J氏 ドイツ人 40代 男性
ドイツ北部の港町出身のJ氏がミャンマーのS瞑想センターを訪れたのが2015年12月。彼は元々は商社マンとしてマレーシアに駐在していたが、住んでいるうちに東南アジアが好きになり、会社を辞めてフリーになって貿易関係の仕事を請負いながら、ずっとタイに住みついているという。
なぜ東南アジアが好きになったかというと、仏教と瞑想が盛んだからに他ならない。そうだ、J氏は駐在員時代にすっかり仏教に魅了されてしまったのだ。
そして彼はいつしか「出来るなら解脱やら悟りやらという境地を体験してみたい」とまで思うようになった。
そのために会社を辞めて自由の身となり、マレーシアやタイ、ミャンマーなどを転々としながら様々な瞑想センターに赴いては修行するという、まさに瞑想三昧の生活をおくるようになった。私はそんなJ氏とS瞑想センターでバッタリと同室になったのだ。
どの方法で修行したらいいのか?
「おいヒロ!ところでオメーは何でマインドフルネスやってんだ?」
だが、あちこちの瞑想センターを回ってはみたものの、J氏はまだどの方法に専念したらいいのか決めかねていた。色んな瞑想センターに行ったと言ってもどこも1〜2か月だけの短期の滞在で、ちっともやり方をマスターしていない。
遍歴と言えばカッコ良く聞こえるが、要するにJ氏はどれもハンパで止めているという事になる。
そのため同室になった私にやたらとそのような事を聞いてきた。どうやら長い間マインドフルネスに専念している私の考え方を参考にしたいようだ。
「うーん、そう言えば何で俺はマインドフルネスの方に来たんだっけ?」
私の場合は方法よりも、むしろ指導者たちを見て決めたと言っていいのかもしれない。正直に言えば私は集中没頭型瞑想の指導者とはどうも相性が悪くて、散々嫌な思いばかりさせられてきた経験を持つからだ。
それというのも私はかつて、修行の方向性を決定づけるような、ちょっとした出来事に遭遇していた。
それは私がヴィパッサナー瞑想を始めた四半世紀も前の事であった。
無知蒙昧な初心者
私がヴィパッサナーというものを知ったばかりの頃、1990年代の半ばの話になるが、都内某所で行われた瞑想会に参加させて貰った時の事だ。その時指導していたのは日本のヴィパッサナー瞑想界の草分け的存在である、在家のかなり高名な先生だった。
その先生が教える瞑想法は、気づきというよりもむしろ、ひたすらお腹の動きに集中してジャーナ(禅定・対象に没頭して一体化する事)を目指すタイプのヴィパッサナーだった。
集中力重視の瞑想法の指導者というのは結構厳しい。厳しいというよりも攻撃的な人が多い。修行者を一点に集中させるために、気合いを入れて決してリラックスさせないようにするためだ。
その先生も見たところかなり攻撃的だったが、瞑想の先生なんだし実際に攻撃してきたりなどはしないだろうと思っていた。
だが、瞑想と瞑想の合間の時間の事だった。その先生は質疑応答の時間をとって、みんなに順番に話を聞いてきたのだ。私はその当時は仏教の事も瞑想の事も、殆ど何も知らなかった。少しばかり本を読んだ事もあったが、内容の方はチンプンカンプンでよく判っていなかった。そんないい加減な知識しか持ち合わせていないド素人が、攻撃的な指導者に話を聞かれてしまったのだからさあ大変。
それで私の順番が回って来た時、話の内容については色んな事を言ったのでサッパリ覚えていないのだが、本で読みかじりのトンチンカンな話をしてバカを丸出しにしてしまった。何も知らないなら知らないと言えばいいのに、無理して話を合わせようとするから間抜けな事になってしまったのだ。
するとそれを聞いた先生は
「あなたは知性の方は大丈夫ですか?瞑想はある程度の知性がないと悟り切れんですからね。 えっ? ほんとに大丈夫ですか?」
と、私の知性を疑うような事を言うではないか。しかもしっかり念まで押して。何とした事か!私は頭の中の出来具合を疑われてしまったのだ。
リラックスした雰囲気の瞑想会
「ガーン!知性を疑われちまったぜ!何だそりゃ?オマエは頭が悪そうだから瞑想は無理だって意味か? グェーッ!」
知性を疑われてしまっては、さすがにもうその先生の瞑想会に行く気にはなれない。
「どうせ俺はアホだよ」
という事でどこか別の瞑想会はないかと探してみた。
そしたらまた他のところで違う先生が教えているヴィパッサナーの瞑想会を見つけた。
そして早速そちらへ出向いてみたら、そこには知性を疑われてしまった先生とは全然別のタイプの、アメリカ帰りのソフトな感じの先生がいた。
私はこの先生の瞑想会でも相変わらずまたアホな事ばかり言っていたのだが、その先生は笑うだけで別に嫌な事を言う事はなかった。
