日本人を囲んで記念写真を撮る修行者達。左から韓国人、中国人、マレーシア人、オーストリア人、日本人、日本人、スペイン人、オーストラリア人
日本人女性をゲットするのは黄色人種の夢
日本人が瞑想センターに来ると大概モテモテになる。特に女性が凄い。免疫のない人は舞い上がって修行どころではなくなってしまうので、気をつけなければならない。
日本人はアジアの人々の憧れの的になっているという事をよく自覚しておいた方がいい。また黄色人種のみならず、白人さん達でも日本人女性と結婚したがっている人々がたくさんいる。
今までにイタリア人のシェフに「日本人と結婚して沖縄に店を出したいから誰か紹介してくれ」と頼まれたり、イギリス人青年に「日本人と結婚して京都に住みたい」と相談されたりした事がある。
また、ある20代後半のマレーシア人の男性は、自分より10歳以上年上の日本人女性を見て「可愛い!俺、あの人と話したい!何とかしてくれ」と私に頼み込んできた。「まあマレーシア人女性から見たらそうだろうな」その時はそう思った。だが、ある20代前半のロシア人男性は、自分より20歳も年上の日本人女性を見て「綺麗だ」と喜んでいた。
今までにイタリア人のシェフに「日本人と結婚して沖縄に店を出したいから誰か紹介してくれ」と頼まれたり、イギリス人青年に「日本人と結婚して京都に住みたい」と相談されたりした事がある。
また、ある20代後半のマレーシア人の男性は、自分より10歳以上年上の日本人女性を見て「可愛い!俺、あの人と話したい!何とかしてくれ」と私に頼み込んできた。「まあマレーシア人女性から見たらそうだろうな」その時はそう思った。だが、ある20代前半のロシア人男性は、自分より20歳も年上の日本人女性を見て「綺麗だ」と喜んでいた。
「ウソ!ロシア人より綺麗な訳ねーだろ」と私。
アバタもエクボとはこの事だ。彼らは日本に憧れる思いが強いが故に自分でそういう風に見ているわけだ。
また、日本人女性と話したがっているのは何も野郎どもばかりではない。日本人女性はアジア人女性達の憧れでもある。だからもう、どの国の人々も友達になりたがっている。実際、若い20代半ばぐらいの日本人女性が来れば、その人はもう瞑想センターのアイドルになってしまう。
たとえ全アジア人女性、日本、中国、韓国、台湾、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ネパール等の女性達が結集していても、一番その中で垢抜けていて洗練されているのは、やっぱり日本人女性なのだから。
また、日本人男性にしても状況は同じだ。「選り取り見取り」である事には変わりない。アジア中の女性から熱い視線を送られる。中国本土や台湾、マレーシア等の中国系女性は兎に角積極的だ。気に入った日本人男性がいると何も言わずに寄ってきて、突然世話を焼き始める。直ぐに女房気取りだ。「私この人貰った」ってなもんだ。あまりの積極的な態度に、大概の日本人男性は負けてしまう。
この場合、一番熱い視線を送ってくるのは韓国人なのだが、韓国人女性は中国人女性のように積極的には成れず、日本人女性のように恥ずかしがり屋でモジモジしている事が多い。これはベトナム人女性やミャンマー人女性にも言える事だが、これらの国々の女性をゲットしようとするならば、熱い視線を感じた時に、こちら側から話しかけてやる配慮が必要だ。彼女達の国では、女性から男性へアプローチする事はハシタナイ事であると見なしている風潮があったりするからだ。
また、白人ではドイツ人女性が日本人男性を好んで話しかけて来る。ドイツ人は戦時中の反省からか、人種・民族差別みたいな事をしない。
たとえ全アジア人女性、日本、中国、韓国、台湾、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ネパール等の女性達が結集していても、一番その中で垢抜けていて洗練されているのは、やっぱり日本人女性なのだから。
日本人男性は選り取り見取り
この場合、一番熱い視線を送ってくるのは韓国人なのだが、韓国人女性は中国人女性のように積極的には成れず、日本人女性のように恥ずかしがり屋でモジモジしている事が多い。これはベトナム人女性やミャンマー人女性にも言える事だが、これらの国々の女性をゲットしようとするならば、熱い視線を感じた時に、こちら側から話しかけてやる配慮が必要だ。彼女達の国では、女性から男性へアプローチする事はハシタナイ事であると見なしている風潮があったりするからだ。
金髪も寄って来る
金髪女性達がどんどん日本人男性に寄って来る。日本人女性と違って全然恥ずかしがらない。私の感じた所によると、ドイツ人というのは勤勉で日本人ソックリだ。日本が明治に入って近代化する時に、ドイツを手本にした理由が判るような気がする。
そしてドイツ人女性達が好むのはまさしく勤勉なというか、修行に夢中になってハマって熱くなってやっているような、ひたむきで情熱的な奴だ。これは彼女達の思想の根底にあると言われている、ゲーテの「ファウスト的人間」というものと何か関係があるのだろうか?そして彼女達は日本人ってそういう人々だとでも思っているのだろうか?
