比丘R ドイツ人 30代 男性
そして比丘Rはそのままそこでサマネラとして、パーリ語とシンハリ語の勉強に専念した。だが彼はこの時、生まれついての天性の能力を存分に発揮し、周囲を驚かせる事になる。そうだ、比丘Rは人並み外れた驚異の記憶力の持ち主だったのだ。
そんな訳で比丘Rは、スリランカではあっという間にシンハリ語とパーリ語をマスターしてしまう。そして経典群から律蔵、論蔵と4年かけて片っ端から読破記憶し、今度はミャンマーへ渡った。
なぜミャンマーに渡ったかと言うと、彼の次なる目的は瞑想を学ぶ事にあったからだ。そうだ、ミャンマーは仏教国の中でも瞑想に関しては一番の先進国と言われている国だ。
瞑想を学ぶと言っても彼の場合は、誰かいい師を求めて瞑想センターを尋ね回るなどという事はしない。彼はスリランカでの勉強中に、既にブッダの時代の瞑想法を経典群から解き明かし、それを実践するために訪れたというのだから恐ろしい。
比丘Rが編み出した瞑想法
2010年6月、彼はヤンゴンの国際テーラワーダ仏教大学に留学生として入学した。ミャンマーの仏教を学ぶ傍ら、時間があれば誰とも話したりせず、ただひたすら独自の瞑想法を実践していた。この時彼が行っていたオリジナルの方法は次の通りになる。
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ブッダの時代の解脱者の75%が、ボディ・メディテーション(身随観、不浄観)= 身体の臓器やその働き、身体から生じる老廃物を熟考する事で悟った。
だからまず
Step 1 肉体を機能、物質=脂肪 筋肉と捉え、執着を減らす。
Step 2 筋肉の不快を知り続けることで、不完全性、不安定性を理解。他人も同様ということを知る。
Step 3 筋肉が骨にくっついていることを認識し、メカニズム=機能に過ぎないことを理解する。
Step 4 骨はバラバラのパーツに過ぎず、自己が所有してるという観念を無くす。
これらの観想をやっておいてから、次に身体感覚が瞬間瞬間生滅している様子を観察する訳だが、それには近行定、ニミッタが見えるぐらいまで集中力を磨いておかなくてはならない。そのためにまずサマタ瞑想(集中型瞑想)を修行する。
身体感覚の生滅を観察する事で、苦(渇愛)が存続出来なくなり、落ちてしまう=苦の滅尽。
その後ヴィパッサナー瞑想に入る。
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大体このような順番で修行していくのが、ブッダの時代の方法であったと、比丘Rは独自の経典研究から彼なりに推測していた。
そして彼はここでもまた生まれついての能力を発揮して、人々を驚かせる事になる。
何と比丘Rは誰からも教わらないこの我流の瞑想法を自身で少し試しただけで、あっと言う間にジャーナ(禅定)に入り、しかも渇愛までしっかりと落としてしまい、そこで無我を悟ってしまったのだから。
通常はジャーナを達成するための集中力を育てるのに、数年から数十年はかかる。それなのにこの比丘Rときたら、僅かに数週間でそれをやってしまったのだから、もはや並の修行者ではない。
彼は生まれつき驚異的な記憶力を持っていただけでなく、驚異的な集中力までをも兼ね備えていた天才修行者だったのだ。そして彼はそこまで行って初めて瞑想センターなる場所を訪れる事になる。
瞑想センターへ移った比丘R
天才比丘RがS瞑想センターを訪れたのが2011年7月。この時、既に彼の胸には宇宙の法則であるダンマがあり、悟りの一歩手前の状態、言わば仮免許の状態まで行っていた。そこまで行けばもう自力で悟れるから指導者は要らない。
にもかかわらず何を思ったのか比丘Rは、わざわざ「ヴィパッサナーを教えて下さい」と瞑想センターまでやってきたものだから、T長老を始めとする指導者たちは驚かされずにはいられなかった。
なぜそこまで自力で行っておきながら、最後まで我流で通さずにSセンターに来たのかと言うと、単に大学の寮では騒がしくて瞑想に打ち込めないという事情があったからに過ぎない。
つまり修行する場所を提供してもらうのが目的であって、S瞑想センターの方法で修行したいから来たのではなかったのだ。
だがこの比丘R、Sセンターに滞在するようになってから、今度は様々な常識外れの行いによって人々を驚かせる事になる。そしてそこから驚愕の事実が浮かび上がってきた。
周囲の事が全く見えない
彼はSセンターでは、アメリカ人のV比丘と同室になったのだが、ある日このV比丘がデング熱に感染してしまった。そんな時にこの比丘Rの異常性というのものが、みんなの前に露呈されてしまう事になるのだ。
