正しいのかはサッパリ判らない。
ただ、その阿羅漢の弟子の方はシュエウーミン瞑想センターの住職とも知り合いで、毎年シュエウーミンを訪れるが、一言瞑想体験を報告すれば、こちらのレベルを正確に見抜いてしまうほどの鋭い人で、ついつい彼の言う事を本気にしたくなってしまう。
何ともミステリアスな匂いがするが、そのマガダ語テキスト派についても情報が揃ったら、いずれこの場を借りて詳しくお知らせしたいと思っている。
しかし正直な気持ち「復興運動ってそんなに幾つもあったものなのか?」「そんな事をやられても困るから、ひとつにしてくれないか?」と思うのだが、何度も言うように、この両者は言ってる事が全然正反対なのだからそれは不可能だ。これは一体どうしたらいいのか?