あと、白人の日本人好きは、禅とか武道とか浮世絵とか、日本文化に興味を持っている人が多い。アニメ好きも随分いる。
そしてドイツ人女性達が好むのはまさしく勤勉なというか、修行に夢中になってハマって熱くなってやっているような、ひたむきで情熱的な奴だ。これは彼女達の思想の根底にあると言われている、ゲーテの「ファウスト的人間」というものと何か関係があるのだろうか?そして彼女達は日本人ってそういう人々だとでも思っているのだろうか?
あと、白人の日本人好きは、禅とか武道とか浮世絵とか、日本文化に興味を持っている人が多い。アニメ好きも随分いる。
日本人で禅に詳しく、空手や合気道をやっていて、アニメも好きだったら怖いもの無しだ。白人女性の憧れになれる。しかしそんな人間などこにいる?
寄って来るのは何も女性ばかりではなく、男性も同様。三島由紀夫や村上春樹のファンで、いつもマドリッドのお菓子屋さんで買った苺大福を食べながら読んでいるというスペイン人がいたり、松尾芭蕉が好きで、よく抹茶を飲みながら俳句を捻るというイギリス人もいた。勿論英語で捻る。
偉大な先達の七光
寄って来るのは何も女性ばかりではなく、男性も同様。三島由紀夫や村上春樹のファンで、いつもマドリッドのお菓子屋さんで買った苺大福を食べながら読んでいるというスペイン人がいたり、松尾芭蕉が好きで、よく抹茶を飲みながら俳句を捻るというイギリス人もいた。勿論英語で捻る。
そんな事だから、日本人を見かけるとどんどん話しかけて来る。凄い興味があるようだ。こちらは文学の事など全く疎いにもかかわらず。
或いは中国人達はドラえもん好きで、どら焼きを食べながら見るのだという。「ドラえもん」の意味を聞かれて翻訳出来ずに困った。そもそも何で日本では水死体の事を「土左衛門」と言うのかが判らない。
或いは中国人達はドラえもん好きで、どら焼きを食べながら見るのだという。「ドラえもん」の意味を聞かれて翻訳出来ずに困った。そもそも何で日本では水死体の事を「土左衛門」と言うのかが判らない。
あとはカナダ人で「ビーバー」という日本のアニメが好きだという人もいる。照り焼きチキンが大好物らしくてしょっちゅう「テリヤキ、テリヤキ」と言っている。甘ダレが旨いのだという。しかしビーバーというアニメは聞いた事がない。
こういう人気は本当に偉大な先人達の威光によるものであって、ちっとも自分の実力は関係ないので「日本人は凄い」と言われても勘違いするわけにはいかない。そもそも日本人の事を勘違いして尊敬している人々が多いのも事実だ。
あるフィンランド人はタイのビーチにいた日本人達に禅の事を聞いたが、誰も何も知らなかったという。どうしてなのか私にその理由を尋ねてきた。
こういう人気は本当に偉大な先人達の威光によるものであって、ちっとも自分の実力は関係ないので「日本人は凄い」と言われても勘違いするわけにはいかない。そもそも日本人の事を勘違いして尊敬している人々が多いのも事実だ。
あるフィンランド人はタイのビーチにいた日本人達に禅の事を聞いたが、誰も何も知らなかったという。どうしてなのか私にその理由を尋ねてきた。
それは当然、タイのビーチにいるタイプの日本人が禅の事など知っている筈がないというもの。だが、日本を仏教の国だと思い込んでいるフィンランド人にとっては相当ショックな出来事のようだった。
また、前述のイタリア人シェフは、エチオピアのイタリア料理店で働いている時に、日本人女性がたくさん来て、現地の男達を漁っているのを見かけたという。そして「あの女達、本当に日本人なのか?」と不思議がっていた。まさしくそれこそが本当の日本人なのだが、そのイタリア人にとっても相当ショックな出来事のようだった。
ミャンマー人などは、周囲に中国人や韓国人、ベトナム人やマレーシア人がいても全く話しかけないのに、白人や日本人がいると喜んで話しかけてくる。
また、前述のイタリア人シェフは、エチオピアのイタリア料理店で働いている時に、日本人女性がたくさん来て、現地の男達を漁っているのを見かけたという。そして「あの女達、本当に日本人なのか?」と不思議がっていた。まさしくそれこそが本当の日本人なのだが、そのイタリア人にとっても相当ショックな出来事のようだった。
ミャンマー人などは、周囲に中国人や韓国人、ベトナム人やマレーシア人がいても全く話しかけないのに、白人や日本人がいると喜んで話しかけてくる。
彼らは日本人を欧米人と同列に見なしているのだ。だから「何で中国人や韓国人、ベトナム人やマレーシア人は無視するんだ?それは差別だぞ」と言うと「あの人達は性格悪い」と答える。
ウソつけ、話した事ないのに何故判る?こういう態度は日本人と知り合って日本に働きに行きたいという魂胆が見え見えで、あまり気分の良いものではない。
しかし、殆んどの瞑想センターでは修行者同士がコミュニケーションを取り合う事を禁じているので、こういう事が出来るのも、シュエウーミンとマハーシ総本山「ハミマハ」ぐらいしかない。まったく、本当にこの2つの瞑想センターときたら誘惑だらけで大変だ。いや、もうひとつあった!凄い所がある事を忘れていた!
