【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#47】ファビョる修行者

2021年11月19日金曜日

修行者列伝

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Sさん 韓国人 40代 女性


ソウル市



なぜこんな人がここに? 


 エレガント系修行者のSさんが、はるばる隣国の首都ソウルから、彼女に全く似つかわしくないヤンゴンのS瞑想センターまでやって来たのは2009年2月。


全く似つかわしくないとは実はSさんは、どこからどう見ても普通の韓国人とは違う、上流階級の香りに満ちた、やる事なす事全てが上品極まりない、落ち着いて優雅な雰囲気を醸し出す奥様だったからだ。


ルックスはもちろん真矢ミキそっくりの美人な訳だが、驚くのはその若々しさだ。40代半ばにはどうしたって見えない。お世辞抜きで10歳は若く見える。女優さん並みと言っても過言ではない。相当お金をかけている事が一目瞭然。



韓国の有名女優オ・ナラ。これで40代半ば



またSさんの凄いところは外見だけではなかった。英語はもちろんペラペラだったが、ご主人の仕事の都合でドイツにも6年住んでいたため、何とドイツ語までもがペラペラのトリリンガルでもあるという事だ。まさに才色兼備ではないか。


ではそのご主人の仕事は何かというと、参考までに聞いてみたら医師だという。


しかもSさんの料理の腕前はプロ級で、特にドイツ滞在中に磨いたというパン作りに関しては、本場の人々も感心する程のレベルだった。そのため彼女はS瞑想センターに長期滞在して長い間主食のパンを食べていない白人修行者たちのために、時々台所を借りては手作りのパンを焼いてあげたりしていた。


材料を買うための代金は当然修行者たちが出す訳だが、それでもSさんはフランス人が出した時にはクロワッサンを、スウェーデン人が出した時にはシナモンロールをといった具合に、器用にそれぞれの修行者の故郷の味を出してやっていた。


しかもそれをするのに徹夜でパン生地をこねて、早朝に焼きたてを食べさせてやるという配慮までしてあったのだから、凄い気の効かせようだと言うしかない。


またSさんは日本びいきで、その時に食材などを購入しに外人向けのスーパーに行くと、必ずと言っていいほど日本の食べ物を一緒に買ってきた。




ヤンゴン市内には外人向けのスーパーがたくさんある。
日本食品も揃っている。



彼女の好きな物は「わさび」と「モナカ」で、食事の時はスープやおかずなどにわさびを少量加え、韓国人らしくピリ辛風味にして食べていた。


ミャンマー料理は唐辛子をふんだんに使った激辛料理が多いが、韓国人が好む辛さとはちょっと質が違うのだろうか?そして食後はお茶とモナカのデザートとで優雅に締めくくるのだ。


モナカは私も少しお裾分けしてもらったが、私の場合はモナカとは、お盆やお彼岸に仏壇にお供えするための特別なお菓子だという変な概念があったため、その時ついうっかり「お彼岸でもないのに何でモナカを食べるんだ?」などと間抜けな事を思ってしまった。


しかしその直後にミャンマーにはお彼岸なんてない事に気づき、それは単なる自分の思い込みに過ぎなかった事を悟った。


その他にも私には「ちらし寿司は大掃除や引っ越しの後にだけ食べるもの」とか「シャンパンはクリスマスにだけ飲むもの」とか「お雑煮は正月にだけ食べるもの」「赤飯はお祝いの日にだけ食べるもの」などという、食べ物に関するおかしな幻想がたくさんあった。


そんなものはいつ食べようが飲もうが構わないのにだ。どうも日常と非日常とを食べ物で分ける癖があるのかもしれない。


「どうでもいいが、何でこんな地位も名誉もあるような勝ち組の人が、世間からはみ出したアウトサイダーばかりが結集してくるミャンマーの瞑想センターなんかにいるんだ?」


私がSさんを最初に見かけたのが2010年の暮れ。そんな訳で私は、彼女を見るなりそのように違和感を覚えてしまったのであった。



理解できない行動 


 だが時が経つにつれて、そんなSさんの不可解な部分がだんだんと目についてくるようになる。まずSさんは、私が会ったその時点で既に2年近くミャンマーで修行していた。その事は私を「旦那がいる身でよくそんな長期間に渡って家庭を留守にできるものだ」と不思議な気持ちにさせた。


