M氏 日本人 40代 男性
大の渓流釣りマニアのM氏がミャンマーのS瞑想センターを訪れたのが、東日本大震災から4か月後の2011年7月。以前旅行でミャンマーを訪れた際、仏教とその教えに忠実な仏教徒たちの温和な性格に触れ、この国で出家して本格的に修行の生活に入ろうと仕事を辞めてやってきた。
「実はあの地震の半年前に自宅のブロック塀が古くなったんで変えたんですよ。地震が来たら倒れそうな気がしたもので。それでアルミ製の倒れても安全な柵にしたら、その矢先でしたからね、グラグラっと」
M氏の自宅は東京近郊にあり、震災時は心配していた通り地震の直撃を受けた。しかしそのように前もって対策を立てておいたため、被害はなく、それから程なくして日本を去る事が出来た。今から思えば半年前のその予感は、無事にミャンマーに発つための虫の知らせだったのかもしれない。
M氏はまずミャンマーに来てから真っ先にこの国の中央部にある聖地、無数の仏塔や寺院が建ち並ぶミャンマー仏教の一大拠点と言われる町、ザガインに行った。
彼はここで出家得度し、まずは教えを学ぶためにミャンマー語を学んだ。以前訪れた際にとある寺院の長老と知り合い、出家して仏教を学ばせて頂きたい旨を相談し快諾されていたのだという。そして今回の出家の運びとなった。
「被爆と言えば、私もしてるかもしれないんですよね」
2011年の震災時、実は私はミャンマーで修行していた。そのため福島原発の放射能漏れの被害状況が良く判らなかった。だからつい心配で、M氏にどのような状態かを尋ねていた。すると驚くべき事に彼はそう答えたのだ。
「釣り具の浮きを夜でも見えるようにするために、いつも夜光塗料を塗って使っていたんですが、昔の夜光塗料は発光させるために放射性ラジウムが入っていたんですよ。私はその瓶をずっと部屋に置いておいたからヤバいかもしれません」
何だ、そういう事か。そんな感じでM氏と話していると、何の話でもいつの間にか釣りの話にすり替わっている。出家した今でも釣りの醍醐味だけは忘れられないようだ。日本にいた時はいい釣り場があると聞くと、北海道から九州まで竿を担いで飛んでいったと言うから相当なマニアだったのだろう。では、そんなM氏を出家に至らせたものは一体何だったのか?
「私が仏教に興味を持ったのも釣りから来てるんですよね。渓流釣りって岩場の水苔でツルツルすべる足場の悪いところでやる事が多いんですが、転んで頭を打って亡くなる人が結構いるんですよ。言わば死と隣合わせ。それで今死んだらどうなるかとか考えているうちに仏教にたどり着きまして」
やっぱり思った通りだ。そんなM氏を出家に至らせたのも、やっぱり大好きな釣りだった訳だ。武道家とか芸術家がその道を極めようと心を見つめる生活に入り、やがて仏教にたどり着いたという話はよく聞くが、釣り人だってたどり着いたのだ。という事は、釣りというのも何か武道や芸術と共通するものがあるのだろうか?
貧困家庭の少女と出会ったM氏
話は変わるが、ミャンマーは6月始めぐらいから10月いっぱいぐらいまでは雨季という日本にはない季節になる。早い話が雨のシーズンで、毎日毎日5か月もの間ずっと雨の日が続く。湿気が多いし洗濯物は乾かないしで中々やり切れない季節だ。
特に雨が激しい7月半ばから10月半ばまでの3か月間は、雨安吾の時期(ワサ)と呼ばれ、仏教徒たちにとっては修行に専念するための聖なる期間となっている。
聖地ザガインにいたM氏が何故ヤンゴンのS瞑想センターまでやって来たかというと、実は彼はこの期間をここで瞑想して過ごすのが目的だった。彼が得度したザガインの寺院は学問寺で、瞑想は教えていなかったのだという。
そんなM氏だが、S瞑想センターに移ってから程なくしてミャンマーが抱える深刻な問題に直面する。
S瞑想センターはヤンゴン郊外の貧しい農村の一角にある。だからSに滞在するお坊さんたちは、当然毎朝托鉢でその村を周る事になる。そしてその時は嫌でもその村の人々の生活が目に入る。
M氏も托鉢しながらそんな村人たちと触れ合っていたところ、その中に一人、見るからに痛々しい姿の少女と遭遇してしまったのだ。
「5〜6歳の子かな?手や足に酷い火傷を負っていたんですよ。良く見たら手や足の指がくっついて曲がって、伸びなくなっていた。何も持てなくなっていたり、サンダルすら履けなくなっていたりしてました」
