K氏 韓国人 60代 男性
元韓国国営放送アナウンサーのK氏が初めてミャンマーのS瞑想センターまでやってきたのが2015年1月。それ以来彼はすっかり瞑想センターでの生活が気に入ってしまい、毎年1月になると必ずミャンマーまでやってきて、ひと月ほどみっちり修行していくのが恒例となった。
12月の瞑想センターは、どこも休暇を利用してミャンマーまで修行に来る欧米人たちでごった返す。
そしてひと月ほど修行して満足した彼らは、年が明けて休暇が明けるとスーッと潮が引くように去って行く。
だが、ホッとしたのも束の間、今度は欧米人たちと入れ替わるように韓国人たちが押し寄せる。韓国人たちは日本人や欧米人たちと違って、年が明けてから休暇をとる人が多いのかもしれない。
「マシッソヨ、マシッソヨ(美味しい)」
そんな訳で1月のS瞑想センターには、毎年30人ほどの韓国人が滞在していて、食事中はそんな風に韓国語やらキムチ臭やらが飛び交っている。ではそんな状態の所に元国営放送のアナウンサーが行くとどうなるか?
「何言ってんの、私はアナウンサーでも司会者ではなかったから誰も知りませんよ」
実はK氏は若い頃はアナウンサーではあっても、華やかな司会者やニュースキャスターではなく、ニュース番組の中で「えー警視庁記者クラブからです」とか「国会記者クラブからです」などと直接現場まで行ってレポートをする、地味な報道レポーターだったため、有名ではなかったという。
その後は現場を離れてニュースの原稿を書く裏方に回り、更にベテランになってからは、ニュース番組内で報道内容を判りやすく説明するニュース解説者になったという。その時の専門はアジア情勢と中東情勢だった。
「KBSの方は60歳まで勤めて定年退職しました。今は大学でアジアの歴史について教えています」
だからK氏は当然日本史や最新の日本の情勢についても詳しい。確かにテレビで解説できるだけの十分な知識がある。戦国時代の事でも幕末の事でも、下手な日本人よりずっと知っている。しかも彼は有り難い事に、反日感情の全くない、日本びいきの人でもあった。
また、同様にミャンマーの歴史についても詳しく、いつ頃仏教が伝わったとか、どこそこの都市は何百年前に何々の民族が支配していた時代の首都だったとか、今まで知らなかった民族間の対立の原因などについても、授業料免除で教えて貰った。
「凄い!何でも知っているぞ!この人は!」
という事でその頃同じ宿舎にいた外人たちは、K氏の事を尊敬の念を込めて「プロフェッサーK」と呼んだ。そのままだけど🤣
ミャンマーの近現代史
ちなみに日本でミャンマー(ビルマ)研究の第一人者と言えば、上智大学教授の根本敬氏だが、ミャンマーの近現代史について詳しく知りたいという方がおられれば、この根本氏のこちらの著書がオススメだ。
また根本氏は、先月日本政府がミャンマー軍事政権が送り込んだ5人の外交官を承認した件でミャンマー人たちから猛反発を喰らった問題についても、こちらのような見解を述べている。
関心のある方は参考までにどうぞ⇓
https://www.google.com/amp/s/www.tokyo-np.co.jp/amp/article/135789
更に根本氏について調べていたら、ちょうど今扱っている韓国人についての著作もある事が判明した。意外な事だが何かの縁だからこの際一緒に紹介させて頂きたい。
尚、この本ではイラストも根本氏自身の手によるものだという。何て多芸な人だ。しかも迫力満点の躍動感溢れる絵だが、根本氏は八面六臂の活躍をする凄い人だと改めて感心した。
K氏も韓国ではこの根本氏のようなアジア情勢のエキスパートとして活躍しているのだろうか?
非常ベル事件
話は飛んだが、そのK氏の特徴と言えば声がデカい事だった。
アナウンサーだった経験から大きな声ではっきりと話す癖がついているのかどうかは定かではないが、とにかく普段から元気さ丸出しの、腹の底から響かせるような太い声で話している。
板東英二に似ていると言えば判りやすいだろうか?