また、彼女は韓国人なのに他の韓国人たちとは一切付き合わず、いつも同い年ぐらいのベトナム人女性とばかり一緒にいた。ちょうどその時期は年末で、冬休みを利用して修行に来ていた韓国人が30人ほどいたにもかかわらずだ。


そのSさんと仲のいいベトナム人女性とは、ハノイに住んでいた時にがん宣告を受けたため、瞑想で治そうとミャンマーに渡り、長期の予定で修行していた人だった。あまり滞在費を持ってこなかったため、Sさんに頼んでビザの延長代とその他の費用を負担して貰っているという。


実はSさんは、数か月置きにご主人がミャンマーまでわざわざお金を補充しに来てくれるので、いつでもそこそこは持っているらしい。だから仲のいい友人のサポートをするなんて朝飯前だ。


「しかし旦那も、よく女房が2年も家を空けているのに文句も言わず、そんな使いっ走りみたいな事をやってるな」


あまりの不可解さに、私は宿舎にいる時につい隣室にいた韓国人にSさんの事について聞いてみた。すると


「ああ、彼女なら韓国人たちの間では有名だから知ってるよ。噂を聞いた事がある」


という答えが返ってきた。有名?噂?何だそりゃ?また判らない事を言われてしまったぞ。益々不可解極まりない。そんな感じで、私はSさんについては何が何だかサッパリ判らなくなってしまった。


更にSさんは時折他の人々と話していて、突然「ごめんなさい」と言ってその場を離れてしまう事があった。そして少し離れた所で苦しそうに顔を歪め、必死に歯を食いしばって何かを耐えていた。


「何かの発作でも持っているのだろうか?」


しかしそう思ったのも束の間、数分後には何事もなかったかのように戻って来て、再びエレガントさを振り撒いているではないか。


このような感じでSさんといると、どうしても何か不可解な部分ばかりが目立った。だが、何が一体彼女をそのような行動に向かわせるのかは、いくら考えてもサッパリ判らなかった。




正体が発覚したSさん  


 そんな時、私は偶然バッタリとSさんが正体を露わにする事件に出くわした。それはある日の朝食後の事だった。S瞑想センターでは朝は5時半から6時までの間が朝食の時間で、食後は座る瞑想が始まる7時まで、歯を磨いたりトイレに行ったり、休憩したりしても構わない事になっている。


ほとんどの人々はその時間を貴重な憩いのひとときに充てているのだが、熱心な人々はそんな時でも休憩せず、真っ直ぐ瞑想ホールに向かい、歩く瞑想を始めている。



S瞑想センターの瞑想ホール



瞑想バカ一代の私は、その時間は勿論歩く瞑想をするために瞑想ホールに行っていた。そしてそこでは私以外にも、数名の熱心な修行者たちが歩く瞑想をしていた。



歩く瞑想のスペース



だが、その日に限って歩く瞑想のスペースの真ん中あたりでは、何と!柵にもたれながらSさんとベトナム人女性とが大笑いしながらダベっているではないか。


「おいおいキミたち!ここは瞑想するスペースなんだから静かにしてくれないか!」


そう言ったのは私ではない。私は人が話している横でも平気で瞑想できるタイプなのでそういう場合でも気にならないが、その時はフランス人のエンパスっぽい50代ぐらいの男性がいて、彼が困ったような顔をしながら彼女たちを注意したのだ。


するとその時だった。それまで上品極まりない態度で振る舞っていたSさんの顔が突然豹変した。そしてまるで下品極まりないズベ公のような顔つきになり、そのフランス人のオヤジに向かって拳を振り上げながら、何度も喚き散らしたのだ。



「何だとォ!?貴様は何様だー!?」



その時のSさんは、醜いとか恐ろしいとか鬼の形相とか、言葉で形容するのは不可能なほど激しく顔を歪め、悔しくてたまらなそうに叫びながら、何度も拳で宙を叩いた。その激しさ、必死の形相と言ったらまさしくこの下の画像のようだった。






