A氏 アイルランド人 50代 男性
ダブリン市 |
A氏がアイルランドのダブリンからS瞑想センターにやって来たのが2016年の暮れ。彼は本国ではギタリストとして様々なバンドに参加したり、スタジオでのレコーディングに参加したり、時には作曲したりもするという多彩な音楽活動を行っている。
しかし思うところあって瞑想に専念してみたくなり、活動を休止してミャンマーにて2か月間修行するつもりでやってきた。
だがこのA氏、性格的には少し変わったところがあって、最初来たばかりの時、私とトラブルを起こす事になる。
トラブルの内容はというと、私が瞑想指導のミーティングの時に、長老に報告した自らの体験が気に喰わないと言って、何やら文句をつけてきたのだ。
私がその時報告していたのは意識の生じ方についてだったが、簡単に言うとこんな感じになる。
「私は対象となるものに注意を向けると意識が生じてくるのを観察しています。まず目と対象とが接触すると視界となる感受が生じ、更に意志が生じて対象に気づきます。見たい気持ちがあると注意を向けて、意識が生じてきます」
早い話が私は因縁(条件の組み合わせ)によってマインドが生じてくるところを観察していた訳だ。
その時指導していたT長老は、前回私にそのように観察するようにアドバイスしたので、私がその通りにやっている事を確認すると「OK、それをそのまま続けるように。観ているうちに段々とそのプロセスがハッキリしてくるから」とだけ言った。
だがA氏にはそれが不愉快に思えた。なぜならA氏は意識、心とはそのような因縁で生じてくるとは夢にも思っていなかったからだ。そしてA氏は面接指導の後で私を追いかけてきて、凄い剣幕で因縁をつけてきた。
「何なんだオメーのレポートは?何言ってんだか全然わからねーぞ!意識が対象から出てくるって?そんなバカな話があるか!オメー頭おかしいんじゃねーか?意識ってのは脳から出てくるんだ!」
「脳から!」
一転して謝りに来たA氏
そんな事を言われたって意識ってのは因縁で対象や感覚器官、対象を見たい、聞きたい気持ちによって生じてくるものなのだから仕方ない。どんなに因縁をつけられても変えられないものは変えられない。因縁で成り立っているものは因縁で成り立っているのだから。
「何だあの野郎、無明丸出しにしてわめきやがって。あいつの性格には問題があるぞ」
私はその時、A氏の態度をそのように思っていた。自分がやっている事の方が凄く常識外れであるなどとは夢にも思わずに。
そんなトラブルがあってから宿舎の部屋に戻ると今度は何と、ドアの前に先程のA氏が立っているではないか。しかも私が帰って来るのを待ち構えるようにして。
「な、何だオメー、またやろうってのか」
慌てて身構える私。だが一方のA氏の方は先程とはうって変わって神妙な顔をしている。
「んっ?」
私が異変に気がつくと、おもむろに口を開いたA氏。そして何と彼の口から出た言葉は、
「さっきは悪かったな」
「部屋に帰って同室のスウェーデン人に聞いたら『仏教では対象から心が出てくるって言うんだ。あの日本人が言ってる事はおかしくないんだ』と言われた。俺、何も知らないからあんたが変な事言ってると思った・・・」と言う謝罪ではないか。
「えーっ!?」と私。
そしてA氏はビスケットの包みを差し出して私に受け取らせようとした。何という事か。A氏は一転して態度を変えてきたのだ。
だが私は「な、何だそりゃ?反省のつもりか?いや、いいよそれなら別に。そんなの要らないから自分で食べろよ」と断った。A氏の突然の態度の変化に唖然としながらも。
しかしA氏は私の手に無理矢理ビスケットを掴ませる。
「判った判った。じゃあこれでも持っていってくれよ」ではしょうがないから私はお礼に部屋の中にあった貰い物の粉ミルクやプロテイン飲料などの栄養補助食品を持って来てA氏に渡そうとした。
だが彼は「いや、俺ミルクはダメなんだ、直ぐお腹ゴロゴロきちゃって」と受け取らず逃げるように去ってしまったのだった。
「何が何だかよく判らん・・・何だったんだ今のは?どうでもいいがアイツ相当変わった奴だな。こんなもの置いていったけど、こっちだけ一方的に貰ってしまっても後味悪くてしょうがないじゃないか」
私はA氏から貰ったビスケットを食べていいものかどうか判らずにどうしたらいいか悩んでいた。
すると今度はそこにタイミングよく同室者のマレーシア人が戻って来た。
そして「よう、チョコレート貰ったんだが食べるか?」と手のひらサイズの袋を私に放り投げてきた。するとそこには何やらマーブルチョコみたいな絵が。
「おっ、これは丁度いい。これならアイツも受け取るだろう。やった!これをお礼にやろう」そう言って私は早速それを持ってA氏の部屋へと飛んで行った。
A氏の性格を理解する
「これはお礼だよ。ビスケットをありがとう」私はそう言って彼にマレーシア人から貰ったチョコレートを差し出した。
「チョコレート?」そしたらA氏は不思議そうな顔をしてパッケージを読み始めた。すると何とした事か!彼の表情が見るみるうちに変わり出したではないか!
