【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#56】闇の深い修行者

2024年4月20日土曜日

修行者列伝

t f B! P L



P氏 アメリカ人 40代 男性


闇の深いP氏が、アメリカ西海岸の都市シアトルからS瞑想センターにやってきたのは、2013年の1月。その頃私はSから歩いて7〜8分のところにある、アメリカ人女性とスイス人女性が教える白人女性だらけの瞑想センター、CMにいた。この時のエピソードはこのシリーズ36話の「自作自演の修行者」に書いてある。


CM瞑想センターの方では、外人が修行できるのは12月〜2月までの3か月間だけなので、3月に入ると私は今度はホームグラウンドのS瞑想センターへと移った。そこでP氏とばったりと遭遇した。


何しろP氏は宿舎内だろうが瞑想ホール内だろうが、いつでもどこでも昼でも夜でもサングラスをかけていて、話すとところどころろれつが回っていない、怪しい雰囲気いっぱいの人だ。しかも瞑想指導の時はいつも渇望感の話ばかりする。どうも彼はいつでも渇望感に苛まされていて、そればかり観察しているみたいに思えてしかたない。

彼はヒスパニック系で、白人にしては小柄な方なのだが、メキシコ人俳優のディエゴ・ルナそっくりのイケメンだ。それなのにいつでもサングラスで顔を隠しているのはどうも勿体ないような気がする。

ディエゴ・ルナ

「生い立ちに何か問題があったのではないか?それとも虐待を受けたとか?あるいは繊細過ぎてボロボロになったとか?」

そして、そのようになってしまう人は大概心の闇が深かったりする。だからP氏が何も言わなくても、誰もが彼の事を複雑な心理状態の人であると認識していた。

P氏の闇


S瞑想センター寺務所

「ヤダ〜💦何言ってるか判らない」

ある時私が瞑想センターの寺務所でビザ更新の手続きをとっていると、そこへP氏がやってきて寺務員さんたちと二言三言言葉を交わしていた。彼は少しろれつが回っていないため、話す時は聞き手の事を考慮してゆっくり判りやすく話してくれる。だが寺務員さんたちはそれを聞いてクスクス笑っているではないか。

S瞑想センターの寺務員さんたち

「なんて失礼な!」

あまりの事に私は唖然とした。いくら何でも丁寧に判りやすく話している人にそれは失礼だ。だが、その時は私は何も知らなかったからそう思ったが、それは実はミャンマー人たちの、ろれつの回っていない人々に対するお決まりの態度だったのだ。

ミャンマー産の覚醒剤の錠剤ヤーバー

ミャンマーは人口のほとんどが敬虔な仏教徒の国だが、同時に世界最大のアヘン生産国でもある。また、覚醒剤などの化学物質も盛んに生産されている。これは政情不安から来る貧困によって、麻薬ビジネスに手を染めなければならない人々が多い事を意味する。

【ミャンマーの薬物事情についてはこちらからどうぞ】

そのため薬物中毒者が多く、どこに行っても街を歩けば彼らを見かける。彼らは目が血走っていて瞳孔が開き、昼間でも夜の猫の目のようにギラギラ光っているから一発で判るのだ。そういう人々を見かけるとミャンマーの人々は「しょーもない」みたいな感じで呆れた顔をする。

「寺務員さんたちはP氏に、ジャ◯キー蔑視の態度で接していたんだ!!」

ジャ◯キー蔑視。ミャンマー人たちは彼らにホトホト手を焼いているので、そのような人を見ると、ついそういう態度をとってしまう事になるのだ。

ついでに言えば、私が日本にいた時も周囲に闇の深い、いわゆるシ◯ブ中が何人かいた。ある者は逮捕されて3か月拘留され、執行猶予付き判決が出て釈放されたものの、職も信用も何もかも失い、1日6千円のチラシ配りのバイトで何とか食いつなぐしかなかった。その彼は◯屋の牛焼肉定食が好きで、仕事に行く前に必ずそれを食べてから電車に乗って出勤するのが日課だった。

しかし彼は店内で牛定を食べる事はできなかった。周囲の人々の視線が気になってしかたないのだという。彼はどんな時でも被害妄想に怯えていたのだ。そのため彼は牛定をテイクアウトにしてもらい、いつも電車に乗る前に駅のトイレの個室で食べていた。そこだと誰の目も気にならず、安心して食べられるのだという。

