O氏 オランダ 30代 男性
2メートル近い大男のO氏が、はるばるオランダからマハーシ式で修行するためにC瞑想センターにやってきたのが2004年6月。彼は本を読んでヴィパッサナー瞑想の事を知ったが、本国ではまだ修行出来る所も教える人もいないという事で、何とか正しいやり方を教わりたいという一心でミャンマーまで飛んで来た。
だがこの当時のC瞑想センターは、名指導者と言われた管長が海外布教で忙しく不在で、指導の方はS長老という、外人に不慣れな指導者が管長に代わって行っていた。
しかしそんな事など知らないO氏は、一応ミャンマーでは有名な瞑想センターの一つだからと、ここを選んでしまったのだ。
何も教えない指導者
O氏は瞑想は初めてではなかったが、椅子を使わず座布団の上に座法を組んで坐るというのは全く初めての体験だった。
ミャンマーでは一般的に、瞑想する時はこの安楽座というスタイルで坐る。足は組まない。これは結跏趺坐などから見たらかなり楽な坐り方になる。日本人を始めとするアジア人なら誰でも簡単に出来る。
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だが、生まれてこの方あぐらをかいて坐った事などないO氏は、これに苦しむ事になる。
坐っても股関節が硬くて両膝が床につかないのだ。だから膝の下には左右とも座布団を丸めて挟んでおいた。それで何とか瞑想が出来る状態に持っていった。
しかしそんな状態だからO氏は、最初はとにかく足が痛くて瞑想にならず、1回の坐る時間は30分が限界だった。だがそれを面接指導の時にS長老に伝えると「絶対に足を崩すなよ!」と厳しく注意されてしまった。
そして「毎日10分づつ坐る時間を伸ばして、2時間まで持っていくんだっ!」と問答無用で言いつけられてしまったではないか。
あまりの凄い剣幕のS長老に驚くO氏。こんなに足が痛かったら落ち着いて瞑想なんか出来ないだろうに、なぜそんなに痛い思いをするのか全く納得がいかない。
だが、S長老の迫力に押されて何も言えずに引き下げるしかなかった。そして「次にまた足が痛いなんて言ったら、ただでは済まないかもしれない」という恐怖感すら覚えた。
日常生活での瞑想
更にこのマハーシ式のセンターでは、修行者は一日中、何をするにも動作の一挙手一投足にラベリングをしなければならない。そのためには動作のスピードもわざとスローダウンさせる事になる。
例えばトイレに入る時「手を上げる、上げる」と手を持ち上げ「触れる、触れる」とドアノブに手が触れて「掴む、掴む」とノブを掴み「回す、回す」とノブを回す。「引いてる、引いてる」とドアを開け「歩いてる、回ってる」と身体を室内に入れ「押してる、押してる」とドアを閉める。
便器に向かったら「開けてる、開けてる」と便座カバーを開けて「開いてる、開いてる」と足の立ち位置を定め「つまんでる、つまんでる」とつまんでおいてから「長いか?短いか?」「硬いか?軟らかいか?」「熱いか?冷たいか?」とつまんでる物の感触がその時々で違う事を確認し「力んでる、力んでる」と放尿する。
臭いがしてきたら「嗅いでる、嗅いでる」と気づき、終わったら「振ってる、振ってる」と滴を払い「収めてる、収めてる」とパンツの中に戻す。それから水を流すために「伸ばしてる、伸ばしてる」とレバーに手を伸ばす。
そんな感じで、日常生活の全ての動作にラベリングを入れなくてはならないのだ。