聞いたところによれば、その少女は停電の夜に蝋燭の火を灯しながら蚊帳の中で寝ていたところ、その火が蚊帳に燃え移って炎上し、焼けた蚊帳の網が少女の身体に貼り付いてしまったのだという。
しかしそのような深刻な火傷を負っても、ミャンマーの農民たちには治療する術がない。なぜなら彼らには先立つものがないからだ。
「絶望するしかない・・・・・・」
可哀想だが貧しい少女の両親にはどうする事もできなかった。このまま少女の痛々しい姿を黙って見ているしかない。そしてこの村の善良な人々も、少女を何とかしてやりたいと思えば思うほど、無力感に打ちひしがれずにはいられなくなるのであった。
日本から来た救世主
「何だ、それだったら吉岡先生に診て貰えばいいのに・・・・・」
だが、M氏はそんな話を聞いて無力感をおぼえるどころか、逆に希望すらおぼえた。
「あの子は絶対に救われる!!」
なぜなら彼は、そんな不遇の子供たちを救うためにわざわざ日本からやって来た救世主のような医師を知っていたからだ。
ワッチェ慈善病院
M氏が数日前まで滞在していたザガインの学問寺の近くには、何と!病気に罹ったりやケガを負ったりしても、貧困のために適切な治療を受けられないという子供たちのために、日本の医師が無料でその子供たちに手術を施す、日本のNGOが運営する特別な病院があったのだ。
この病院こそが発展途上国の子供たちを救うのを目的に、日本の小児外科医吉岡秀人氏が設立した国際医療団体ジャパンハートのミャンマーでの拠点であるワッチェ慈善病院だったのである。
吉岡秀人医師
「ザガインにいる間はこんな所でこんな活動をしてる日本人がいるんだと思って感心してたんですよ。凄い立派な事ですよね。それであの子を見た時に、ああ、それだったらと思いました」
神様になったM氏
「そういう事で、速攻で火傷の少女と保護者の父親とをザガインまで連れてって吉岡先生に会わせたんですよ。そしたら直ぐ手術だという事になって」
その結果少女は、皮膚の移植までは直ぐにとはいかないものの、くっついた指の方は切り離して元通りに動かせるように治して貰う事が出来た。勿論そのための手術から入院、リハビリまでの費用は一切かからない。
これにはもう少女の両親だけではなく、少女の近所の人々や、もう村中の人々までが歓喜せずにはいられなかった。
「あの日本人比丘は我々に希望を与えてくれた!」
そんな訳でM氏は、それ以来この村の人々から神様のように崇拝される事になった。何でも彼が言うには、托鉢で周ると村人たちはM氏を見るなりハハーッと土下座して感謝の気持ちを表すのだという。
「私は別に何もやってないんですけどね。ただ吉岡先生の事を教えてやっただけで。もしかしたら私が医療費全額負担したと思ってるんじゃないですかね?アハハ、勘違いもいいところ」
ちなみにこの吉岡氏の活動は、2011年当時はまだあまり知られていなかったが、それから10年以上経った今では、ミャンマーには知らない人がいないぐらいに人々の間に知れ渡っている。
疑心暗鬼のバックパッカー
そんなやりとりをしつつ、2011年のS瞑想センターでのM氏と私は、雨安吾の日々を黙々と修行して過ごしていた。そんな時、雨安吾も終盤に差しかかった10月に入ったある日の事、突然また一人の日本人がS瞑想センターを訪れた。
「ゲストハウスで知り合ったロシア人が、瞑想センターという所でしばらく瞑想修行をするというので、俺もどんな所か見たいと思ってついてきたんです」
見た目はアラサーの男性で、背はそれほど高くないが、がっしりとした体型に長髪で顎髭を蓄えている。どことなくプロレスラーの矢口壹琅の若い頃を彷彿とさせる風貌だ。どうやらバックパッカーとして東南アジアをあちこち周っている人のようだ。話によれば瞑想は全くやった事がないという。
S瞑想センターでは新しく入寮する人は、まずこのオーディオルームでガイダンスのDVDを見せられる。S式マインドフルネス瞑想のやり方をここで伝授される訳だ。
「説明が全部英語なので、何言ってるか良く判りませんでした」
だが、このバックパッカー氏、どうもこのガイダンスではしっかりとやり方が理解できなかったようで、寺務員に頼まれて私が彼に追加の説明をする事になった。そしてその時、私と彼との間で、ちょっとしたトラブルが発生する。