また、ある者は逮捕は免れたものの、やはり常用を止めても被害妄想は治らなかった。彼はとあるショップを経営していたのだが、店員たちが売り上げを誤魔化したり、何か良からぬ事を企んでいるような気がしてしかたなかった。そのため店員が休憩時間に店外に出るたび、それを後から追いかけて尾行していた。だがそれはみんな店員たちに筒抜けで、店員たちは彼の事を気持ち悪がり、みんな辞めていってしまった。

だから一旦薬物に手を染めてしまうと、身体ばかりではなく精神的にもボロボロになり、奇行ばかりを繰り返すハメに陥る。しかも本人はそれを奇行だとは思わず、実に賢明な行いだと思っているからますます質が悪い。そうしているうちに真っ当な生活がおくれなくなってしまうのだ。

P氏も何らかの薬物をやっていたとすれば、彼らと同様に妄想に振り回されては奇行を繰り返していたに違いない。薬物を乱用した者は、最終的には必ずそこに行き着くのだから。

ついでに薬物乱用の妄想について調べていたら、恐ろしい妄想がある事が判ったので少しだけ触れておくと、乱用者は被害妄想に罹る人が圧倒的に多いものの、中には体内を虫が這う妄想である、寄生虫妄想なるものに罹る人々もいるというのだ。


これに罹ると体内の虫を取り出そうと、必死でナイフで自分の身体をほじくったりするらしい。だがそれを端から見ると自傷行為以外の何物でもない。実際には虫などいないのだから。この妄想の原因は薬物だけではないものの、これに罹っている人はアメリカには9万人近くいるのだという。

ガ~ン!恐ろしすぎる!

責任感の強いP氏

S瞑想センター瞑想ホール

S瞑想センターの朝は早く、3時半には起きて4時には瞑想ホールで瞑想を始めていなければならない。サボりたくても修行者がちゃんと出席しているかどうかをチェックする尼さんがいるので調子のいい事はできない。

そしてそのまま5時まで瞑想すると、今度は掃除の時間になる。5時45分から朝食なので、それまでに瞑想ホールや宿舎を掃いてモップがけしてしまわなければならないのだ。

だが掃除はチェック係の尼さんがいないので、サボろうと思えばいくらでもできる。実際にサボっている人がほとんどだ。こんな時でもクソ真面目に掃除するのは、日本人と韓国人、ドイツ人といった勤勉な民族だけになる。

しかしその時は韓国人もドイツ人もおらず、20人ほどいた姑息なミャンマー人たちはものの見事に全員逃げてしまい、10人ほどいた外人もほとんどが逃げて、残ったのは日本人である私と、アメリカ人にしては勤勉なP氏だけになってしまっていた。

そこで判明したのはP氏は私が来る前は、ずっと一人で毎日広い瞑想ホールを食事の時間ギリギリまで、掃いてモップがけして綺麗に掃除していたという驚愕の事実であった。その期間はひと月にも及ぶ。

「何という責任感の強さだ!普通はみんなサボっていたら自分もサボるものだが」

それで私は頭にきて、その事をサボりチェック係の尼さんに伝えた。

「ええっ?ウソ!!」

そしたら尼さんは、翌日からは掃除の時も出欠を確認するようになり、もう誰にもサボらせないようにしていた。30人ほどで手分けしてやると、広い瞑想ホールの掃除も5〜6分で終るようになり、P氏もやっと重労働から解放された。

「しかし酷い奴らだな。真面目なP氏一人に義務を押し付けやがって。アイツらとても修行者とは思えない」

掃除を終えて、私はムカつきながらP氏にそう言った。ミャンマー人たちの無責任さは日頃から良く判っていたが、驚いた事に数人いたアメリカ人たちも、誰もP氏を手伝う者はいなかったのだから。

だが、私がそうやって連中を非難していると、何と!当の本人のP氏は

「あんまり他人の事をどうのこうのと思わない方がいいよ。他人の過失は見なくていいってブッダも言ってるしね。他人をどうのこうの思うと気づきが失われるよ」

と言うではないか!彼は全然掃除を押し付けられていた事を気にしていなかったのだ!何だ?彼は掃除が好きだったのか!?

いや、違う!バカになってるんだ!彼はバカになって損得勘定抜きで修行しているんだ!修行バカだ!P氏は修行バカだったんだ!

