Lさん 中国人 30代 女性
瞑想を修行したいのだが、指導者が怖くて仕方ないという人々がいる。
確かに瞑想指導者というのは攻撃的な人が多い。いつもカッカカッカと普通の人以上に怒っている。仏教には「怒ってはいけない」という教えがあるのに、指導者ともあろう人々が何でそんなに怒るのか?
修行者たちはそれを「まあ、我々を涅槃に連れてってやりたいという一心で、修行させるために怒ってくれているのだろう」と、プラスに捉えている場合が多い。
だが私はそんな指導者を見ると直ぐ「うわっ絶対嫌だこんなの」と思ってしまうのだ。ブッダの教えと全然違うのだから。そしてそんな指導者にロクな指導が出来る訳がないとも思っている。だから私は決して攻撃的な指導者に頭を下げる事はない。そんな屈辱的な事は絶対しない。
私はそれで正解だと思っている。なぜなら私は怒りんぼ指導者の元でビビって萎縮しながら修行していた頃は、必死で何年やっても全然進歩しなかったが、温厚な指導者の元でリラックスして呑気にやるようになってからは、時間はかかれども、着実に進歩する事が出来ているからだ。
これはみんな指導者の指導力のお陰ではないのか?そうだ!攻撃的な指導者どもに何が出来るというのか!
言ってみろコラ!👹
そんな感じで、瞑想指導者の攻撃性が怖くて中々修行に打ち込めないというLさんが、中国の江蘇省無錫から、最初にミャンマーまでやってきたのが2009年の事。
以降彼女は頻繁にミャンマーを訪れてはあちこちの瞑想センターを回って、怒らない優しい指導者を探していた。
そしてとうとう念願の名指導者、I長老のいるCM瞑想センターにたどり着いたのが2011年の暮れの事だった。
CM瞑想センターと言えば、攻撃的な指導者の多いマハーシ式の瞑想センターの中にあって、珍しく指導者たちが温厚な人ばかり揃っていて、白人修行者がたくさん寄って来る事でも有名な所だ。
ここの住職のI長老は、怒りなどとっくになくなってしまった崇高な境地にいて、一緒にいるだけでも気持ち良くなってしまうほどの大聖者だ。
この長老に笑顔で「話したりせずにしっかり修行しなさい」などと言われると、それだけでもう、誰もが真剣な修行者に早変わりになる。これが人徳というものなのだろう。ちっとも怒りなど使う必要がない。
住職がそのような徳の高い人なので、他の指導者たちも皆温厚で、決して修行者をどやしつけたりなどしない。
通常マハーシ式のセンターでは、一番上が一番怒りんぼなので、若い指導者たちも師匠に倣って怒ってばかりいる。
そしてそんな指導者の元で修行する修行者たちは、わざとゆっくり動いて、いちいち動作にラベリングしなければならないために、いつもストレスを溜めている。だから「先生たちが怒ってるんだから俺たちだって怒っていいんだ」とそれを苛立ちを正当化する口実にする訳だ。まさに怒りの連鎖だ。
だがCMセンターではそれがないから瞑想センター全体が凄くいい雰囲気を出していてとても気持ちよく修行出来るのだ。
I長老が有名になった理由
このCM瞑想センターの寺務所には、ここの創設者であるI長老と、かつてI長老が指導していたC瞑想センターの管長であり、I長老の師でもあるJ長老とが一緒に並んで写っている写真が飾ってある。
これはCM瞑想センターが支部を出した時、そのセレモニーで師弟が並んでいる姿を写されたものだが、満面の笑みを浮かべたI長老と、その隣に憮然とした表情のJ長老がいるのが嫌でも人目を引いてしまう。
実はこの写真には意味が込められていて、訪れる人々に「こちらのI長老と、その師匠のJ長老とは、こんなに仲がいいのか」と思わせるよう仕組まれている。
と、言うのもこのI長老が師匠の元から独立してこのCMセンターを設立したのが2004年の事になるのだが、独立時にひと悶着あった事がミャンマー人たちの間で噂になっていたからだ。
実はI長老がJ長老の所へ行って独立の許可を申し入れた時、I長老はC瞑想センターの森林支部を預かっている身でもあった。
J長老の方は、今I長老に抜けられても支部長の後任がいないため困ってしまった。そこでI長老の申し入れに「独立してもいいが、支部でも継続して教えて貰えないか?」と頼んだのだという。しかしI長老の答えは「NO」だった。I長老はどうも自分でやりたい事があったようだ。
「くそーっ!オマエって奴は勝手な事をしおって!裏切り者め!」
そしてそれに腹を立てたJ長老は、そんな感じでI長老の頭を平手でピシャリとやってしまった。だが、密室でそれをやったのならともかく、その場には大勢の信者たちがいたのだからたまらない。
「あらーっ!大長老様ともあろうお方が何て事を!」「I長老とJ長老とは仲違いされてしまった!」そんな感じで噂はたちまち信者たちの間で広がってしまったのだ。
だからそんな噂を否定し、評判が悪くならないようにCMセンターを訪れる人々には「いえいえ、決して仲違いなどしておりませんよ。円満です、円満、この通りセレモニーにも招待してますから」という素振りを見せておかなければならない訳だ。そしてその事情を知っている人は、その写真を見ると直ぐに込められた意味を理解して「プッ」と吹き出してしまうのだ。
CMセンター独自の方法
ではそのI長老が師匠と決別してまでやりたかった事とは何だろう?