「それで瞑想する時の正しい心構えというか態度、考え方というのがあって、これが肝心な訳です」
そんな感じで私はバックパッカー氏にマインドフルネス瞑想の正しい心構えについて説明していた。
「だからポイントとなるのは瞑想中に心身に起こってくる現象に対して、判断や解釈をしないという事。つまり瞑想中に何か音が聞こえたり、何か感じたり、何か思い出したりしても、それを善悪とか優劣とか判断したり、自分なりに解釈したりしないで、ただありのままに観る事。そして俺とか俺のとも思わない。例えば過去の記憶が甦っても過去の俺とは思わず、ただ記憶が甦った事だけを確認する。俺の感覚などとも思ったりせず、何事も俺の抜きでありのままに観る事。それだけです」
S瞑想センターでは、大体新参者にはこういう説明をする。ワンパターンなので私などはうんざりするほど聞かされているから説明しろと言われればいくらでもできる。
「えっ?判断しない?」
だが、私がそこまで言った時、何故かバックパッカー氏は驚いたような顔をした。そして何故か私の顔を疑わしいような目つきで覗き込んだのだ。
あれ?何か変な事でも言ったかな?説明以外は何もしていないのだが?どうしたんだ彼は一体?
そんな事を思っていると彼は顔をしかめながら
「それってカルトなんじゃないんですか?」
と言い出した。
ええっ?何?どうしたの一体?カルトってどういう事?
「それ判断力を奪って思考停止させようとしてますよね?俺を洗脳しようとしてますよね?」
彼がいきなりそんな事を言い出したので私は頭が混乱し、何が何だか判らなくなりその時は何も答えられなかった。
日本人の偏見
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「そしたらそのバックパッカーはいきなりムッとして、そんなのカルトだって言うんですよ。この伝統的仏教のどこをどう見たらカルトに見えるんでしょうか?」
それから2〜3時間後、昼食後の休憩時間になり、私はそのバックパッカー氏とのやり取りをM氏に話していた。
「つまり彼は、判断や解釈をせずに俺のとも思わずにというのは、巧妙に人から判断力を奪って思考停止に陥らせ、更に自分の持ち物に俺のと思わせない事でその人から財産を奪う気だろうって言うんです」
カルトじゃないですか!それってモロにカルトの手口ですよ!
私は色んな修行者を見てきたが、こんな事を言う奴は初めて見た。何だコイツは?被害妄想でもあるのか?バックパッカーだからいつもボッタクられないようにしているうちに、猜疑心が強くなって何事にも疑心暗鬼になっているのか?本当に何を考えているのか判らない。
「アハハ、まあそれもあるけど、日本人らしいと言えば日本人らしいじゃないですか。それでその彼はどうしたんですか?」
そのバックパッカーなら昼食を食べたら瞑想せずに寝ていた。カルト呼ばわりしておきながら、食事だけはしっかりとって、のうのうと昼寝して、1週間ぐらいいるつもりでいるらしい。まったくアイツ一体どういう神経してるんだ?図々しいにも程がある。
「まあ、日本人には宗教に対する偏見があるからしょうがないんじゃないですか?私も日本にいた時は散々言われましたから。ミャンマーのお寺に行くなんて言ったら大変な事になりましたよ」
オマエは騙されてるぞ!そのお寺の住職はオマエが日本人だからお布施をたくさん貰いたくて親切にしてるんだぞ!!
「なんてね。もうこちらの言う事に耳なんか貸しません。実際日本では宗教なんて信者から金を奪う事しか考えてないから、そう思う気持ちも判るんですが」
確かにそうだ。日本では宗教者への風当たりはもの凄く強い。仏教や瞑想の話なんて絶対におおっぴらに出来ない。
あるいはヘタに煩悩がどうの・・・とか、貪欲さがどうの・・・などと言ったりすると
「それだったら人生の楽しみが何もないじゃないか!」
などとブチ切れられる。もう本当に日本では仏教の話はタブーだ。私もミャンマーに来る前にうっかり瞑想修行の話をしてしまい、M氏と同じ様に説教された事がある。
「何のために生きるんだ?」
E氏というその50過ぎのオヤジは、そう言って私のミャンマー行きを阻止しようとした。居酒屋でサバを肴に酎ハイをグビグビ呑みながら。だから私はその時、サバを指差してこう言ってやった。
それは何年だか前にEさんの身体から出ていったものが姿を変えて戻って来た訳ですよね?