それでまた私は彼の闇の深さを垣間見たような気がした。なぜなら人間というのは、何か闇がなければそこまでは修行しないからだ。やはりみんながサボっていれば一緒にサボったり、サボらなかったとしても不満や文句を言わずにはいられない。

P氏!あんたは今まで一体どういう修行をしてきたんだい?

それで思わず私はそう聞いてしまった。

P氏の修行体験

サンフランシスコ郊外のスピリット・ロック瞑想センター

「俺は瞑想始めたのは5年ぐらい前だが、最初はアメリカのマインドフルネス瞑想の草分けであるジャック・コーンフィールドが設立した、スピリット・ロックに行ったんだ。そこで10日間の合宿に出たりしたんだけど、いかんせん高くてね、1泊100ドルもするからさ(当時の値段。現在は1泊500ドル=75000円)」

だからP氏はまず参加費の安いベトナム寺の合宿を主戦場にしたという。特にベトナム寺は西海岸の方にはたくさんあって利用しやすかったそうだ。

そのうち彼はカリフォルニア州で仏教と瞑想を広める、ミャンマー出身の在家の女性瞑想指導者、ティンティン師が主催するセートーウィン・ダンマセンターを見つけた。風光明媚な瞑想センターで一発で気に入り、常連になったという。



ティンティン師は産婦人科医でもあるのでドクター・ティンティンと呼ばれている

「しかし初めて瞑想センターに行って瞑想している人々を見た時は、みんな脚を組んで難しい顔してじっと座ってるから、コイツら何考えてるんだって、不気味に思えてしかたなかったね」

20〜30人もの人々が胡座をかいて目を閉じて、じっと動かずに座っている姿はとても不気味で、みんなで何やら自分を陥れようとでもしているかのように思えてしかたなかったと言うP氏。やはり彼には被害妄想があったのか?そしたら瞑想指導者は彼にその恐怖感を観るように言ったらしい。

集団で瞑想している姿はP氏には恐怖だった

だがP氏は、自分に恐怖感があるとはどうしても思えなかった。自分が怖がっているのではなく、実際に怖い奴らがいるとしか思えなかったのだ。

「だから全然自分の方に心を向けられない訳だよ。それで他人の事ばっかり見てたね。あいつは何考えてんだとか。あいつは俺をバカにしてるとか。それでその事を指導者に言ったら、じゃあ気づきながらそれをやれって言うから、気づきながら不気味な奴らを見てたんだ」

これで判るのは最初期のP氏は、他人ばかりを見ている的外れの修行者だったという事だ。他人には目もくれず、ひたすら自分の状態ばかりを見つめる現在のひたむきな彼の姿からは想像もつかない。

しかしそういう事をやりながらも彼は、瞑想の効果を実感するようになる。目に入ってくるものを何でも気づきながら見ると、恐怖感が和らいだのだ。そしたら自分が恐ろしいと思えば思うほど、見るもの聞くもの何でも恐ろしく見えてしまうという、心のカラクリが判ってきた。

そしてその恐怖を誘発するものは、自身の解釈である事も判ってきた。つまり恐怖感は、自分で見るもの聞くものをあれこれ解釈するのが原因で起こってくるという、心のプロセスが見えてきたのだ。

「この解釈グセが苦しみの元凶だな。なぜなら見るもの聞くものについて何も考えなければ、恐怖感も怒りも嫌悪感も何も出てこないんだから。しかもこの解釈は全部勝手な決めつけで、全然当たった試しがない。俺はこの解釈グセで苦しんでいる事がはっきりと判ったんだ。いや、自分だけじゃない、誤解ばかりして他人をも苦しめている」

P氏の体験から言えば、我々は何かを見聞覚知すると、サンニャー(想)という機能が働き、それに知識や概念を当てはめて認識するのだという。だから別に解釈しなくても見たり聞いたりしたものの事は判っているらしい。だから解釈は必ずしも必要ではないという事だ。

「そして解釈する時には必ず『俺が』と考えている。『俺』ってのは実在しない架空の概念だから、『俺』がいるって信じてるってのは、ユニコーンや人魚が実在するって信じてるのと同じ事だ!迷信を盲信してるんだから!つまり解釈するってのは、妄想してるって事だ!我々はそうやって妄想に振り回されて、自分も他人も苦しめている事になる」

どうやらP氏は、瞑想修行によって自身が妄想に振り回され、周囲に迷惑をかけまくっている事に気づき、更生したようだ。そこには指導者たちのアドバイスがあった事がうかがえる。