火病に苦しむSさん  


火病(ひびょう、かびょう、ファッピョン、ファビョン、)は、鬱火病(うっかびょう、うつひびょう、ウルァッピョン/ウラッピョン、の略称で、文化依存症候群(文化結合症候群)のうち、朝鮮民族に顕著にみられる精神疾患と指摘されている病気で、北朝鮮と韓国でともによくつけられる診断名であるという。


米精神医学会『精神障害の診断と統計マニュアル』の巻末附録「文化的定式化の概念と文化と結び付いた症候群の用語集」では「韓国人にだけ現れる珍しい現象で、不安・うつ病・身体異常などが複合的に現われる怒り症候群」とされている。韓国には専門の「火病クリニック」もある。


朝鮮における火病の歴史は古く、朝鮮王朝時代にまでさかのぼる。正祖の母親は著書『閑中録』の中で怒りによって胸が痛み、極度の不安を感じたり、うつ状態になったりする火病と酷似した病を「火症」と表現している。火病は「お腹の中に火の玉があがってくるようだ」という韓国人に特有な愁訴が特徴で、「怒りを抑圧し過ぎたことによって起きる心身の不調」とされる。


『DSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアル』によれば、症候として、不眠、疲労、パニック、切迫した死への恐怖、不快感情、消化不良、食欲不振、呼吸困難、動悸、全身の疼痛、心窩部に塊がある感覚などを呈する、という。元「ミス・コリア」で韓方医のキム・ソヒョンによれば、冷えの症状のほか、消化不良、頭痛・めまい、慢性疲労、不眠・抑うつ症状などが現れる、という。


また、医師でメンタルヘルスガイドの中嶋泰憲によれば、不眠、激しい疲れ、パニック、今にも死んでしまうような感覚、冴えない気分、消化不良、食欲消失、息苦しさ、動悸、体の痛み、みぞおちのしこり感といった異変が心身に生じるという。


            wikipediaより



「あの韓国人女性は以前にも誰かに注意されてファビョった事があるよ。あれは病気だよ」


Sさんの日頃のエレガントさとのあまりのギャップにショックを受け、呆然とする私の横で、やはりその光景を目のあたりにしたあるミャンマー人男性はそのように言った。


更にSさんと同じ宿舎に滞在しているという中国人女性も、



「あの人宿舎でもしょっちゅうツマラナイ事でファビョってあんな風になってるよ。みんなで長老に訴えに行った事もあるけど、長老もとっくに彼女の事は判ってたよ。きっと今まで何度もファビョってるのよ」



と、彼と同様の事を言った。


この「ファビョる」という言葉の語源にもなっている火病(ファッピョン)・・・・そして私はそれが韓国特有の病気と言われる火病を見た最初の体験となった。




火病の原因 


 偶発的ではあったが、私はそのようにしてSさんの事情を知ったので、その時にそれまで抱いていた彼女への疑問が全て氷解してしまった。


彼女はご主人の協力を得ながらはるばるミャンマーまで来て、全く似つかわしくないS瞑想センターで、火病を克服すべく慣れない瞑想修行に励んでいたのだ。


このような人をどうして乱暴者扱いできようか?彼女の言動は全て火病によって操られているのだ。


守ってやらなければならない。


実際には私は単に貴婦人には親切な奴なだけだったりして。本音を言えば、やはり貴婦人でなければあのような光景を目撃しても、どのような反応を示したかは判らない。だが何はともあれ私はそれ以来、そんな風にして彼女には火病を誘発しないよう、細心の注意を払いながら接する事を心がけた。


しかしこの火病、隣国では年間11万人が発症し、患者の7割は女性なのだというから驚きだ。Sさんはそのうちの1人に過ぎない。それなら彼女は隣国では別に珍しい人ではない事になる。


では全体では一体どれだけの人が罹っているのか?隣国の事情になるが、これは想像するに恐ろしい事態だ。


火病に罹る原因は怒りの感情の抑圧だという。これはマインドフルネス的に解釈すれば、意識の奥底に発散されなかった怒りのエネルギーが蓄積されてしまっているという事になる。



