【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#36 】自作自演の修行者

2021年4月24日土曜日

修行者列伝

t f B! P L





Bさん ドイツ人 40代 女性



 ハーシ式のCM瞑想センターのスイス人の女性指導者A師が骨の癌で左足の膝から下を切断したのは2012年の9月だった。






A師がスイスの病院で手術を受けている間、ミャンマーのCM瞑想センターでは外人修行者たちが瞑想ホールに集まって、みんなでスイス目がけて慈悲を送っていた。





左端がアリヤ師




その甲斐があったのかどうかは判らないが、A師の手術は無事成功し、その後の回復も早く、12月にはもう義足を装着してヨーロッパ各地で瞑想のリトリートを開催し、自ら指導していたという。




ミュンヘン




そしてその12月の南ドイツのミュンヘンで開催されたリトリートの参加者の中に、19世紀のドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーのファンであるBさんという女性が参加していた。






ショーペンハウアーの若い頃




余談になるがこのショーペンハウアーは、若い頃の顔と熟成してからの顔とがずいぶん違うのだが、もしかしたら集中の瞑想でジャーナ(禅定)に入ったのではないか?ジャーナを使って悟るとこんな風になる事があるが、気のせいか?😆


それはいいとして、BさんはA師から初めて仏教の教えを聞いた時、長い間求めていたものにやっと出逢えたような感動をおぼえたという。仏教は彼女が師と仰ぐショーペンハウアーが一番影響を受けた思想でもあったからだろうか?それによってしばらく瞑想修行に専念してみたいと思うようになった。


それから直ぐ仕事を辞め、アパートも引き払い、1月の初めには既にヤンゴンのCM瞑想センターに到着していたというのだから、Bさんの仏教に出逢えた時の感動が、どれほどのものだったかが良く判る。








そして早速、外人用瞑想ホールに行ってみると、そこには男性が8人、女性が10人の計18人の外人が修行していた。内訳はドイツが3人、スイスが2人、オーストリアが2人、アメリカ1人、オランダ4人、フランス1人、イタリア1人、ルーマニア1人、マレーシア1人、中国1人、日本1人というもので、いずれもその態度は真剣そのものだった。


その時Bさんは、その中に背中から何やら気になるオーラを出している一人の東洋人の男がいる事に気づいた。



「何、このバカは?」



という事で、早速そのバカの直ぐ後ろに座具を広げて、自分の座る場所を確保した物好きのBさん。


通常、瞑想センターというところは男性用の瞑想ホールと女性用の瞑想ホールは別々になっているのだが、このCMセンター限っては外人修行者は男女一緒に同じ瞑想ホールで修行していたのだ。



「あれ?珍しく若い娘が来たな」



そして、一方のBさんに直ぐ後ろに陣取られたは、新参者の彼女に対してそんな印象をおぼえていた。なぜならBさんは、白人にしては小柄で童顔で、どう見ても20代半ばの若い女性にしか見えなかったからだ。ちょうどその時の彼女はこんな感じだった。




シンディ・ローパー64歳の時





東洋人と西洋人の人の見方の違い 



「あんたも不思議な人だね?何でそんなに外人が寄ってくるの?」



「何でそんなに外人女性が話かけてくるんだ?全然いい男じゃないけどな?」



これはいずれも私が日本人男性たちから面と向かって言われた事だ。というのもその頃の私の周囲にはずいぶん白人さんたちが寄ってきていたからだ。特にアメリカやカナダなどの新大陸系とドイツやオランダ、それとスウエーデンなどの北欧の人たちが寄ってきた。



「一緒にやろうぜ!」



寄ってきて何をするかと言ったら、一緒に瞑想するだけだ。そんな事をして何になるかのかと言えば、彼らも私みたいにバカになって瞑想にハマりたいからだと言う。



「バカになりたい?」



何がなんだかサッパリ訳が判らないが、私そのような体験から思うに、どうも西洋人たちはひたすら何かに打ち込んで熱くなっている人々に敬意を払う習慣があるようなのだ。そう言えば彼らはスポーツを見るのでも、芸術作品を見るのでも、明らかに東洋人とは違う見方をしている。


例えばプロレスを見る時は日本人は絶対に八百長は嫌で、真剣勝負ばかりを見たがるのだが、アメリカ人などは八百長と判っていながらその試合を楽しむ。アクロバット技の攻防や、迫力ある肉体のぶつかりあいそのものの方が重要で、ガチだとか八百だとかそんな事は二の次というような感じで。


音楽を聴くのでも、楽しんでいるのは曲自体より、むしろそこから伝わってくるアーティストたちの気合いの入りようや、捻りの効いた創意工夫の凝らしようの方だ。作品から伝わってくる熱い思いとでも言うべきか?