例えば生意気そうな学生にナメた事を言われて「ゴラァ!ナメんなよ!これでも俺は偉いんだぞ」と無知を曝け出しながらプライドをひけらかしても「オーいいぞー」と冷やかすだけで知性は疑われなかった。それで私は「この先生となら上手くやっていける」と確信した。
実際その先生とは、それから20年以上経った今でもずっと付き合いがある。
その時こちらの先生が教えていた方法こそがマインドフルネス瞑想だった訳だ。あまり集中を使わないリラックスした雰囲気の中で行う方法だったので、先生には攻撃性のかけらもなかったし、私のような知性の足りない者にでも簡単に出来る方法だったので直ぐにハマってしまった。
その先生の著書
そういう事もあって、私は集中没頭型瞑想に悪い印象を抱く一方で、マインドフルネスの方に好感を覚えるようになっていったのだ。
ミャンマーで見たもの
そしてそれはミャンマーに来てからも変わらなかった。あちこちの瞑想センターを訪ねて修行させて貰った訳だが、集中没頭型の瞑想を修行する所では、どこに行っても必ず攻撃的な指導者がいて、修行者たちと散々トラブルを起こしていたのだ。
だから私は攻撃的な指導者を見ると直ぐ「何だコイツ?」と思って避けるようにしていた。また嫌な事を言われたりしたらたまったものではない。人によっては「修行者のためを思って厳しくしている」と言ったりしていたが、私は絶対それを信じなかった。
「攻撃的な奴ァ絶対に自分の好き嫌いで攻撃してる!大体な、修行をちゃんとやらせるために人の知性が云々言う必要があるのか?」
私はいつでもそう思っていた。またその高名な先生に辛辣な事を言われた体験を持つのは私だけではなかった。実際に瞑想センター滞在中に、私と同じような目に遭ったた数名の日本人に会っている。
ある禅宗の雲水さんは、その先生の元へ教わりに行った時「あなたは今までどんな戒律違反を犯しましたか?全部私に懺悔してみなさい」と言われたという。
戒律違反って何だそりゃ?「葬式で香典泥棒でもやっただろう?」とかいう意味か?
泥棒扱いか?それとも飲酒について言っているのか?イヤミか?いずれにしてもそれは酷い。
またある人は寺の跡取り息子だったのだが「過去世で悟りに至った聖者を非難した罪があるから今生で大乗仏教の寺に生まれた。大乗仏教を捨てなければ悟れない」と言われたという。
そしてその人は修行しても中々進歩しない事を悩み、その先生に言われた事を本気にして「よし!俺は大乗仏教を捨てる」と家族に絶縁状を書いてミャンマーから送った。だが、それでも進歩しなかったので、結局家族の元に戻り、その先生の方を捨てた。
そんな事もあって私は、攻撃性のない温厚な指導者のいる瞑想センターを求めてあちこち遍歴しているうちに、日本にいる時と同様にマインドフルネス瞑想の方にたどり着いた。
だから私は「集中没頭型の瞑想をやると悟っても攻撃的になる事が多いが、マインドフルネス瞑想ならそうならずに済む」という考えを持つに至ってしまった。
これはこれで私の偏見なので、何かあれば変わる事があるかもしれない。しかし月日を経る毎にその考えは確信に近づく一方になっている。
ちっとも私の考えを覆してくれる人に会えないというのが実情ではないか。
J氏が会ってきた指導者たち
「アハハハハ!なるほどね!」
J氏はそんな私の話を聞いて共感を覚えたような顔をして頷いた。そして「俺もゴエンカ氏のDJ瞑想センターでの10日間リトリートに出た時、やはり攻撃的な指導者がいたからオメーの気持ちも判るよ。確かにずっと集中力を切らさないように見張られていて、トイレに行ったらトイレまで付いてきたもんな」と言った。J氏もまた同じ様な考えを持っていたのだ。
だから私は瞑想の方法が好きでマインドフルネスに来たのではなく、攻撃的な指導者を避けるためにマインドフルネスに来た人間だという訳だ。かなり変則的と言えば変則的な選択方法をとった事になる。
「それは面白いよ!なるほど、別に瞑想法じゃなくてそういう風に選んでもいいのか?」
そしてその話は、マレーシアやタイ、ミャンマーで10箇所以上の瞑想センターを遍歴してきたJ氏にはよく判ったようで「じゃあさ、ちょっとこれ見てくれよ」と私にスマホの画面を見せてくれた。
そこにはJ氏が以前修行したというタイのお寺の指導者が写っていた。そこもまたマインドフルネスの瞑想センターだという。
「俺もオメーと同じく、方法よりも指導者で選ぶタイプだな。そしたら俺が今まで回って見た中では、この指導者が一番だったぞ」
「誰だろうこの長老は?」
当時の私はタイの手動瞑想の事を全く知らなかった。