「えっ?」
そのオヤジは一瞬驚いたものの、直ぐに私が言わんとした意味を理解したようだ。そしてあとは顔を引きつらせて黙ってしまった。
「クーッ・・・・・・」
一言で完全論破!!
そうだ。生きるなんてそんなものでたいそうな意味なんかない。また独立した個というものもない。みんな同じものでできていて依存し合っている。私はそれを理解したからこそ、修行に専念させて貰いにミャンマーまで来たのだ。
しかし普通の人々はそんな当たり前の事が判らない。常に偏見やら先入観やら判断や解釈を持って世の中を見ているので、全くありのままの現実が見えないからだ。だから瞑想時は判断や解釈をせずに私のものにもせずにありのままに見ろと言っている。思考停止するのではなく、正しい見地に立っておいてから正しく考えろと言っているのだ。
そうだ正見、正思惟だ!さっきはこの言葉が出てこなかったんだ!
私はその時、バックパッカー氏といた時はスンナリと出てこなかった正見、正思惟について思い出し、やっと自分を取り戻す事が出来た。
流れとは逆方向に泳ぐ
S瞑想センターでは4時からジュースタイム
「ヒロさん、夕方例のバックパッカーと話したんですが、何だ、好青年じゃないですか」
S瞑想センターは夜9時にその日の修行が終わる。瞑想ホールから自室に戻ろうと歩いていたら、M氏が私を追いかけて来てそう言った。
ハア?好青年?アイツが?Mさん突然何を言ってるんですか?
「私が日本人だと誰かから聞いたみたいで、夕方のジュースタイムに話しかけてきたんですよ。瞑想ってどうやるんですか?って。だから、いつでも何やる時でも気づいているんだよって教えてやったんです。ジュース飲む時も飲んでる事、グラス持つ指の感覚、冷たさや味、手の動きに気づきながら飲んでいればそれが瞑想なんだよって」
M氏の話だと、バックパッカー氏は瞑想や仏教の事は本当に何も知らない、何の知識もない全くの初心者だという事だった。
「だからヒロさんは彼に少し難しい話をしたんですよ。だって彼は晩御飯は出ないのかなんて事を聞いてくるぐらいですから、予備知識も何も持たずに来たんですよ。それだったら戒律の話なんかしたらまたドン引きすると思って、瞑想センターは支援者からの寄付で成り立っているから、彼らの負担を減らすために夜は食べないって言ったら、なるほどって納得してましたよ」
ハア?そんなもんですか・・・・・?
私は別に難しい話をしたつもりはないのだが、初心者にとってはそんなに難しかったのか?まあ言われてみればそうかもしれない。
日本にいた時も煩悩滅尽と言って、みんなに「そんなんじゃ人生何も面白くない」と噛みつかれただけじゃなく、プライドや自意識があるから苦しむと言って「プライドも自意識もなくなったら精神病院行きじゃないか」などと顰蹙を買ったりもしたからな。
それなら判断や解釈をするなと言われたら、瞑想を知らない一般の人なら、洗脳だと思って驚いてもおかしくない。
「ヒロさんは自分がスンナリと仏教を受け入れられたから、誰もがそうできると思っているかもしれませんが、それはヒロさんが変人だからできた事なんです。普通の人には仏教は理解し難いし、できたとしても受け入れ難いものなんですよ!それができるのは世の中では変人なんです!だから普通の人々に仏教や瞑想について伝える時は、マニアックな人がその面白さをマニアックではない人に伝えるようにしなければならない訳です」
例えは悪いが、マゾヒストが女王様に痛めつけられる歓びをそのケのない人に説明するようにしないとダメなんです。それを判ってないと、また一般の人が来た時にトラブルになりますよ!