だから彼らが「良い」とか「悪い」とか言っているのは曲そのものの方ではない。曲はあくまでも気合いを表現する手段にすぎない。ただし、これは私がただそのように思うというだけの話だが。


そんな訳で、その時どうしてBさんが私の直ぐ後ろに陣取ったかというと、私がバカだったからに他ならない。



「瞑想バカ一代」



かつて大山倍達が空手バカになって山に籠もってひたすら修行に励んだように、私も瞑想バカになって朝の4時から夜の9時までずっと瞑想ホールに籠もって修行していたのだ。さぞかしバカオーラをバンバン発生させていた事だろう。







ついでに言うと、西洋人がそのような人の見方をするのに対し、東洋人はやはり人を見る時は、顔とか学歴などに目が行くようだ。これは日本人ばかりではなく、中国もベトナムもミャンマーもみんなそうだ。


しかし韓国や台湾の若い人々は西洋化されているので、最近は西洋人みたいな見方をするようになっている。だから私のようなバカは地元の人々よりも西洋人の方がウケがいい訳だ。


特に西洋人の中でもスウエーデン人などは、熱い奴の事を凄くリスペクトしてくるので、特別扱いされているような気持ちにさせられてしまう。だから「あんたらの国は民主主義なんじゃないの?誰かをそんなに特別扱いしていいの?みんな平等に扱わなければならないんじゃないの?」そんな風に疑問を持ってしまうのだ。


そんなかんじで瞑想センターに来るなり私の後ろに陣取ったBさんは、それから毎日のように私に話かけてくるようになった。



ゲーテのファウスト的人間  


 CM瞑想センターでは、修行者は朝3時半に起きて4時から5時まで、坐ったり歩いたりの瞑想をする。それから朝食をとり、6時から10分ぐらいお経をあげて、今度は瞑想ホールや面接指導室、トイレなどを手分けして掃除する。このCMセンターでは修行者同士は基本的に会話が禁じられているので、実はその掃除の時間が唯一の修行者同士のコミュニケーションの時間になる。


「あんた毎日朝から晩までヒマさえあれば坐ったり歩いたり、一日14時間以上は修行してるよね?凄いバカだよ!あんたがいると私も修行出来るようになるよ!当分ここにいるの?」


だから私とBさんとは毎朝掃除をやりながらそんなかんじで話していた。


「ここは3月になると修行者は全員出されるからそれまではいるよ。もう2か月だね」


「よかった!私もここは2か月はいるつもりだよ!それから他の瞑想センターにも行くつもり!ここにいる間は一緒にやろうね!」


私はドイツ人のBさんと毎日そんなやり取りをしていたら、ふとした事からドイツを代表する作家ゲーテ(ドイツ語でゴエテ)を思い出した。ドイツ人の考え方の根底には「ゲーテのファウスト」があるという話を聞いた事があるからだ。




ゲーテ



ファウストのイメージ画




ファウストは決して現状に満足せず、常に向上を目指して努力し続ける。どんな困難にも負けずに真理を探求し、孤独に内面的な努力を続ける。そしてその彼を支える思想とはこのようなものだ。



「幸福とはそれに向かって努力する事。それ自体が幸福なのであって、結果は関係ない」



そのように考え、行動する人の事を「ファウスト的人間」などと言ったりするそうだが、そのような思想がドイツ人の、いやドイツのみならず、全ヨーロッパ人の考え方の根底にあると言われている。



「そうか!だから彼らがバカ好きなのか!」



そう言われてみると確かにそんな気もする。彼らがバカになって何かに打ち込んでいる奴をリスペクトするのは、そのためだと思えなくもない。だがこれもまた私がそう思っているだけで何の証拠もない話だが。



Bさんの試練 


 そのようにして「ドイツのねえちゃん」ことBさんと私は、ゲーテだか何だか判らないがとにかくバカになるべく一緒に修行をする事になった。


それ以来彼女は、瞑想ホールにいる時はいつも私にピタリとくっついてきた。坐る瞑想の時は前後に分かれてやっていたが、歩く瞑想の時は私の歩いているラインを反対側から歩いて来た。そしてぶつかりそうになるとクルリとターンし、また来た方向へと戻って行った。