そして今回彼は心のプロセスも見えてきて、気づきもだいぶ継続できるようになったので、ティンティン師の勧めでミャンマーのS瞑想センターまで来て、3か月間の長期の修行に挑んでいるところなのだという。

P氏の闇を探る


「人間はみんな妄想に振り回されてるんだ。薬物やってる奴もやってない奴も、みんな自分の妄想に騙されておかしくなってるんだ」

そしてP氏は、人間とは薬物を乱用する人々のみならず、健康な人でも、正常な人でも、全ての人は妄想に惑わされておかしくなっていると言う。

「過去の事を考えて後悔するのも、未来の事を考えて不安になるのも、みんな妄想のせいだ。考えなければ何にもないんだから。それに他人から何を言われようが、どんなに非難されようが、それについて解釈しなければ腹も立たないし、傷つく事もない。これで判るだろ?心を乱すものはみんな妄想なんだぜ」

みんな妄想して考え過ぎるから心が病むんだ!!みんな妄想の暴走に歯止めをかけられないんだよ!!みんなが恐れているものは自分の外にはない!!自分の心にある妄想が暴走するのが怖くてしかたないんだよ!!

P氏によれば、薬物はその妄想を止めるためにやるのだという。誰もが頭にこびりついて離れなくなった事を忘れたかったり、他人の目も非難も何も気にならなくないようになりたくてやるのだから。


だが薬物では妄想は止められない!頭を麻痺させているだけであって、逆に異常な妄想によって更に苦しめられるようになるだけだ!

「だから妄想を止めるには、常に自身の心身に起こる現象に気づくようにして、今の瞬間にいるしかないんだ!俺はそれが判ったから他人に目を向ける気なんかなくなったんだ!見るのはいつも自分の心身の状態だけになったんだ!」

そうか!それでP氏はあのように常に気づきをキープして、他人の方には目を向けず、いつでも自分の心身の状態だけを見るようになったのか!

やはり思った通り、P氏のあの修行に対するひたむきさの裏には、実際に深い闇があったのだ。

妄想は誰がやっているのか


ついでにまたアメリカの薬物乱用者の健康被害の状況を調べてみたら、これまた凄い事が判った。驚いた事に彼の国では薬物の過剰摂取で亡くなる人は年間10万人にも上るのだという。これは一日平均300人が亡くなっている計算になり、不慮の事故に次いでタヒ因の7番目にランクされている。

【アメリカの薬物過剰摂取についてはこちらからどうぞ】

P氏に言わせれば、これはみんな暴走する妄想に歯止めをかける術を知らない者たちの末路だという事か?こうなるともう彼らは、妄想に◯されたと言っても過言ではない。

では、その妄想というのは一体誰がやっているのだろう?どうしてそんなにも止められないものなのか?他人から非難された事が頭から離れないとはどういう事なのか?心配で夜も眠れないとはどういう事なのか?思考は身体内の臓器のように、自分の意志ではどうにもならないものなのか?

実は結論から言えば、妄想というのは自分でやっているという事になる。思考というのはほとんどの人は気づいていないが、実は自分の意志でやっているのだ。アレコレ考えて夜も眠れないというのも、実は自分の意志でやっている訳だ。心が勝手に考えてしまって止まらないというのはウソだ。

だから妄想が暴走して止まらないというのも、実際には他でもない、自分でやっている訳だ。身体を動かすのを自分でやっているように、考えるのも自分でやっている。

例えば手を動かす時は、動く0,2秒とか、そのぐらいの一瞬前に動かそうという意志が働いている。思考も同様、考える一瞬前に考えようという意志が働いて、それから考えているのだ。自分の意志で考えているのだから、実は自分の意志で自在に止める事もできる。妄想を止められないというのは、実は開いた口を閉じる事ができないというのと同じ話な訳だ。

しかしほとんどの人は自分で意志して考えているのが判らないのでそれができず、心がまるで意のままにならないように感じられる。意志が判らなくても、考えた事に直ぐ気づけば妄想は止まるのだが、それもできず、妄想にいいように振り回されるしかない。

ちなみにマインドフルネス瞑想では、考える意志が判らなくても、妄想せずに済むためのテクニックを幾つか教えている。参考までに挙げてみると、まずP氏がやっていた常に気づいて、今の瞬間にいるのが一つの方法だ。