変態・・・いや、変人なのか・・・・仏教を理解する事ができる者は・・・・・・・・・・
「そうです。我々が世間の流れと逆方向に進んでるだけです。渓流の魚みたいに上流に向かって泳いでいるんです」
出た!釣りの話!でも渓流の魚って逆方向に泳ぐものだったのか?イワナとかヤマメの事でしょ?知らなかった。しかし確かに普通の人の人生というのは、気持ちいい事を貪欲に追いかけて、気に入らない事があれば怒ってスッキリしてと、そういう方向に向かっているから、我々は実際にイワナやヤマメと同じ生態的特性を持っている事になる。
何?するとそれは、M氏はイワナやヤマメの生き様に影響されて修行の世界に入ってきたという事なのか?たとえ世の流れに逆らってでも上流を目指すという・・・・・
「それでも言葉で伝えるには限界がありますから、あとは受け取り手次第になります」
そうか、判った!要するに自分が今やっている事は普通の人々から見たら訳のわからない事なのに、それが当たり前の事だと勘違いして、仏教を知らない人にもさも当然の常識みたいに話したから「何を訳の判らねえ事言ってんだコイツ?」と怒らせてしまったという事か?
確かにあの時は相手の状況を考慮せずに、一方的に自分の言い分だけをまくし立てたもんな。なるほどそりゃあカチンと来る。
好青年だったバックパッカー氏
「すいません、明日は何時に起きればいいんですか?」
そんな感じでM氏と私が就寝前に廊下で立ち話をしていると、そこへ噂のバックパッカー氏が現れた。
えっ?ここは朝は3時半に鐘が鳴るが、瞑想するのアンタ?
私が驚いていると彼は上機嫌でこう続けた。
「いやあ、ここの宿舎にいる人たちはみんないい人ですね。友達たくさんできましたよ、ベトナム人とかマレーシア人とかロシア人とか。Tさんもいい人だし、あとは何ですか、あのアニメ好きのイタリア人は?アハハハ本当にいい人ばっかり」
その時宿舎には、このシリーズ第50話に出てくる日本人修行者T氏と第6話に出てくるイタリア人修行者のD氏もいた。
「みんな戒律守って煩悩を観察したりしてるからそうなんですかね?だから俺も明日から彼らと一緒に瞑想してみようと思って。ここ、凄くいい所ですよ。しばらくいようかな?もう沈没しそうです。アハハハハ」
そう言って去って行った。凄い嬉しそうにして・・・どうしたんだアイツ・・・・?
私が唖然としているとM氏が
「やっぱりそうでしたね。ヒロさんは彼に一方的にまくし立てたから反発を買った・・・でも他の人たちは・・・・・」
ニヤリと笑いながらそう言った。
葛藤を乗り越えたM氏
「私も釣りやってたから仏教に抵抗がある人の気持ちが判るんですよ。何しろ殺生が趣味だった訳ですから。自分の好きな事を否定されるというのは本当に辛いものです。だから若い頃から仏教に興味がありましたが、実践する気にはなれなかったんです」
M氏はかつては自分の好きな釣りとブッダの教えを学ぶ事との間に葛藤があったらしい。しかし今ではその葛藤を乗り越え、出家者となった。そのあたりの心境の変化は何が原因だったのだろう?一体何が彼の葛藤を乗り越えさせたのか?
「それはやっぱり釣りにのめり込んだからですよ。のめり込めばのめり込むほど仏教が身近になっていった。やっぱり釣りなんですよね、私の場合は、本当に」
やっぱり釣りね・・・そういう修行への入り方もあるんだな、逆説的と言うか・・・
殺生である釣りにのめり込んで、修行に目覚めたM氏。何の道を歩んでも、結局仏教にたどり着く人はたどり着くという事か!!
これは面白い!M氏は本当に面白い仏教へのたどり着き方をした。嘘みたいな話だが本当にこういう事ってあるんだ!これはいい話を聞いた!ではもう、これから釣り人たちの事を殺生している人々みたいに思うのはやめよう!仏教へと繋がる道だ!釣りこそは実は瞑想修行の近くにあるものだったんだ!
などと判ったような事を言っているが、実は私はこの時勘違いをしていた。M氏の言った事を誤解していたのだ。実際には彼は釣りに行っていつも死と隣合わせの状態でいて、死について考えれば考えるほど仏教が身近になってきたという意味でそう言っていたのだが、私はそれを
M氏は渓流釣りでイワナやヤマメを見ているうちに、流れに逆らって生きる彼らの生き様に感銘を受け、自分もたとえ世の中の流れに逆らってでも仏教の修行の道を行かなくてはならないという気持ちを強めた
と受け取ってそのように感心していたのだ。
何故そう思ったのかは判らない。M氏が言った、渓流の魚は流れに逆らうという話が強く印象に残っていたからだろうか?それは定かではない。
そんな訳で、話というものは中々噛み合わないものだとつくづく思った。