というとこのI長老、実は自身が修行し、また長年に渡って教えてきたマハーシ式の瞑想法を改良し、一段と効果的な方法を開発していたのであった。
もっと詳しく言うと、このI長老は、20年以上に及ぶ無数の外人指導の経験を元に、そして実際にスイス人やアメリカ人の指導者と共に、マハーシ式ヴィパッサナーと慈悲の瞑想とを組み合わせる事によって、胡座をかいて坐れない外人でも、簡単で楽にジャーナ(禅定)が入り出来る画期的なCM瞑想センターシステムを生み出した人だったのだ。
だから勿論マハーシ式ではここが一番結果を出しているし、Lさんがここを訪れた2011年の暮れには4人もの女性指導者もいた。これはマハーシ式ではかなり多い数だ。しかもそのうち3人は外人だったという事でLさんはすっかりこのCMシステムに惹きつけられてしまったのだった。
カリスマ的なスイス人女性指導者 A師
このCMシステムを簡単に説明しておくと、まず修行者は最初の1か月はラベリング付きのヴィパッサナー瞑想に専念する。マハーシ式と違うところは全てを「生・滅」と観る事。
お腹の膨らみ縮みも「生・滅」と観るし、雑念が浮かんでは消えればそれも「生・滅」だし、身体感覚のみならず、歩く瞑想の時も「ステップが生じては滅する」と観て構わない。つまり対象となるもの全てを「生・滅」と観る、単純明快な方法なのであった。
そしてそれをマスターしたら今度は慈悲の瞑想に移る。動作の一挙手一投足に集中する事で集中力を磨く他のマハーシ式のセンターと違って、ここでは慈悲の瞑想を集中的に1か月に渡って行う事で集中力を磨く方法をとる訳だ。ヴィパッサナーの方法といい、集中力を磨く方法といい、誰でも簡単にマスター出来るように工夫されている事がわかる。
ではその慈悲の瞑想をやっている時に足が痛んできたらどうなるか?
勿論足の痛みにも慈悲を送る事になる。
そうするとどうなるか?
ちょっとやってみて頂きたい。そうだ、痛みがなくなり感覚が生滅しているだけになる。
更にその生滅の間を観るとどうなるか?