この瞑想は少し複雑なので、実際にこんな風に少しは実演してもらって手本を見せて貰わないと、口で簡単に説明されただけでは判るものではない。何と言っても見た事も聞いた事もない事をやるのだから
だがこの時も、このS長老はO氏に「一日中何をするにもラベリングを切らすなよ」と強い口調で言いつけるのよいが、ラベリングがどいうものであるのかすら何も教える事はなかったのだ。
ただ立ち尽くすだけのO氏
そのような簡単というか、ぞんざいな説明だけでCセンターの「修行者同士一切会話禁止」「本を読む事も、手紙を書く事も集中を妨げる事は一切禁止」といった厳しい修行環境の中に放り込まれたO氏であったが、勿論上手い具合いに修行出来るはずなどない。
ふと他の修行者たちは日常生活の瞑想はどうやっているのか周りを見回した。その時瞑想ホールにいたのはタイの坊さんたちが2人と、バングラデシュの坊さんたちが2人。それと韓国人と3人と日本人の私とで、計8人が修行していた。
だがみんなO氏同様に全く何も教わっていないため、我流でやるしかなく、それぞれが独自の下手なやり方でやっていたため、手本に出来るような人はいなかった。
そればかりではない。そこへ追い討ちをかけるようにS長老が「日常生活でもラベリング切らすなと言っただろうが!ちゃんとやれっ!」とみんなの事を叱責するのだ。みんなもうやってられないような気になって苛立ってしまい、宿舎内の人間関係はギスギスするようになっていった。
「何だここは・・・・・・・・・・」
予想していた姿とはあまりにも程遠いCセンターのあまりの惨状に、O氏はただ唖然とするしかなかった。
瞑想バカ一代
そのようにして前途多難の修行の生活をスタートさせたO氏は、どんなに頑張っても坐る瞑想の時は痛みをこらえているだけで観察も何も出来ず、日常生活の瞑想などどうやったらいいのかサッパリ判らず、途方に暮れるしかなかった。
だが途方に暮れている姿を見られると面接指導の時に「一日中ラベリングを切らすなと言ってるではないか!何をやっているんだ」と怒鳴られてしまったり、足が痛くて2時間なんてとても坐れないでいると「毎日10分づつ時間を伸ばせって言ってるだろうが!」と怒鳴られてしまったりした。
「もう駄目だ・・・こんな所に来るんじゃなかった」思わず故郷の事が頭の中に思い浮かんだ。人は辛い時は故郷の家族や友人たちの事を思い出すと言うが、この時のO氏の気持ちを察すれば、両親がさぞかし優しい顔で「おいでおいで」と手招きしていた事だろう。
だが、瞑想をしっかりマスターしてくるために、既に仕事は辞め、アパートも引き払ってきたO氏は、どんなに手招きされても帰る事は出来ない。
「くくっ・・・・・・」
その時何を思ったか、O氏は洗面所で突然自らの頭を剃りだした。唖然とする周囲の修行者たちをよそに、完全にツルツルの坊主頭にしてしまったのだ。
そして「俺、これから寺務所行って、比丘にしてくれって頼んでくるからさ」と出かけてしまった。
何とO氏は、空手の修行で山に籠もった「空手バカ一代」の大山倍達氏が、トレーニングを止めて山を降りてしまわないよう自らの眉毛を剃ったように、自らを戒めるため比丘になってしまったではないか!
ほとんどの白人は一日二日で根を上げて消え去っていく中、出家して「そいつらと俺は違うんだぞ」という本気度を見せれば、やり方を教えて貰えるだろう、という結論に至ったようだ。
「瞑想バカ一代」まさにO氏は本気度120%の瞑想バカだったのだ!