このデング熱に罹ると40度近い高熱にうなされる事になる訳だが、アジア人と比べて白人は更に症状が重くなる。この時もV比丘は生死を彷徨うぐらいにまで悪化し、医師や看護師が駆けつけて点滴やら何やらドタバタやっていた。
心配した友人たちや長老たちまで彼の部屋まで様子を見に来て、みんなで状況を見守っていた。そんな時だった。V比丘がうなされている隣のベッドの上では何という事か!比丘Rが平然とした顔で瞑想しているではないか!これにはみんな驚かされてしまった。
「何だありゃ?こんな状況で何やってんだ?アイツ全然回りの事なんか眼中にないぞ!頭の中はどうなってんだ?」
これ以降、とにかく周囲の人々はこんな感じで比丘Rのやる事なす事全てにおいて、異常さを感じずにはいられなくなる。
その後彼は、3か月ほどで道果を達成し、瞑想を指導出来る立場になった。これもまた驚異的な出来事だった。故郷を出てから僅かに4年半、比丘Rは物凄いスピードで聖者の位まで昇り詰めてしまったのだから。
自分の方法を広めるR
「何か修行の事で悩んでいませんか?」
そしてそれからというもの、比丘Rは同じ白人修行者を見かけると片っ端から話しかけていった。
とにかく自分が発見し、驚異の効果をもたらすオリジナルの瞑想法を、人々に教えてやりたくて仕方ない。こんな簡単でいい方法があるのに「瞑想が上手く出来ない」などと悩んでいる人がいれば、それを教えて救ってやりたくて仕方ないのだ。
だが比丘RがそれをやったのはマインドフルネスのS瞑想センター内であった。彼は何を思ったか、マインドフルネス瞑想を修行しに来た人々に自分のやり方を教え始めたのだ。
比丘Rから教えられた人々は、いつも教わっている方法とは違う事を言われて戸惑ってしまった。
彼の教えは指導者のT長老が言っている事とは正反対の、徹底的に集中力を磨いて、身体感覚を「生・滅」と概念的に観るというやり方なのだから。
しかし人々は「比丘Rは職員たちから指導者扱いされている人だから」という理由で「何か変だ」と思いながらもやるしかなかった。そして二つの矛盾した方法を同時に実践するうちに、いつしか頭が混乱してきた。
そんな感じで比丘Rといるうちに何が何だか訳が判らなくなって、パニック状態に陥る修行者が何人も出てきてしまった。
慌てたのは指導部長のT長老だった。直ぐに比丘Rに指導する事を禁じ、混乱してしまった修行者たちにカウンセリングを施し、Sセンターの方法に戻させた。
T長老はその時「まったくアイツ何を考えているのか判らない。あんな事やったらみんなパニック状態になっちまうじゃないか!常識も何もない信じられない奴だ!もう少しで病気の人間を出すところだった!」と驚きの表情を隠せなかった。
欠落している想像力
「自分のオリジナルの方法を教えるんだったら、自分の瞑想センターでやってくれよ!ここはマインドフルネスのSセンターなんだからさ」
Sセンターの住職や指導部長に文句を言われて一旦は引き下がった比丘Rであったが、なぜそんな事を言われるのか全く理解出来ない。「いい事してるのに何で彼らは俺の邪魔をするんだ?アイツら根性腐ってる」逆にそんな風に思えて仕方ない。
こういう事から判るように、どうやらこの比丘Rには、全く自分が置かれている立場を把握する能力がないようだ。つまり想像力というものが欠落してしまっているのだ。この事が彼が何かをするたび人々を驚愕させる原因となっている。
そのせいか彼は、生まれつきプライドや自意識といった、心の中の集中を妨げる要素を持っていなかった。
だからこそ常に鬼のような集中力を発揮出来たのだろう。
脳の記憶する部分が肥大化し過ぎて、自分を想像する部分が育たなかったのかどうか?は定かではない。しかし比丘Rは、このように空気を読んだり、自分を客観的に見る能力がなくても、十分に悟りに到れるという証明をしてみせた事になる。
いや、それどころか世の中にどれだけの割合で存在するのかは定かではないが、むしろそういう構造の脳を持つ人々の方が、サマタ瞑想を修行する事に適しているような気さえするのだ。比丘Rを見ていると、まるでサマタの修行をするために生まれてきたようにすら思えて仕方ないのだから。
だが比丘Rは、自分がなぜ住職や指導部長から指導を禁じられたのかが全く理解出来ないでいる。そして修行者たちにSセンターの中で訴えた。
「Sの方法より俺の方法の方がいいぞ!俺の方法でやるんだ!Sのを捨てろ!」と。
しかしそのような行動をとって頭の中を疑われたのは、当然彼の方だった。