そうだ、これがつまりマハーシ式の瞑想センターで一番結果を出している最も効果的なジャーナ(禅定)達成法なのであった。
そんな事もあって、このCM瞑想センターでは修行者たちもみんなやる気満々で、しかもみんなで慈悲の瞑想を贈り合ってメッタメタになっているので、まさにLさんが探し求めていた理想郷のような状態になっていた訳だ。
しかもこのCMセンターにはLさんが学生時代に留学していたスイス出身の女性指導者A師まで居る。そのうちLさんはこのA師と意気投合するようになっていった。
「A師こそ今までに会った中で最高の指導者」そしてまたこのA師は性格も優しい上に心も広く、瞑想指導者にありがちな「ウチの方法だけが正しくて、あとは間違い」みたいに考えている偏狭さを微塵も感じさせない。
だからA師の法話の中にはLさんの大好きなチベット仏教の聖者たちの話も頻繁に出てくるし、そんな事でLさんは、いつしかCMセンター方式とA師に心底夢中になってしまった。
そしてLさんは修行の方も信じられないほどに熱心に打ち込んだ。彼女の事は他の瞑想センターでも目にした事があるが、こんなに熱くなって夢中になっている姿は初めて見た。
修行者というのは指導者次第でこんなにも変わってしまうのかと驚かざるを得なかった。
突然帰国したA師
だがこのA師、LさんがCMセンターに来てひと月半程すると、何と!体調不良を訴えて突然スイスに帰ってしまった。神のように仰いでいる大切な師が健康を害したという事で心配になったLさんが寺務職員らに事情を聞くと、驚いた事にA師は、骨の癌に罹っていて、スイスで手術をする事になったと言うではないか。
「えーーーーーーーーーーーーーっ!」
やっと求めていたものを手に入れたと思った矢先、Lさんはそこで胸が張り裂けんばかりの悲痛のどん底に落とされる事になる。更にA師の事が心配で修行も出来なくなってしまった。
落胆したLさん
「何て事なの・・・今までずっと探して来てやっと見つけた理想の先生なのに・・・」
早速中国の知人に頼んで癌に効く漢方薬をスイスまで送って貰ったLさん。また私にも「確か日本にも玄米食べて癌を治す方法があったよね?」と聞いてきた。よっぽど治って欲しいのだろう。だが、そういう療法に疎い私は、全く何も答えられなかった。
すっかり気落ちしてしまったLさんだったが、それでもA師に教わった修行はしっかり覚えている。こんな時は幾らLさんが心配してもA師の病気が治る訳ではない。病床のA師を喜ばせたいと思うのなら、兎に角教わった修行を一生懸命やるしかないのだ。
A師がLさんに最後に教えてくれたのは慈悲の瞑想だ。今Lさんに出来る事は、それをA師に向けて送ってやる事だけなのだ。そう思って悲しみをこらえて何とか再び修行に戻ったLさんだった。
慈悲の瞑想の効果
Lさんがそんな感じで修行に戻って3〜4日ぐらいした頃だろうか?面接指導の時にふと彼女が、I長老に向かって瞑想体験を報告しているのを耳にした。
「慈しみは執着とは似て非なる。執着があると、相手が病気になると自分まで苦しみ、状況を悪化させるばかりだが、慈しみだとそうはならない。自分はしっかりして、なおかつ冷静に相手を思いやる対応が出来る」
何と!Lさんはその時、確かにそのように言ったのだ。
そして「ウム」と大きく頷くI長老。
驚いた事にLさんは、A師への心配を克服して、執着と慈しみの違いについて深く理解してしまったではないか。しかもこんな短期間にここまで変わってしまった。一体何が彼女の心境をそこまで変化させたのか?
そんな事で私が面接指導の後Lさんに「よくそういう事が判ったね」と聞くとLさんは
「まあね!先生がいいから」と言った。
「凄い!この事をA師に報告してやった方がいいよ!」と私。しかしLさんは別にそういう事はしようとはしない。なぜならLさんはもう執着と慈しみの違いを知ってしまったからだ。Lさんはもう大切な人が病気になっても冷静に対応出来るようになったのだ。
そして「A師の手術が終わったら、その後の経過について教えてね」そう言ってCMセンターでの3か月の修行を終えて帰って行った。
こんな事があって私は、慈悲の瞑想がどれだけ人を変えてしまうのか、そのパワーをまざまざと見せつけられてしまったのだ。
復活したA師
ではそのA師の方はその後どうなったかというと、骨の癌という事で大手術の結果、左足の膝から下を切断してしまったという。
だが回復は恐ろしいほど早く、信じられない事にそれから3か月後には、A師は義足をつけてドイツまで行って、早速リトリートで教えたらしい。しかもその後はフランスまで飛んだというから驚く。A師の方からも指導にかける凄まじいまでの情熱が伝わってくるではないか。
そして直ぐその事を教えてやるとLさんは「良かった!また教えて貰える」と誰よりも一番喜んでいた。
そんなLさんとやりとりしていたら、私の方もこの慈悲だらけでメッタメタのCM瞑想センターで修行出来て本当にラッキーだったように思えた。
なぜならメッターという性質の精神エネルギーが、どれだけ状況を変えてしまうのかを目のあたりにする事が出来たのだし、今までマハーシ式の瞑想センターではトラブルばかり見せつけられて、さんざん嫌な気分にさせられたものだが、こういう気持ちのいい所もあるのだという事が判って、少しは救われたような気がしたからだ。
「マハーシ式の指導者は怒りんぼばかりではない。温厚な人々もいる!」そして遂に私のマハーシ式の指導者に対する偏見も、そのI長老とA師とによって、だいぶ改められる事が出来たのだった。