O氏の1年後
それから1年後、私が再度C瞑想センターを訪れた時、O氏は相変わらずそこで粘っていた。上手く出来なかった安楽座も、楽々組めるようになり、1日一回は2時間不動のまま坐る事が出来るようになったという。足が痛くても決して「痛い」とは言わない。完全に熟練した修行者の風格を備えていた。
「凄い!変われば変わるものだ!これがあのO氏か!1年前とは全然違う!」
最初の頃のO氏を見ている者としては、あまりの変わりように驚かざるを得なかった。苦手だった日々の生活の瞑想についても「これは自分で気づいて自分で工夫してやるものなんだ。つまりちゃんとラベリングしていれば上達するが、ラベリングしなければ上達出来ない、修行の進み具合が見ている人に一発でわかる瞑想なんだ。だから長老は何も教えなかったんだ」という見解を示してくれた。
「なるほど、そういう事だったのか。それだったらS長老が何も教えなかった理由が判る」それを聞いてO氏が精神的にも成長した事も判った。私はもうO氏に惜しみない拍手を贈ってやりたいような気がしてならなかった。素晴らしい努力が覗われたのだから。
O氏の我流の方法
O氏は自身でヴィパッサナー瞑想のやり方を研究して「坐る瞑想の時は、足の痛みに注意を向けない。注意を向けると痛くなるが、向けなければなんともない」という方法を編み出した。
また、日常生活の瞑想についても1年に渡る修行の末に「とにかくゆっくり動く事。ゆっくり動けば心も落ち着く。それからなるべくいつも下を向いて、周囲に視線を向けないようにする。何かを見れば心も動く。ラベリングは少ない方がいい。多いとそれも心の落ち着きを妨げる」という結論に達した。彼が我流で1年間磨きをかけてきたオリジナルの技がこのやり方という訳だ。
「もうすぐ帰国するんだ。キミとまた会えて嬉しいよ」O氏はそう言って私との再会を喜んでくれた。本当に1年という時間は長い。いい加減に生きていればあっと言う間に過ぎてしまうが、O氏のように生きていればこんなにも成長出来るのだから。
カナダ人指導者の登場
だがそんな時、普段はC瞑想センターのカナダのカルガリー支部で教えているカナダ人指導者V比丘が、ひょっこりとヤンゴンを訪れた。そして私やO氏が泊まっている外人用宿舎に一緒に泊まる事になった。
そしてそのV比丘は、宿舎にいた我々を始めとする外人たちの修行のやり方がどうもおかしいと言う事で、みんなを集めて講習会を開いてくれた。その時そこにいた男女合わせて12〜3人程の外人たちは、そういうわけで、面接指導の部屋へと参じた。
真相を知ったO氏
「みんな日常生活の瞑想が変だが、まず私がやってみせるからわからないところがあれば納得するまで質問するように」そんな感じでV比丘は日常生活の瞑想の実演を始めた。
「食べる時はまずスプーンを取るのに手を『伸ばしてる、伸ばしてる』から始めて『掴んでる、掴んでる』スプーンを『持ち上げる、持ち上げる』おかずに手を『伸ばしてる、伸ばしてる』『掬ってる、掬ってる』スプーンを口に持ってくるため手を『曲げてる、曲げてる』そして口を『開けてる、開けてる』スプーンを口に入れたら口を『閉じてる、閉じてる』更におかずを『噛んでる、噛んでる』『味わってる、味わってる』とやるんだ」
「そして肝心なのはここからだ。味はいつもあるものなのかどうか?そうだ無常だ。だから身体感覚の場合は生じたり滅したりするのを観察する。味が「生じている、滅している』とラベリングするんだ」
そんな感じでV比丘の講習は進んだ。それを聞いていて驚いたのはO氏であった。
「うっ(´;ω;`)・・・・・・・・・・」
そして更にO氏を驚かせたのは足の痛みの観察についてだった。O氏は「足が痛いなんて言うのは泣き言であって、絶対にそんな事は口にしてはいけないと思ってずっとやってきた。しかしV比丘はその考え方をいともたやすく覆したのだ。
「違う、違う!何を言ってるんだ。足の痛みもちゃんと観察しなきゃダメだぞ。これが一番大事な観察ポイントなんだからな。さあ、どうやって観察する?」
身体感覚は全て「生滅」と観るのであれば、足の痛みも当然そのように観るはず。