シュエウーミンから歩いて7〜8分の場所にマハーシ式のチャミ・ミャイン瞑想センターという所がある。ここがマニアの間では穴場として知られる、所謂「女の園」だ。
何故女の園なのか?というと、ここにはスイス人、アメリカ人、台湾人、ミャンマー人の4人の女性指導者がいる。そのため修行者もスイス、ドイツ、フランス、オーストリア、アメリカ、オーストラリア、台湾、中国、マレーシア等の20代から40代ぐらいまでの女性が多い。というよりも殆んどが女性だ。
しかし、殆んどの瞑想センターでは修行者同士がコミュニケーションを取り合う事を禁じているので、こういう事が出来るのも、シュエウーミンとマハーシ総本山「ハミマハ」ぐらいしかない。まったく、本当にこの2つの瞑想センターときたら誘惑だらけで大変だ。いや、もうひとつあった!凄い所がある事を忘れていた!
女の園の瞑想センター
何故女の園なのか?というと、ここにはスイス人、アメリカ人、台湾人、ミャンマー人の4人の女性指導者がいる。そのため修行者もスイス、ドイツ、フランス、オーストリア、アメリカ、オーストラリア、台湾、中国、マレーシア等の20代から40代ぐらいまでの女性が多い。というよりも殆んどが女性だ。
しかも外人用瞑想ホールは男女兼用になっているので、男が行くと女性に囲まれた中で修行する事になる。
修行中は勿論話す事など出来ないが、朝から晩までずっと何週間も一緒に修行していると、嫌でも気心が知れて来る。朝食後の掃除の時間に少しだけ話す事が出来るため、毎日の掃除が楽しみになる。そんな事をしているうちに、友人同士になってしまわないわけがない。修行が終って離れ離れになっても、連絡は取り合うようになるのは当然の成り行きだ。外人にモテモテになりたかったらここで修行するに限る。
また、男性の指導者よりも女性の指導者の方が話しやすいという人にも、こちらがオススメだ。
チャミ・ミャイン瞑想センター
https://www.google.com/search?q=chammyay+myaing+meditation+center&oq=chammyay+myaing+meditation+center&aqs=chrome..69i57.36949j0j7&client=ms-android-oppo&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8#lkt=LocalPoiPhotos&trex=m_t:lcl_akp,rc_f:,rc_ludocids:17290087660621862795,rc_q:Chanmyay%2520Myaing%2520Meditation%2520Centre,ru_q:Chanmyay%2520Myaing%2520Meditation%2520Centre
チャミ・ミャイン瞑想センター
https://www.google.com/search?q=chammyay+myaing+meditation+center&oq=chammyay+myaing+meditation+center&aqs=chrome..69i57.36949j0j7&client=ms-android-oppo&sourceid=chrome-mobile&ie=UTF-8#lkt=LocalPoiPhotos&trex=m_t:lcl_akp,rc_f:,rc_ludocids:17290087660621862795,rc_q:Chanmyay%2520Myaing%2520Meditation%2520Centre,ru_q:Chanmyay%2520Myaing%2520Meditation%2520Centre
しかしどうでもいいが、何でシュエウーミンを紹介するブログでチャミ・ミャインを紹介しているのだろうね?しかも注意を促すつもりで書き始めたのに気がついたらこのような話になってしまっている。話がそれまくるにも程がある。
そもそもこのブログはシュエウーミンのマインドフルネス瞑想を紹介するのが目的で始めたものなのに、全然マインドフルネスの話など出て来ない。気がついたらこんな方向に走っていた。どうしてこんな事になってしまったのか?
まずミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯と、シュエウーミンと他の瞑想センターとの違いを明確にしておこうと最初の方で説明してきた。そして瞑想センターでありがちなトラブルを言っておかないと、みんな今後も同じ事を何度でも繰り返すと思ったので、その事についてもクドいぐらいに説明してきた。
そうやっているうちにいつの間にか本題のマインドフルネス瞑想について書くことを忘れてしまっていたのだ。だからこの辺で話をマインドフルネスの方に戻しておかないとおかしなブログになってしまう。
と言う事で、今までに書いてきた事は全部長い前置きだったので、いよいよ次から実際にウ・テジャニヤ長老のテキストに従って、マインドフルネス瞑想を実践した体験をレポートしてみたい。ではマジで次回から本題に入ります。