【特別企画】スパーナチュラルパワー所持者を探し出せ!ヤテーとはなんだ!

2020年12月31日木曜日

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ヤテー(土着宗教の修験者)のスーパーナチュラル(超自然力)に触れるミッション


高原の町カロー 


カロー近郊の自然の風景


 ミャンマーの中央部から東のタイ国境方面にかけて、標高1500メートル以上の高原地帯、シャン高原が広がっている。

「シャン」とはシャム、つまりタイの古称だ。その名の通りこの地はタイ系の住民が多い。かつてはシャン王朝というタイ系の民族が支配し、タイのアユタヤ王朝と盛んに交流していた、タイ文化の色濃い土地でもある。

このシャン高原に「カロー」という、シャン文化への入口とも言える様相を呈した町がある。1500メートルの丘を登るとそれまで見てきたミャンマーの風景とは明らかに異質な、別世界のような街並みが広がっているのだ。

道行く人々を見ても、インド系、ネパール系、トルコ系、中国系などの外国からの移住者や、中国雲南省系の少数民族、タイ・ラオス系の山岳民族など、ミャンマー人とはちょっと違った顔立ち、民族衣装、言葉、宗教を持っている人々が目立つ。

そんな多種多様な民族と文化とが出会う町カロー。


観光の町として栄え、国内外の観光客でいつでも賑わい、ホテルなどの観光業者も中央から多数進出してきて繁栄し、ミャンマーの中では裕福な人々が多く住む土地でもある。

筆者にとってもカローはお気に入りの街の一つであり、ここを拠点にしては時々あちこちの瞑想センターに顔を出すというスタイルをとっている。




カローの街からヤテー探しがスタートした




ミャンマーの中の異文化地帯 


 また、このシャン高原は、ミャンマーの中においても異文化の世界となっているせいか、瞑想法も下界、いや、ミャンマーの平野部とはちょっと違っている。

例えばこの町にあるマハーシ瞑想センターは、通常のマハーシ式のやり方とはちよっと違った方法を教えている。

お腹の膨らみ縮みをラベリングしながら観察する所までは同じなのだが、頭に雑念が浮かんでも「考えてる、考えてる」などという事はしない。ずっとお腹の膨らみ縮みに集中している。

そして集中力がついてニミッタが見えてきたら、身体感覚の観察に移る。その観察の仕方は生滅に没頭するというもの。まるでサマタだ。

集中するポイントを鼻先からお腹に変えただけでパオ・メソッドみたいだ。勿論普通のマハーシ式でやりたいという場合は、それでやっても構わない。

ついでに言えばこのカローから車で1時間ほど行った所にある「ヘーホー」という町のパオ瞑想センターは、このカローのマハーシ瞑想センターとは対照的に、サマタをやらない事で有名だ。

パオのくせにヴィパッサナー瞑想専門の瞑想センターになっている。

だからここにはヴィパッサナーを修行したい外人たちが大勢集まっている。今、現在でも80人以上いるという。

ここへパオの修行をやるつもりで行っても、いきなりヴィパッサナーをやらされる事になるから、その辺りの事情を頭に入れておかないと混乱してしまうので気をつけて頂きたい。

こんな感じでシャン高原では、パオ瞑想センターとマハーシ瞑想センターとが、入れ替わったようになっているのを始めとして、通常のミャンマーの常識とは違った事が当然のように行われている。



ミャンマーの土着宗教 


 ミャンマーは人口の大部分を仏教徒が占めている国だ。仏教は他の宗教のような「排他的一神教」ではない。だから仏教徒たちはもうひとつ、ミャンマーに仏教が伝来する前からある土着宗教の事も大事にしている。