だが、そう言われてみると確かに温厚そうな顔をしている。この長老ならトンチンカンな事を言ったとしても、知性を疑ったりはしない筈だ。疑ったとしてもその事を相手に言ったりしないだろう。だから知性の足りない修行者でも攻撃される事を心配をせずに、安心して修行に打ち込める。J氏はいい長老を知っているものだ。思わず感心してしまった。
「オメーの話は良かったよ。俺にも参考になった。それでオメーはこのSセンターにたどり着き、ここが一番いいと思っている訳だな。だがまだ知らない所があるぞ。ここよりこの長老のいるタイの瞑想センターの方がいい。オメーは絶対あそこの方が向いている」
「何っ!ここよりいい所があるって」
「そうだ!あそこが一番だよ。オメーはつまり攻撃的な指導者のいない所で心を落ち着けて瞑想したいって言うんだろ?俺もそうだ!だったらあそこしかない。俺は今まで10箇所以上の瞑想センター巡りをしたが、あそこ以上の所はないという事がこれでハッキリしたよ」
そう言ってJ氏は、とうとう腹を決めてしまったようだった。
最高の瞑想センター
そしたら彼は早速タイまでの航空券を予約し、タイに戻って手動瞑想を修行する準備をし始めた。ミャンマーにはこれ以上いい所はないと判ったらもう用はない。
手動瞑想とそれを修行するS寺に行って、それに専念したくなったのだ。優柔不断な奴だとばかり思っていたが、意外や意外、思い立ったら決断の早い奴ではないか。
「オメーのお陰で 決断出来たよ。俺は手動瞑想に専念する事にした。遍歴の旅はお終いだ。あとはあそこに定住する」
何と!私の体験談は彼の決断を助けてしまったのだ。他の瞑想センターに行くのであれ何であれ役に立てたのならばそれは光栄な事でもある。
「オメーも一緒に行かねーか?あそこの副住職は日本人だぞ!日本語で教えて貰えるぞ」
「何?日本人?そんな所があるのか?」それまで私は手動瞑想の事も知らなければ、そのS寺と日本人指導者のP師の事も何も知らなかった。その時J氏に聞いて初めて知ったのだ。
手動瞑想を見せて貰う
J氏はもう1週間ほどでSセンターを去る事に決めてからは、もはやSセンターの方法で修行する気はなくなり、瞑想ホールでも手動瞑想をやっていた。
普通は他の流派の方法でやるなどという非常識な事をするとトンデモない目に遭うのだが、ミャンマー人の中に手動瞑想を知っている人はおらず「コイツ何やってんだ?」と不思議そうな顔をされるだけで済んだ。
私もJ氏の勧めで少し手動瞑想をやってみたら、雑念や妄想に全く引っ掛からなくなり、いつでも気づいていられる状態になったので驚いた。
「これはいい!」
しかも指導者は写真で見せて貰った攻撃性のかけらもないような長老だ。今まで知らなかった事が悔やまれる。
「なあ、おい!一緒に行こうぜ向こうによ」
J氏も執拗に私を誘って来る。一緒に行く仲間が欲しいようだ。また、J氏に勧められて手動瞑想を試してみたアメリカ人青年も「オー!これはいい!」と一発で気に入り、J氏と一緒にタイのS寺に移る事を決めてしまった。
「どうすんだオメーはよー?早く決めろよ」
しかしそう言われても私はこのシュエウーミン式のマインドフルネス瞑想をもう長い事やっている。かなり効果のほどを実感出来ていて、手動瞑想の効果も判ったが、今更方法を変えようとも思わない。
「いいよ、俺はこのままここで続けるよ」
そういう訳で私はこの時J氏の誘いを断った。だが、もう少し早く手動瞑想に出逢っていたら、間違いなくそちらを選んでいただろう。
「俺の遍歴はこのS瞑想センターを見つけた時点で終わったんだ。もう他に移る事はないよ。J同様にな」
修行に専念したJ氏
それから1週間後、J氏はミャンマーを離れてタイのS寺へ移って行った。更にそれから数日後には彼の弟分のアメリカ人青年もそれを追って行った。そしてJ氏はそこでそのまま手動瞑想の修行に専念する事2年、何とか納得がいくまでやり続ける事が出来たという。
だが、残念ながら私は彼の修行ぶりがどんなものであったかを見る事が出来なかったので、ここで書く事が出来ない。もしどなたかご覧になられた方がおられれば、2016年の始めから2年間、S寺に滞在したドイツ人の大男J氏の修行ぶりは、果たしてどんなものであったのか?教えて頂ければ幸いだ。ちゃんと真面目にやっていただろうか?
こんな感じで修行者というのはいつも遍歴している。人それぞれ求めるものが違うが、それが見つかるまではあちこち転々として、放浪者のように落ち着かない。しかし一旦求めるものが見つかると、一転してそればっかりやってる定住者に変わる。
J氏はやっと手動瞑想ばかりの人になった。最初会った時とは全く別人のようにバカみたいにハマりまくって修行する瞑想バカJ氏。これでもう迷う事はない。