そうだ!K氏はちょうど性格も雰囲気も板東さんのように豪快で楽しい人だ。しかも全然偉ぶらない謙虚な人でもある。だからたぶん何か嫌な事があっても、K氏に会えばそれだけで忘れてしまえる。
もし板東さんがニュースの解説をやったらさぞかし楽しい番組になるだろう。まるでバラエティー番組そのものだ。そんな風にK氏が解説していたニュース番組も、さぞかし楽しかった事と思われる。
絶対アナウンサーよりお笑いの方がふさわしいキャラだ。
そんな訳でK氏はヒソヒソ話ができない。瞑想センターという所はあまり話をしてはいけない所だから、話す時はみんな囁くように話すのだが、K氏はこれが苦手でしょうがなかった。
ある昼食時の事だった。
韓国人たちは大概ミャンマーに来る時は、自分たちの国の食べ物を持ってくる。特に彼らが食事に欠かせないのがキムチだ。
更に韓国のふりかけ、韓国海苔、韓国味噌と、彼らはどこに行くにも民族の味と共に旅をする。そして食事前にいつもそれらを韓国人同士で分け合うのだ。
S瞑想センターの大食堂は広く、1月の朝食時、昼食時は200人以上もの修行者が集結している。
ミャンマー人と外人との割合はほぼ半々ぐらいで、そのうち30人は前述の韓国人。そして韓国人たちは、その日もいつものように、お互いにアレコレ言いながら韓国の味を分け合っていた。
「いやいや、もう結構ですよ、そんなに入れて貰わなくても、すいませんねたくさん頂いちゃって、ではお返しにこれをどうぞ」
そんな中でもK氏の声は、ひときわ大きく響き渡った。誰もが静かに食事前の読経に備え、自らの貪欲さを見つめながら心を鎮めている時に、あたかもそれを邪魔するかのように、K氏はただでさえ大きい声に更に一層拍車をかけて豪快に笑ったのだ。
「ガハハハハ、いいんですよ、遠慮しないでどんどん食べてくださいよ、ガハハハハハ」
そしてそんな感じで食堂の隅っこにいたはずのK氏の声が食堂全体に響き渡った時、突然食堂内に別のけたたましい音が鳴り響いた。
「ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ」
非常ベルの音だ!何事かと思ってみんな一斉に音のする食堂入口の方向に目をやった。するとそこには鬼の形相をした住職が人差し指で火災警報器を押しながら立っていた。
「誰だ話をしているのは!?静かに食べなさい!!」
そしてそう言いながら仁王立ちであちこち見回して声の主を探しているではないか。
S瞑想センターの食堂は2階建てになっていて、1階が尼さんや在家修行者用で、2階が比丘専用になっている。
比丘たちは戒律で在家者と一緒の席で食事をしてはならない事になっているので、食事の席ひとつとってもこのような配置に置かれている訳だが、どうやらK氏の大声は2階まで響き渡ったようで、驚いた住職が慌てて下まで注意しに降りてきたらしい。
瞑想センター内喫茶店
食事中はそのようにして、一人で異様なほどの盛り上がりを見せたK氏であったが、実は彼にはもっと凄い盛り上がりを見せるものがあった。
彼は何と!食後の憩いのひとときになると、この食事中よりも更に熱く激しく炎のように、まるでこのひとときに命をかけているかのように燃え上がるのであった。
そのため昼食後、食堂から宿舎に戻ってきたK氏は、同じ宿舎内の外人さんたちに次々と声をかける。
「これからコーヒー淹れますよ。欲しい人は私の部屋まで来て下さいね」
食後のコーヒーを美味しく飲む事に命を賭けているK氏は何と!いつもミャンマーの瞑想センターまで来るのに、わざわざ韓国から大量のコーヒー豆とコーヒーミル、ドリップ、フィルターなどを持参して来るのだ。しかもお気に入りの高級銘柄のものを自分の分だけではなく、恐らく5〜6人が1か月間飲める量に値する200杯分もの量を!