ミャンマーでは「ナッ」という37種類いると言われる精霊信仰も、伝統的に行われているのだ。

都市部に行けば年に一度は「ナッ」を祀るための儀式があり、霊媒役の女性が自身にナッの霊を憑依させ、広場の大観衆の前で鐘と太鼓の音に合わせて激しく踊る。

人々はそれにお札を投げて、家庭円満、交通安全などを祈願する。ミャンマーの伝統的な祭りの光景のひとつでもある。

その土着宗教だが、このシャン高原に来ると、当然の如く様子が変わる。こちらの方では何と!都市部の形骸化されたナッ崇拝ではなく、生きたナッ崇拝というものがあるのだ。






この山の頂上にはパゴダという仏塔が建てられている。黄金に輝く円錐状の物体がそうだ。

そしてここの祠には、隠遁の行者と呼ばれる土着宗教の修行者が住んでいるという。隠者はミャンマー語で「ヤテー」だ。

私はある日、このヤテーを訪ねた。なぜなら私はこのヤテーに関して面白い話を聞いたからだ。



仏教とは別スタイルの修行者 


 「ヤテーとは、瞑想をしてナッとコンタクトをとり、メッセージを受け取り、そのメッセージを一般の人々に伝える役割を果たしている」

2019年の11月、半年ほど続いた雨季も終わり、この四方を山に囲まれた山岳地帯にもようやく青空が広がり始めた頃の事だ。山頂にキラキラ輝くパゴダを指差して「おー光ってるよ」と喜ぶ私にミャンマー人の友人がポツリと呟いた。

「あそこにヤテーが住んでいるんだが、凄い能力を持っているんだ。町に住む15歳の息子を持つ女性が、ある日息子と喧嘩してしまった。そしたら息子は怒って家出して帰って来なくなったんだ。

1週間経っても10日経って帰って来ないし、何処へ行ったか全然手がかりもない。仕方ないからその女性は、あそこのヤテーの所へ行って尋ねた。

『息子の居場所は判りませんか?』と。そしたらヤテーは瞑想に入ってナッとコンタクトを取り、アドバイスを仰いだ。するとナッはヤテーを通して『○○村の△△という寺に行ってみなさい』と応えたという。

女性がその言葉に従ってその寺を訪れてみると、何と!息子が一時出家して修行しているではないか!そして女性は息子と仲直りして、家に連れ戻して来た。たいしたものだよねヤテーの能力というものは」と。

「何?ヤテー?ヤテーってそういう人だったの?」それを聞いた私は驚いた。なぜなら私はそれまで土着信仰の人々の事を時代遅れのアニミズムの崇拝者のように思っていたからだ。

「それってチャネリングの瞑想じゃないの?ミャンマーには仏教の瞑想だけでなく、チャネリングの瞑想もあったの?」そしてその友人の話を聞いた私は、ふとそんな事を思った。

「そしたらそのナッという存在は、もしかして宇宙人か?ミャンマー人は仏教と共に宇宙人からのメッセージも参考にしながら生きてるのか?」そしてそんな感じでついつい考えを巡らせてしまった。

そんな事をやっていたら俄然そのミャンマーの土着宗教に興味が湧いてきてしまったではないか。



仏教経典内のUFO 


 これは、ある坊さんから聞いた話で、自分で実際に確かめた訳ではないが、仏教の経典の中には、ある国の国王と国民全員3000人ほどが、巨大なUFOに乗って他の惑星に移住したと思えるエピソードも記載されているのだと言う。だから仏教では決して宇宙人の存在を否定したりはしない。

何はともあれ私はそのヤテーなる人物に会ってみたくなって早速そのパゴダのある山へ登ってみる事にした。

ヤテーはこの山の頂上に住んでいるらしい。







「チャネリングをやる人々をいうのは、よくアセンションとか次元上昇という話をするのだが、ミャンマーのヤテーも同じような事を考えているのだろうか?」

「するとそのヤテーも陰謀論で物事を考えたりするのだろうか?」

険しい山道を登りながらそんな事を考えていたら、胸がワクワクしてきて足どりも軽くなった。60度ぐらいの斜面も全く苦にならない。そしてヤテーに会ったら聞いてみたい事がある。