それから思考の背後にある感情を観察して、妄想しないようにする方法。更に嫌な事や憎い相手が頭から離れない時は、甦る記憶が生じては滅する様子を観察して、妄想しないようにする方法。

あるいは相手の言う事を一旦「うん」と受け入れたり、慈悲を送ったりしている時は、相手から何を言われようが解釈したりしないので、この方法も妄想避けには効果的だ。この場合は「他人からどう思われても構わない」と腹を括ってしまうとより効果的になる。

これらは別に秘密でも何でもないので、妄想過剰でお悩みの方は、どうか薬物などに頼らず、一度お試し頂きたい。妄想には薬物より瞑想の方が効くとご理解頂ければ幸いだ。

アメリカで年間7万人が命を落とすという合成麻薬フェンタニルの中毒者たち

話は飛んだが、そんな感じで私はP氏と話しているうちにすっかり時間の経つのを忘れ、話の中に没入してしまっていた。彼の妄想を厭う気持ちは私にも痛いほど伝わってきて、共感を持てて嬉しかったのだ。久しぶりにいい話が聞けたと思い、喜んでいた。だがそんな時だった。

「こんなところでいいかい?もう朝食の時間だよ。まあそんな感じで俺はもう本当に妄想はたくさんなんだ。あとは妄想のないスッキリした目で世界のありのままの実相(パラマッタ)を見たいね。だから他人の状態に目を向けるのはここまでだ。俺はいつでも自分の状態に目を向ける」

そう言ってP氏は突然話を切り上げ、さっさと朝食のために食堂へと向かってしまったのだ。時計を見るともう5時45分になっている。

「いけね!もうこんな時間だ!申し訳ない!長話ししてしまって」

私も急いでモップを片付けて、彼を追いかけながら

いい話を聞かせてくれてありがとう!面白かったよ!

と声をかけた。やっぱり闇が深いと人間的にも深くなるものなのかもしれない。小走りに駆けながら私はそんな風に思っていた。

P氏との有意義な出会い

シャン高原のベトナム寺(ダモダヤ瞑想センター)


P氏がS瞑想センターを出て違う瞑想センターに移ったのはそれから数日後の事だった。何でもシャン高原にベトナム寺があるという話を耳にしたので、ミャンマー滞在期間の残りの1か月はそこで修行して過ごすのだという。彼はベトナム寺にも相当な思い入れがあるようだ。

「でもここにいればいい指導者がいて色々アドバイスして貰えるのに、何でわざわざ指導者のいない田舎寺まで行くんだ?もしかしたらベトナム寺が好きというのは言い訳で、実際には何か違う理由があるのでは?」

彼が去った後、朝の掃除をするたびにどうも彼の事を思い出しては淋しい思いをした。せっかく知り合えたのも束の間、P氏はあっという間に去って行ってしまったからだ。あまりにも突然すぎて彼の言う事が受け入れられず、そんな事を考えたりもした。

掃除押し付けられたり、寺務員さんたちに蔑視されたり、私にも闇の部分に突っ込まれたりして・・・・・

淋しさと共に、いつも私の胸中にはそのような思いがよぎっていた。

だがそれはP氏に言わせれば全くの妄想だ。そんな事を考えても彼には相手にされない。彼との出会いを有意義なものにするためにも、ここはひとつ彼のように心を自分に向けて、何も考えず、ただ自身の淋しさを観察するだけにした方がいい。

私はそんな風に、瞑想ホールをモップがけするたびに彼を思い出し、心を内に向けるように努めていた。

そしたらひと月後、P氏は帰国直前にまたS瞑想センターに戻ってきたではないか。世話になった長老たちへの最後の挨拶に立ち寄ったのだという。彼と再会した私は、謎だったベトナム寺に移った本当の理由を聞かずにはいられなかった。すると彼は

「単に3月のヤンゴンは暑いから高原の避暑地の瞑想センターに移っただけ」

と、何の迷いもなく、即座にそう答えた。そこには嘘偽りは微塵も感じられなかった。

あちゃー、やっぱり妄想しちゃダメなんだ!本当に勝手な決めつけで、当たった試しがない!

それによって私は全く見当違いの妄想に耽ってアレコレと心配していた事がハッキリし、ただただそれを恥じるしかなかった。それと同時に、P氏に何か嫌な事があったのではなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろす事ができた。また闇が深くなったりしたら大変なのだから。



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  最終更新日 2023.12.31

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