なぜそんな事をするかと言うと、彼には目的があったからだ。
K氏は昼食後になると毎日コーヒーミルに豆を入れてゴリゴリ挽いて、だいたい一回1リットル分ぐらいのコーヒーを淹れた。
その後は必ず宿舎中に魅惑的な香りが漂い、それに魅了された人々はフラフラとK氏の部屋に、まるでアリが砂糖に群がるかの如く集まってくるのがお決まりのパターンだった。
イギリス人、アメリカ人、ロシア人、ドイツ人、フランス人、スペイン人、そして日本と韓国等、同じフロアにいる外人たちが次々とK氏の部屋のドアを叩く。
そして彼をを囲んでいつものコーヒー片手の親睦会が始まる。親睦会と言っても一日10分ほどの雑談会だが、それでも色んな国の人々が集まって瞑想について話していると、人種、文化の壁を越えて親睦を深め合う事ができた。
「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
主催者のK氏はみんなが集まると、またそうやって豪快に笑ってみせた。見るからに凄く嬉しそうだ。そしてみんなはそんな彼を見て愉快な気分になる。
それを見たK氏は更に一層・・・・と、喜びの連鎖反応が次々と起こる。まさしく彼は修行者たちのムードメーカーといったところか?
「プロフェッサーKの淹れたコーヒーは凄く美味しいよ」
勿論最高なのはK氏が淹れたコーヒーだった。しかしどうも見ていると彼は、コーヒーよりもむしろこの親睦会の方が好きなように見えた。つまり彼はそれが目的で重労働(豆挽き)を厭わずにやっていた訳だ。
気づきを切らさないK氏
「この身体がなぜ動くのかというのが凄く不思議なんですよ。手を上に挙げようと思えばスッと挙がるし、指を曲げたり伸ばしたりしようと思えばピンピン動く。脳の神経細胞から筋肉に動かす命令が行っているだけでこんなに見事にバランスよく動く。一体このメカニズムってどうなっているんでしょうね?」
いつもそうやって豪快に笑ってばかりいるK氏だったが、実はただ単に食べたり飲んだりダベったりしている訳ではなかった。
彼の凄いところはバカ声で話していても、ちゃんと気づいているところだった。
あのような大騒ぎをしていても、やる事なす事全てにしっかりと気づいていたのだ。
これは並大抵のワザではない。
それもそのはずK氏には上述のように、脳と筋肉の動きの関係に対する並々ならぬ関心があったのだ。彼の言いたい事を要約すれば、恐らくこのような内容になるのではないか?
私は脳の機能については、全く何も知らない素人なので下手な事を言わないよう、こちらの説明の助けを借りる事にした。
https://www.bri.niigata-u.ac.jp/research/column/001306.html
「マインドフルネスをやる前は全くそんなの気にした事などなかったのですが、日々気づきながら過ごしているうちに、嫌でもそのメカニズムがどうなっているのかが気になってきたのです」
K氏の場合、ある日マインドフルに車を運転していたところ、色んな動きを同時に行っている自身の心身に気づき、とても神秘的な気持ちになったという。
それはつまり両手でハンドルを操作しながら前後の車との距離を考慮し、信号や標識を見ながらアクセルやブレーキの加減を調節し、また左右の車や歩行者に気をつけながらギアを変えたり、そういう複雑で微妙な動きを同時にやっている自分に気づいたという事だ。
「一体これはどうなっているのかと思って不思議な気分になりましたよ」
それはそうだ。
単に歩くだけにしても、立ち上がって身体のバランスをとりながら、足を上げたり下ろしたりしている。
しかも周囲の人々に配慮したり、綺麗な女性がいると目をやったり、目的地までの距離を考えたり、というのを全て同時にやっている。考えてみれば不思議だ。何でこんな事ができるんだ?