O氏はそれを実践してみて驚いた。なぜならそのように観察すれば足の痛みはちっとも気にならず、しかもズキズキの間まで観れば何時間でも平気で坐っていられる事が判ったからだ。更にこうやって観ていれば集中力がついた時にジャーナ(禅定)に入るのだというではないか。
「な、何それ・・・えーっ・・・なんてこった・・嗚呼、俺がこの1年間必死でやってきた事は一体何だったんだ・・・・・・・」
あまりのショックにただ呆然とするばかりのO氏。
蘇った修行者たち
V比丘の講習会の後は、修行者たちは水を得た魚のように活き活きとして修行に打ち込んだ。誰もサボる者などいない。そりゃそうだ。みんな瞑想を覚えたくて仕事を辞めてまでしてミャンマーまで来ているのに、サボりたいはずなどない。
みんな最初からこうやって一生懸命やりたかったのだ。なのに何も教えて貰えなくて戸惑っていたら、今度はそれをサボりと見なされて叱責されていたのだからたまらない。
たった10分。たった10分の講習会だけでみんなそのように目を輝かせて修行に打ち込むようになったのだ。その後のO氏の憤りは、当然のごとくS長老に向かった。
「これを最初から教えて貰っていれば、たった10分で出来る事をなぜS長老はそんなに横着して・・・・・」
当然、我流でやるよりはるかに上達していて、もしかしたらジャーナに入っていた可能性もある。だがそんな事とは知らず、O氏は1年間我流のやり方で通してしまったのだから。
「何だこの瞑想センターは・・・・・?」
O氏がそのように思うのも、無理はなかった。
判明したS長老のぞんざいさ
「瞑想センターに来るミャンマー人たちは瞑想のやり方を知っているのが当然だから、ミャンマーの指導者たちは新人が来てもいちいち教えないんだ。だからわからない事があれば自分からどんどん聞かなければS長老はわかってると思って何も教えないよ」
そしてV比丘は、怒りを露わにするO氏をなだめるように、そのように言った。
その時は判らなかったが、後で瞑想センターの人気ランキングを知って驚いた。同じ時期、Cセンターと同じマハーシ式をやる他の瞑想センターでは、100人以上も外人が集結していたのだ。
だがCセンターでは外人は10人ちょいしかいない。同じやり方なのになぜ10倍もの差をつけられているか?というと、つまりそれが他の瞑想センターとCセンターとの指導力の差を表わしていた訳だ。
そんな事件があって以来、私はマハーシ式の瞑想センターに行きたいという人がいれば必ず「外人指導者のいる所に行った方がいい」と勧めるようにしている。
さもなければ「マハーシ式の瞑想センターに行ったら、まず最初にする事はまず足の痛みの生滅を観察して、その事を逐一指導者に報告する事だ」と言う。つまりそれは全てO氏のこの体験から来ているのだ。
我々にそんな教訓を与えてくれたそのO氏だが、そんな事があってからひとまずは1年間の修行を終えて帰国する事になった。ラッキーと言えばラッキーだ。最後に正しいやり方を教えてもらえたのだから。
そうだ!ラッキーだ!こんなラッキーな奴はいない!もう少しで何も教えて貰えないまま我流の方法をオランダに持ち帰って、みんなに教えて恥をかくところだったのだから。
それを考えればラッキーだ!ラッキー!こんな感じで凄くラッキーだったO氏のミャンマーでの1年間の瞑想修行。わーい、いいなラッキーで😅
そんな訳でO氏は帰国直前、瞑想センターを出る前にS長老のところへ行って「V比丘は私のレベルをこんな低レベルから、こんなハイレベルまで引き上げた。彼は偉大な先生だよ!」と、思いっきり身振り手振りを交えながらただの手抜き指導者だったS長老を睨みつけ、皮肉っぽく去っていったという。
マハーシ式で外人指導者のいるセンター
チャミ・ミャイン瞑想センター
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パンディタラマ・シュエタンゴン瞑想センター・ネパール・ルンビニ支部 https://sites.google.com/site/panditarama/