「私は瞑想修行をして一体悟れるものなのか?」

そんな感じで、まるで大ヒット映画でも観に行く時のような心境で、期待に胸を膨らませながら息を弾ませ、ひたすら坂道をかけ登った。







山頂についた。麓からかかった時間は僅かに15分。

辺りは枯れ葉まみれなのに、パゴダの周囲だけは綺麗だ。これは誰かがここに来て掃いた痕跡だ。確かにこんな所まで誰かが来ていたのだ。





「ヤテーさん」仏像の置いてある場所を見つけ声をかけてみた。だが、残念な事に、祠というのか、そんな唯一寝泊まり出来そうな場所はもぬけの殻で誰もいない。

閑散とした部屋の中で、私の声だけが虚しく響いた。

確かに祠の中は掃除した形跡がある。つい最近まで確かにヤテーはここにいたのだ。

だが今は何処かへ行ってしまっていない。何処へ行ったかは判らない。

何という事だ。せっかくここまで来たものの、私はヤテーには会えなかったではないか。






「たぶんヤテーは雨季が終わって場所を移ったんだよ。ほら、あそこは電気も水道も通ってないだろ。雨季の間は雨どいから出てくる水を溜めて、それを生活用水に使えばいいけど、乾季になったらそれが出来ないから水を求めて小川のある場所に行ったんだと思うよ」

落胆しながら麓まで戻った私に、友人はそのように言った。

また彼は更に諦めるなとばかりに「ヤテーならこの辺りには何人もいて、よくファーマーズマーケット(農作物の市)で寄付を集めてるのを見かけるよ。その時に話しかけてみたらどうだ?」と続けた。






ヤテーはこのような赤っぽい服を着て、布製や毛糸で編んだりしたトンガリ帽子を被っているという。時々町まで降りてきて、人々の相談に乗ったり、寄付を貰ったりしていくらしい。

そう言えば確かに市の日にトンガリ帽子を被った人を見た事がある。坊さんの袈裟みたいな色の衣装を着けて、竹の籠を肩に掛けて人々から何か貰っていたが、あれがヤテーだったのか。

男性だけじゃなくて女性もいた。今度見かけたら、是非話し掛けてみたい。






ミャンマーでは、ブッダを崇拝するためのパゴダに行くと、このように土着神ナッを祀るコーナーも設けられている。

そして、特に功績を認められたヤテーは「ウェイザー」という名誉ある聖者としての称号を与えられ、死後にはこうして像にされて残され、人々から崇拝されるという。




土着神はココナッツが好きだという事で、これは彼らへのお供えだ。ただしこれを食べるのはヤテーになる訳だが。

そんな感じでミャンマーには仏教以外にもシャーマンというか、チャネラーというか、人々の信仰を集める行者たちがいたという意外な事実が明らかになった。

ミャンマー人とはブッダ一筋の熱心な仏教徒たちだとばかり思っていたのが違っていたのだ。すっかり意表を付かれてしまった。

いや、と言うよりもむしろこれは、ブッダの度量の広さを示してしているのではないか?他の宗教の神様は、信者が自分以外の神を拝むと気を悪くするという。

嫉妬するというのは信者を「俺のもの」と所有する気持ちがあるという事だから、あまりレベルが高くない。いや、こういう事を言うとまたロヒンギャとこじれるか・・・・

しかし仏教の特徴は、その土地その土地の土着信仰と共存する事だ。ブッダは決して人々の伝統やら習慣やらを否定する事はなかったのだ。

それは何故か?ブッダもチャネリングをやっていたからか?それは定かではない。

そういう訳で、仏教では伝統的な信仰、日本なら先祖供養とか神社参拝といったものを否定する事はないので、信仰心がある方々は安心して頂いて結構だ。

元々不信心者であった私には、あまり関係のない話ではあったが。




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  最終更新日 2023.12.31

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