Bさんの言う一緒に修行するとは、こんなにもベッタリとくっついて修行するという意味だったのだ。そしてそんな事を朝の4時から夜9時まで続け、最後に私と一緒に瞑想ホールの戸締りをしてから一日の修行を終えていた。


このようなBさんのやり方に関しては、実はその2年前にも同じような事があったので、ドイツの習慣なのではないかと思った。


同じような事とは、そのちょうど2年前に私がヤンゴンの中心部にあるゲストハウスのドミトリーに泊まっていた時の出来事だ。隣にドイツの女性バックパッカーが寝ていたのだ。そしてその女性もBさん同様に南ドイツのバイエルン地方出身の人だった。




ドイツのミャンマーの反クーデター運動




彼女もやはり一旦知り合いになると、食事をするにも、テレビを見るにも、ずっと私の隣にくっついて一緒にやっていた。そして観光に行く時も「今日はどこに行くの?一緒に行かない?」と聞いてきた。


しかし私は観光が目的ではなかったのでそれは断わったのだが、そんな訳でこれはBさんと同じようなタイプの人に会ったと言うよりも、あちらの人々の習慣と考えた方がいいような気がする。だから私もBさんにそのようにされて、勘違いする事はなかったのだ。


しかし瞑想バカになるべく、私のマネを始めたBさんであったが、まず最初の試練が訪れる。彼女は生まれてこの方、あぐらをかいて座った事がなかったのだ。


アジア人は、生まれた時から床に直接座って生活しているからあぐらをかけない人などまずいない。だが寒いヨーロッパの人々は、直接冷たい床に座る事などないから、ある程度訓練しなければ、瞑想の時に坐法を組んで坐れないのだ。





アジア人は子供でもあぐらをかける




だからBさんが坐る瞑想をする時は、まず床にふかふかクッションを敷いて、更にこのような「スィッティング・ベンチ」という補助具を置き、正座してやっていた。それでも何とか坐り続けられるのが、たったの30分という有様だった。そして指導者からは1時間坐れるようになりなさいと言われていた。




日本では正座椅子と言う








この瞑想時の坐り方については、瞑想法によって指導されるスタイルが違う。例えばマインドフルネス瞑想などの場合は自由にやって構わないから、Bさんのような場合は椅子に腰掛けてやるのが普通だ。だがこのマハーシ式の場合はちょっとこの辺がうるさかった。


というのもマハーシ式は足の痛みを観察する事で対象との一体化を図る方法なので、足が痛くなるような方法で坐って貰わないと困るのだ。


今でこそマハーシ式の瞑想センターは外人が増えて、どこでも座布団を用意しているが、私が最初に訪れた2001年の時点ではそんな物は置いておらず、坐る瞑想の時はコンクリートにカーペットを敷きつめただけの床に、直接坐ってやっていた。


だから5分もすれば直ぐ足や、尻の骨のところが痛くなった。そしてそれから脱却するためには、ひたすら必死に痛みを観察するしかなかった。


そしてこの痛みの観察の仕方もマハーシ式の場合は特徴がある。通常はこの場合は足の痛みと感情との相関関係を観察するのだが、マハーシ式ではひたすら痛みが生滅している様子を観察する。


痛みと感情との相関関係を観察する場合は、怒り・嫌悪と痛みとの関係に気づく事で痛みを乗り越えるが、生滅を観察する場合は、痛みとは概念であり、ただ感覚が生じては滅しているだけだという現実を理解する事で乗り越える。


だからBさんも瞑想センターに来て、まずこの苦痛を乗り越える修行を最初の課題として与えられた訳だ。そして指導するCMセンターの指導者のI長老も、Bさんに連日のように「全ての身体感覚は生滅している」と教えていた。観察対象が感情と痛みとの相関関係の方に行かれては困るからだ。


そんな事をされているうちにBさんも、足が痛い時は生滅している様子を観察せざるを得なくなってきた。だが、痛みが気になってどうしても観察にハマる事ができず、中々30分以上は坐る事が出来ない。困った彼女は私に聞いてきた。


「A師のリトリートじゃ、こんな事しなかったのに!これって今まで思ってたのと違う」


この足の痛みを観察する方法は、ジャーナ(禅定)を目指す特別なもので、瞑想センターで集中的に修行するのでなければ、通常は在家の人々に教える事はない。


だからマハーシ式のヴィパッサナーをリラックス出来るものと勘違いして来る人もいるが、実際にはこのように瞑想センターに来たとたんにジャーナを目指して修行させられる事になるので、Bさんのように戸惑ってしまう人も多い。