火病のための瞑想法 





聞きかじりの話で、間違っていたら恥ずかしいのだが、ここで少しばかり意識について説明させて頂きたい。


人間の意識というものは実際には何層にも分かれているのだという。そして表層の意識で感情を抑圧してしまうと、その感情は行き先を見失い、意識の深層まで落ちていって、そこに溜ってしまうものらしい。


意識の深層の事を、唯識思想では阿頼耶識と呼ぶ。その阿頼耶識に蓄積された感情は薫習と言って、意識にその性質を染みつけてしまうというのだから大変だ。怒りの感情を蓄積して意識に染みつけてしまったら気持ち悪くて仕方なくなる。


染みついてしまうのは何も感情だけではない。日々何気なく思っている事や行っている事もそうだという。だから良からぬ事を思ったりやったりすると、それらが染みついて悪しき癖になってしまう。


抑圧されて蓄積された感情は、機会を見ては飛び出そうとしていつも様子を覗っている。Sさんがちょっとしたストレスでファビョってしまうのもそのためだ。些細なきっかけでも蓄積された膨大なエネルギーがあるから、その爆発力たるや凄まじいものとなる。


瞑想の世界ではうつ病なども、この感情の抑圧が原因になっていると言う。では、そういった怒りの感情を発生させる原因となるものとは何だろう?というとこれは「私」「私の」という概念だという事になる。物事に所有格を付けると、思った通りにならない時に怒りを生じさせてしまうのだ。そしてその「私」という概念も、そう思うたび意識に染みついてしまう。






ではその蓄積されてしまった感情やら想念やらはどうしたらいいのか?どうしたら意識は綺麗になるのか?というと、これは瞑想の世界では、表層まで上ってきた感情やら想念やらは、無視せずにしっかりと感じて見てやる事を勧める。


つまり感情をよく感じ、想念をしっかり見てやる事が彼らを手放し、発散している事になる訳だ。


そうする事が、嫌な性質の感情が薫習されてすっかり臭くなってしまった意識を清潔にする唯一の方法なのだという。


そしてマインドフルネス瞑想の目的は、この意識の浄化にあると言われている。


だから瞑想指導者たちは「嫌な事があったら直ぐ誰かに話せ」と言う。つまりそれが嫌な想念を手放し、感情を手放す事になるからだ。


そして逆に「いい事があった時は1週間ぐらいは誰にも言うな」と言う。喜びであればしっかりと薫習して、意識にじっとりと染み込ませておいた方がいいからだ。


そういう訳でSさんは長老たちの指導の元、日々抑圧された感情を解放しようと、もう2年もアレコレ奮闘していたのであった。


あの彼女が時折見せた顔を歪めて歯を食いしばっている姿は、実は怒りの感情をよく感じて発散しようとする、涙ぐましいまでの努力の姿だったのだ。しかし時々気づきを忘れると、あの時のように一発で蓄積された感情が爆発してしまうから恐ろしい。


尚、意識の階層について更に詳しく知りたい方は、こちらの在家の禅の指導者である渡辺充(克禅)氏の講義がオススメだ。この渡辺氏についてはまた後で触れさせて頂きたい。




その後のSさん  


では、その後Sさんは一体どうなったかというと、彼女は2010年以降、年末年始は必ずS瞑想センターに姿を見せた。その時も必ず友人のベトナム人女性と一緒にいた。どうやらこの二人、普段はずっとミャンマー国内のあちこちの瞑想センターを巡り、年末年始になるとSセンターに戻ってくるというパターンを繰り返しているようだ。


火病を患っているSさんと、がんの克服に努めるその友人とが、二人で相互に支え合いながら修行の旅を続ける姿は、行く先々の瞑想センターで指導者たちの胸を激しく揺さぶった。


そして2015年になると、S瞑想センターでは外人修行者用に別館として「DHAMMA  VIBHAJJA」(ダンマヴィバッジャー)をオープンさせた。


その時何と!Sさんと友人とはSセンター側から外人修行者用食事係に抜擢されたではないか。



最前列右端に座っているのがSさん



これはどういう事かというと「カピヤ待遇」と言って「あちこち放浪しなくても瞑想センターに職員(ボランティア)として住み込んで、外人修行者たち世話をしながらずっとここで修行していいよ」という、出家していなくても出家者同様、お布施で生活する事を許される身分になったという事だ。