こういうのは実際には凄く不思議で神秘的な事なのだが、普段はあまりにも当たり前過ぎてちっとも気がつかない。
しかし日々の生活をマインドフルに過ごすようになると、そこで初めて事の重大さが判る。
K氏はこの心身の神秘に触れて、すっかり瞑想の虜になってしまったという訳だ。
罠にかかった経験
だがK氏は最初のうちは何という事か!そこで罠にかかってしまったという。
では彼が言うこの罠とは一体何か?というと
「色んな動作を全て同時にやっているのを見て『あれ?一体何をやってるのが俺なんだ?』と思ってしまった訳です」
これはどういう事かと言うと、例えば食事中は背筋を立てて姿勢よくしているのと、口をモグモグやっているのと、味を感じているのと、頭の中で食べる段取りを立てるのと、箸を動かすのとを同時にやっている訳だが、どれをやっているのが自分なのか?と思ってしまったという事だ。
実はこれはほとんどの修行者が陥る罠だ。
だから別にK氏だけの問題でもないし、みんなそうだから恥ずかしい事でもない。
「最初のうちは意識しているところだけ自分でやって、あとは無意識がやっていると思っていました。それで無意識について調べたりもしました」
私もその気持ちは判る。考えながら歩いていると、確かに考えるのは自分でやって、歩くのは無意識のうちにやっていると思うものだ。
「でもここの長老の本を読んだら考えが変わったんです。『自分』はないって判ったんです。
つまり自分が心身を操作しているというのは勘違いで、思考やら意志やら筋肉の動きやらはそれ自体で機能していると思うようになった訳です。
『自分』が心身を動かしていると思うと、色んな動きをしている中で、何をしいるのが自分なのかが判らなくなりますが、『自分』はなく、心身の機能がそれ自体で働いていると思うと、同時に色んな事をしていても、何の不思議もありません」
なるほど!
SUTの本を読んで罠から抜け出したのか!
だからK氏はSUTの指導を受けに毎年S瞑想センターまでやってくる訳だったんだ!
それにしても日々の気づきでそれだけ判ってしまうなんてそれは大したものだ!
「いやいや、まだ頭で判っただけですから、これから実際に体験していかないとガハハ」
そう言ってK氏はまた豪快に笑った。
勘違いのメカニズム
ではなぜK氏は、最初のうちは『自分』がやっていると思ったのだろう?
これは歩く瞑想でも何でもいいからやってみて貰えれば直ぐにお判り頂けると思うが、最初のうちはどうしても『自分』が身体を動かしているように感じてしまうものだ。
だからそんな時に仏教で言う「心身の中に自分という実体はなく、色受想行識の五つの心身の機能がそれ自体で働いている」などという話を聞いてもピンとこない。
しかし日常生活で気づきを継続させ、いつでも今の瞬間にいるようにすると、今の瞬間は『自分』を感じないので『自分』が身体を動かしているようには思えなくなってくる。
そしてそんな時に「五蘊がそれ自体で働いている」という話を聞くと「まさにその通り」と納得してしまうという訳だ。
だが、そこまで行くには日常生活をずっとマインドフルに過ごしていなければならない。
中々一筋縄ではいかないワザだからだ。
これはK氏が実際にいつもしっかり気づいているという証拠でもある。
だからああ見えても全て気づきながらやっているというのは、本当の話だと判る事になる。
そしてK氏が毎日親睦会を開催してくれるお陰で、修行者同士の交流もまんべんなく行われ、宿舎内の人間関係も良好になってきた。
瞑想センターという所はあまり会話をしてはいけない所なので、修行者同士いつも顔を見合わせていても、お互いどこの誰なのか知らない事が多い。
そういうギクシャクした部分は、掃除などのチームワークが必要な作業に露骨に出てくる。
意思の疎通ができていない同士が一緒に働くと余計な時間がかかって仕方ない。10分でできるところが20分かかってしまう。
だが、気心が知れた同士ならば、そのような作業もスムーズにいき、10分かかるところも5分でできる。
K氏の喫茶店の効果は、こういうところに如実に現れていた。言わば彼は修行者間の接着剤の役割をかって出ていた訳だ。
何よりも修行者同士がミャンマーの地で同じようなタイプの人々と知り合えるのが嬉しいではないか。なぜならここに修行に来る外人たちのほとんどは、母国では外れ物の孤独なアウトサイダーたちだからだ。
K氏はその経歴から見てもアウトサイダーとは思えなかったが、見ている限りでは、そんな奴らと交流するのが何よりも楽しそうだった。
いや、そんな奴らに会うためにこそ、わざわざ重いコーヒーを担いでやって来ているようにすら思えた。
一体彼は何者なのか?