「足の痛みはいつもある訳じゃない。ない時もある。だからその、ある時とない時とを観るんだ。生と滅という事で。それで『痛み』って考えないんだ。痛みってのも概念だから。感覚が生じて滅する事に注目するんだ」


しかし今更そんな事を言ってももう遅い。来てしまった以上はやるしかない。足の痛み地獄から抜け出すためには、そうやって観察するしかないのだ。可哀想な気もするが、これがマハーシ式の修行の第一関門だから、自分の境地を高めたければ乗り越えるしかない。


「でも・・・そんな事言っても・・・・」


それでもやはりBさんは、苦痛に耐えながらの修行には抵抗があるようだった。歩く瞑想ばかりやって中々坐る瞑想はやりたがらない。だがそんな時だった


「こんな事やってられねえよ!俺はもうパオの方に移る」


突然近くで修行していたオランダ人青年が、怒ってCM瞑想センターから出て行ってしまったのだ。彼もまた足の痛みの観察に耐え切れず嫌になってキレてしまったようだった。


「何?あの人?」


だが、そのオランダ人青年を見て考えが変わったのかBさんは「ヤダ、あんなの!私はあんな風にはなりたくない!」と言ってまた坐る瞑想へと戻ってきた。怒るのもみっともないし、わざわざ来たのだからもう諦めて生滅を観察するしかないと悟ったのか?いずれにしても修行に戻る事はいい事だ。


それでも見ていると相変わらず30分しか坐れていない。歩く瞑想の時は「もう嫌になった」という顔をしている。あんなふかふかクッションの上で、更に補助具を使ってまでも痛いというのだから信じられない。これが文化の壁というものなのだろうか?


「もし、そんなに辛いのであればシュエウーミン式に替える事を勧めてもいい。あちらであれば足が痛い時は組み替えてもいいし、椅子に腰掛けてやってもいい」私はBさんが気の毒で、そんな事を考え始めていた。








そしたらその日の修行が終わり、いつものように二人で瞑想ホールの戸締りしていた時の事だ。Bさんが突然私に


「私、坐る瞑想1時間出来たよ。思ったよりずっと簡単だった。実は私は自分で1時間も坐ったら痛いんじゃないかと思って恐怖感を抱いてたの。でも実際やってみたらそうでもなかった。自分で恐ろしいイメージを創って、それに怯えてただけだったみたい」


と言ってきた。


「何っ!もう乗り越えてしまったの?」


信じられない。夕方ぐらいまで何もかも嫌になったような顔をしていたのに、今は得意満面の自信に満ちた顔になっている。何という事だ。Bさんはいきなり豹変してしまったではないか。ちょっと気づいただけでこれだ。全然性格が変わったようになっている。


「実はそれほど痛くなかったの。恐怖感があっただけ」


それはそうだろう。確かにいくらやった事がないと言っても、あんな快適そうな座具の上で1時間正座するのがそんなに辛いはずなどない。やっぱり身体的な問題ではなく、精神的な問題だった訳だ。それはそうとよくその事に気づけたものだ。言っちゃ悪いがどう見ても修行者とは程遠いタイプなのだが?


「痛い時は足が可哀想だと思って足に向かって慈悲の瞑想をやってメッターを送ったの。そしたら突然痛くなくなって、でもまた心に嫌な気持ちや恐怖感が出てくると痛くなったから、また嫌な気分ならないように心を観察していたら、1時間簡単にできたの」


足の痛みの正体は、嫌悪感や恐怖感だって、信じられない。ビンゴだ。


何だこの足の痛みの克服の仕方は。まったく無茶苦茶だ。こんなやり方は聞いた事がない。しかもこれではマハーシ式のやり方ではなく、足の痛みと感情との相関関係を観察する、他の瞑想センターのやり方になってしまう。しかし何はともあれ彼女は、自力で足の痛みのカラクリに気づいて克服した事には違いない。


彼女の言う通り、タネを明かせば単に自分で創り上げたイメージに縛られて、実際には簡単に出来る事も出来なくなっていたのだ。何をするにも考え方って大切だ。自分をがんじがらめにしているものなんて、意外とそれだけのものなのかもしれない。