そして「オーッ!キミは俺がミルクがダメだと言ったからわざわざこれを買って来てくれたのかい?」と何やら感動してそのように言ったのだった。
「ハア?」だがA氏の言う意味がサッパリわからない私。
何気に彼が見ているそのチョコレートのパッケージを見たら何と「ダークチョコレート。ミルクなし。砂糖控えめ」と書いてあるではないか。
「アッハッハ、あのマレーシア人いいチョコレートくれたな」と思わず笑ってしまった。
偶然とはいえ、こんな上手く出来た話はない。単に貰い物を回しただけなのに最高のプレゼントになってしまったではないか。おあつらえ向きとはこの事だ。
あまりにも上手くいきすぎて笑いが止まらない。
だが何と!その時であった。一方のA氏は、感動で目がウルウルしていたのだ。
そして私の手を堅く握りしめて「キミはいい奴だな。それほどまでに俺の事を心配してくれて」と感激したように言いながら一人で感慨深げな気分に浸り始めた。
そんなA氏を見て唖然としながらも、私はその時
「判った!こいつ何でも直ぐこんな風に早トチリしてカーッと感情的になってしまう直情径行型人間だったんだ」
と彼の性格を理解する事が出来たのであった。
出家体験をするA氏
それで何とかA氏とも友好的な関係になる事ができた訳だが、私は彼とやり取りするうちに、自分がまるでガリレオ・ガリレイにでもなったかのような気持ちになっていた。
考えてみたら今の自分が探求している「心が対象から出てくるプロセスの観察」なんて、まるっきり世の中の常識と正反対なのだから、瞑想を知らない人が聞いたらあのような態度をとるのも当然なのだ。
私は今、自分が中世ヨーロッパの天文学者のような、異端者の立場にいる事が判って恐ろしくなった
だが、一方のA氏の方は呑気なもので、あれ以来何かある度「いやあ、しかし最初キミの話を聞いた時は本当に驚いたもんな。西洋人はあんな事考えないからさ。初めて東洋人の考え方を聞いてショックだったよ」などと言うようになった。よっぽど衝撃的だったのだろう。
だが別に東洋人だからと言ってみんなそう考えているわけでない。東洋でもやはり普通は誰でも「この身体が自分で、そこから心が出ている」と思っている。みんな無明なのだから仕方ない。しかし直ぐに早トチリするA氏の事だから今度はしっかりとそんな風に思い込んでしまっているのだ。
そのうち瞑想センターでの生活に慣れてくるとA氏は、一時出家して坊さんにチャレンジしてみたりした。最初のうちこそ慣れない環境にいて私とトラブったりもしたが、それ以外では何の問題もなく、意外とスンナリ適応して、あとは修行の生活にも平気でついていけるようになっていった。
修行を終えてA氏は
そして当初の予定だった2か月間の修行が終わって帰国する頃になるとA氏は再び私の所へ来て、またしても言った。
「最初来たばかりの時に聞いたキミの話には本当に驚いたもんな。でも良かったよ東洋の神秘に触れられて。クニに帰ったらみんなに教えてやるよ、あの話を」と。
だが、それを聞いて私は驚いた。
「何っ!一般人の前でするつもりなのか?あの話を」しかもアイルランドといえば保守的なキリスト教の国ではないのか?
私の場合は彼のルームメイトのスウェーデン人が助けてくれたから良かったものの、彼がもしあれと同じ状況に陥った時、助けてくれる仏教徒なんかいるのか?
しかし私の心配をよそに「ああ、みんなに教えてやりたいんだ。俺が知った一番いい話だったからさ、ミャンマーで」と彼は本気でそう思っている。本当に早トチリのA氏らしい。もう何を言っても聞きそうもない。
そんな訳で、その時その話を聞いた私は「では次にガリレオの気持ちを味わうのはA氏だな」と思うしかなかったのだ。
A氏作詞作曲の歌