引き継いだ喫茶店
外出して町の喫茶店でダベる修行者たち。この中に一人だけ日本人がいる。それは誰だ?
そんな感じで私は毎年、年末年始の3か月間をS瞑想センターで修行して過ごすのだが、1月の一か月間は昼食後になると毎日K氏主催の「瞑想センター内喫茶店」に行って、コーヒー片手に瞑想談議に花を咲かせる事になる。だが2月に入ると冬休みも終わるので、K氏は韓国に戻らなければならなくなる。
「皆さん今年もお別れの時が来てしまいました。私は仕事に戻らなければなりません。また来年お会いしましょう」
それにしても韓国の大学の冬休みは1月末までだというからずいぶん長い。しかし残念な事に瞑想センターにいると、それもずいぶん短く感じられてしまうのだ。
K氏は帰り際に残ったコーヒー豆を全部私に置いていってくれた。しかもちゃんとミルで挽いてある。量にするとネスカフェの大瓶いっぱい弱だ。プラスティックのドリップも紙のフィルターもある。毎日朝と昼に飲んだとしても、2か月ぐらいは持つだろう。
と、いきたいところだが、やっぱりそれはできない。私一人で飲むべきではない。
これはK氏がみんなで飲むためにわざわざ韓国から担いできたものなのだから。私が毎日昼食後にいい香りを漂わせて、また修行者たちみんなに分けるべきだ。
そういう訳でK氏が去った後は、私が瞑想センター内喫茶店を引き継いで、昼食後はみんなのためにコーヒーを淹れる事にした。
「いいよ、自分で飲めよ、せっかく貰ったんだから」
だが、何という事か!私がコーヒーを淹れても誰も寄ってこないではないか!
K氏が淹れたコーヒーには毎日5〜6人が群がっていたのに、私が淹れてもそんな事を言われるばかりで全然誰も飲みに来ない。
これは一体どういう訳だ?
そんな時、あるフランス人が言った。
「プロフェッサーKが去ったら、この宿舎もずいぶん寂しくなってしまったな。まるでライトが半分消失してしまったみたいだ」
それは私も思っていた事だ。あの豪快な笑い声が聞こえなくなったら、寂しくて寂しくて仕方なくなった。本当に灯りの消えた街角のようになってしまったではないか。
「そうだったのか!?」
そして、そこで私は初めて修行者たちが群がっていたものは、実はコーヒーではなかった事に気がついた。
「うーむ、どうもK氏のコーヒーの美味しさというものは、そういうものの事を言っていたような気がする」
それが本当なのかどうかは判らないが、いずれにしても私には、K氏と同じコーヒーの味を出す事はできなかったのだ。
そのように、私が毎年の再会を楽しみにしているこのK氏だが、今年の1月にはコロナの影響で会う事ができなかった。
これで2020年の1月以来、2年近くもご無沙汰している事になる。
その後のK氏の瞑想体験はどうなったのか?
彼の修行の進歩の度合いも知りたいし、何よりもまたあの「ガハハハハハハ」が聞きたいという思いもある。
だから私は今は一刻も早くコロナ禍が沈静化して、瞑想センターが正常に戻る事を願って止まない。
そして再開した際には、きっとまたK氏が戻ってきて、すっかり変わってしまった修行環境を、一発でいい雰囲気に戻してしまうに違いない。
コーヒー豆をガリガリ挽きながら。