「そう気づいたら瞑想するのが楽しみになったの。明日から1時間づつ坐るつもり」


それはよかった!という事で、以来Bさんは何とか第一関門を突破し、今度は本格的な足の痛みの生滅の観察が出来るようになれた。やっと一人前のマハーシ式の修行者になれたのだ。わざわざ飛行機代を出してミャンマーまで来た甲斐があったというもの。





歩行瞑想中の女性




先入観に騙される 


 そんな風に、坐る瞑想を1時間出来るようになるにも大変な思いをしてしまったBさんであったが、今度は別の衝撃的な事実が発覚する。ある日、私と一緒に寺務所で役所に提出する書類を書いていた時の事だ。


書類を職員に渡す時、何気にBさんの生年月日が目に入ったのだが、てっきり20代半ばの若いねえちゃんだとばかり思っていた彼女が、何と!実は40歳を過ぎていた事が判ったのだ。


言われてみれば、確かに目元などはシワがあるし、性格も落ち着いていて明らかに若いねえちゃんとは違う。ぽっちゃり型の体型と思っていたのはどうも中年太りだったようだ。


にもかかわらず私は最初の印象だけでずっと若いねえちゃんだと思い込んでいた。先入観に惑わされて何も見えていなかったのだ。これでは私もBさんの事をとやかく言えない。


「足の痛みの場合は先入観に怒りや恐怖が働いていたのだが、この場合は先入観と貪欲さだ」


しかし人間というのは、本当にこのような目眩ましに騙されて物事が見えなくなっているものだ。こんな事では薬物中毒者と何ら変わる事がない。


そういう訳でBさんは、ミャンマーでの2か月間の修行を終えて、帰国する事になった。本当はもっといるつもりだったらしいが、ドイツにもお寺があるので、あとはそっちでやる事にしたらしい。予定変更の理由は判らないが、慣れない環境でやるのも大変だと思ったのかもしれない。



その後のBさん 


 Bさんが去ってから4か月ぐらいしてからの事だ。彼女からメールが送られてきた。そこにはこんな内容の文が書かれていた。







「あの後ドイツに帰ってから、仏教の尼僧院に滞在させて貰って、食事係をしながら瞑想していた。でもミャンマーでやったようにはいかなかった。CMセンターでは本当にいい修行が出来たのに。私は実はもっとミャンマーにいるつもりだったけど、あの頃マレーシア人女性から、雨季の話を聞いていた。ミャンマーでは5月から半年間ずっと雨だという事を。それで凄く憂鬱になって、やっぱりドイツに戻る気になってしまった。でも今から思えばそれは先入観だった。私は想像で恐ろしい雨季のイメージを創り上げ、それに怯えて帰る気になってしまったのだから」


何と!Bさんはまたしても先入観に怯えて帰国を決めていたのだ。足の痛みで十分に坐れなかったのと同様に、自分の創り上げたイメージに怯えて。





ドイツの冬はミャンマーの雨季よりずっと厳しい 




しかしまあ、遅かったとはいえ、それに気づけた事はいい事に違いない。そうやって少しづつ気づけるようにしていけば、そのうち先入観が出てくると同時に気づけるようになるだろう。


それにしてもBさんは取り越し苦労ばかりしている人だ。もしかしたら彼女が瞑想修行に求めているものは、その辺りからの脱却なのかもしれない。だとしたら、確実に改善に向かっている事になる。


私はBさんが瞑想センターにいる間は、彼女と2か月間ずっとくっつきっぱなしで修行していたのにもかかわらず、一切の会話が禁止されていたため、話すのは朝の掃除の時と夜の戸締りの際に二言三言だけだった。だから実際には彼女がどんな人なのかサッパリ判っていない。また、それは彼女の方も同様だろう。


そこで今度はメールでやり取りして、お互いの謎だった部分を埋め合わせようという事になった。しかし一緒にいる間は何も話せず、離ればなれになってからやっと色々聞けるようになるというのもおかしな話だ。だが、そういうコミュニケーションのとり方をするのが瞑想修行者というものだから仕方ない。


それでも、何でも自分で恐ろしいイメージを創り上げておきながら、いつもそれに憂える自作自演のBさんの事だ、私についても何らかのイメージを創り上げていた事だろう。


一体どんなイメージを勝手に創り上げていたのやら?私はいい機会だから、今度はそれについて問いただしてやろうと思ったのだった。





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  最終更新日 2023.12.31

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