ビザの延長から何からみんな瞑想センター持ちでやって貰える。これは我々放浪の修行者たちにとっては、ずいぶん光栄な話でもある。


そのようにしてボランティア活動と瞑想とに明け暮れているうちに、Sさんの症状はどんどん快方に向かったようだ。


私はその2015年に一度だけ彼女がファビョったのを見たきり、それ以降は全くそのような事は目にしたり、噂で聞いたりする事はなくなった


そしてそれからもSさんとベトナム人女性とは、別館の食事係のオバサンとして2020年の始めまでそこに留まる事になる。という事は、Sさんがミャンマーに来たのが2009年の2月だから、彼女は何と!11年間も瞑想センターで意識の浄化に励んだ訳だ。



Sさんとその友人が作った料理



これは彼女だけの努力ではない。彼女の背後にはいつでも彼女を支えてくれた家族がいる。


そして彼女はコロナ騒動が激しくなったのを機に、その家族の元へ帰る事にした。もうほとんどファビョる事はなくなったのだし、この騒動は彼女にとって丁度いい区切りになったのかもしれない。


11年も修行していると、Sさんを見てもそこにはもうかつてのようなエレガントさは感じられなくなっていた。いつも韓国の作務衣を着用し、頭には調理人用の帽子を被って、どこからどう見ても地味な食堂のオバサンにしか見えない。


ちなみにミャンマーでは、日本や西洋の調理人がするような格好は、モロにイスラム教徒の格好にあたるので、食堂のオバサンの衣服には色がついている。



ミャンマーのイスラム教徒たち



意識を浄化した人々 


 それで先程紹介した居士禅の渡辺充氏について話させて頂くが、実は私は彼とは25年前に、ある所で数回に渡って会った事がある。


なぜここで渡辺氏の話を出したかというと、実は彼も25年前はSさん同様、心に何らかの障害を持つと思われる人だったからだ。


とにかく彼には想像力が欠落していて、物事を目先の事でしか判断できず、こちらの言う事は何でも額面通り受け取ってしまって、何を言っても誤解されて全然話が噛み合わなかった。


また高慢で支配的で、私のやる事にいちいち口を出してきては、自分のいいように操ろうとしてきた。


彼の言いなりにならなければ嫌味を言ったりあてつけをしたり、あるいは周囲の事が全く目に入らないのだろう、時には電車の中にいても喫茶店にいてもガキみたいに癇癪を起こして大きな声を出した。とにかくうぜぇマニピュレーターだったのだ。


若い人は知らないかもしれないが、私の印象ではこの渡辺氏は、故横山やすしのようにいつでも怒ってばかりいるやかましい人だった。






「何だ!この上から目線の嫌味オヤジは!」



一緒にいるとあまりに苦痛だったため、彼との人間関係はそこで絶たせて貰った。だが、そんな性格でいて一番苦しかったのは自分自身だったのだろう。だからこそ彼は救いを求めて禅に打ち込んだのだと思う。


その彼を偶然25年ぶりにYouTubeで見かけた時、当時の彼とは全くの別人になっていた事にすっかり驚いた。恐らく目の前の事に没頭して何も見えなくなるタイプだから集中力は鋭かったのだろう、その後見事に禅定(対象との一体化)を達成し、修行を完成させてしまったようだ。


だからその渡辺氏が意識の浄化を説くと、かつての彼を知る者としては、非常に説得力がある。これは絶対にいい修行に違いないと確信できるのだ。


Sさんも長年に渡って意識の浄化に努めた。そして苦労した分、性格も磨かれた。


エレガントさが失われてしまった事だけは残念だが、それはまたエレガントな生活に戻れば直ぐに取り戻すはずだ。


しかしくれぐれもファビョる事だけは取り戻さないように。つまりプラスの部分は残して、マイナスの部分だけを手放すようにする訳だ。


難しいかもしれないが、そのためにはいい事は黙っていて心に染み込ませ、嫌な事は誰かに話して直ぐに手放すようにすればいい・・・って少しクドいか?








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  最終更新日 2023.12.31

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