このマンガはカナダ人イラストレーターの手によるもので、同音異義語を使ったオチになっている。御存知のように英語では「今、現在」の事もプレゼントと言うし「贈り物」の事もプレゼントと言う。MINDFULNESS IS LIVING IN THE PRESENT とは、「マインドフルネスとは今を生きる事」とも受け取れるし、「マインドフルネスとは贈り物の中で生きる事」とも受け取れる。どちらの意味かは、その状況によって判断するしかない。
ちょうど日本語の「けがない」みたいなものか?「毛が無い」とも受け取れるし「怪我無い」とも受け取れる。そして日本人はその2つを引っ掛けて「ハゲとハゲとが喧嘩した。どちらも怪我無くて良かった」などと駄洒落を飛ばしたりする。このカナダ人イラストレーターも同じような事をプレゼントと言う語を使ってやったわけだ。
今を生きる
「生きる」って怖い言葉だ。まるで残り少ない余生を生きる事を言ってるみたいだから。黒澤明の映画の影響もあるのだろうか?どうも反対語の「死」を連想せずにはいられない。つまり「生きる」って言葉は死を前提にしているってなわけだ。それはいいとして、このカナダ人、クリスチャンという名前なのだが、ミャンマーに来てもう5年近くになる。最初のうちはマハーシ式に行って「ポウライ・ピャウライ」を半年ぐらいやったり、パオ瞑想センターに行ってサマタを1年ぐらいやったりしたという。だがその後、噂を聞いて試しに訪れたシュエウーミンですっかり沈没してしまった。彼はそのままここに居着くようになり、終には出家し、比丘にまでなってしまった。そこには一体どういう事情があったというのか?
だからそれがつまり、彼がマンガにも描いたウ・テジャニヤ長老の「今を生きる」というアドバイス、その一言が彼の心を捉えて離さなかったわけだ。その一言で彼の人生は変わってしまった。そして彼はそのままシュエウーミンに居着く事3年、今ではすっかり立派な比丘になってしまった。こんな立派な仏教徒にクリスチャンなどと名付けた親の顔が見たい、なんつって、最初からオチがバレてるわ。
ではその彼をそこまで魅了してしまった「今を生きる」という教えとは一体どういうものなのか?というと、これは早い話が「今、現在、何をやっているか気づいていなさい」という意味になる。今やっているのは読んでいる事だから、それに気づいていなさいという事だ。
目の動きだとか、口でブツブツ言ってる事だとか、左手でスマホを持ってる感触に気づき、右手の指で画面を動かしている事に気づく。椅子に腰掛けている感触はどうだろう?膝は?足の裏は熱いか?冷たいか?そして心はどうだろう?面白いとか、ツマランとか、退屈してるとか、知覚する対象ごとに様々な反応を示す事に次々と気づいていく。
肝心なのは心に対象を選ばせるようにして、敢えて心の行き先をコントロールしようとしない事。心がどこに行っているのか?対象を見る事にか?音を聞く事にか?見失わないように気をつける。そしていつでも現実世界に留まり、妄想世界に入らないようにする。それを「今を生きる」と言っている。では、実際これをやるとどうなるのか?
まず、筆者のやってみたところによると、いつでも現実世界にいる事によって、対象となるものをアレコレ判断、解釈しなくなった。例えば目の前にある雑誌の表紙にある女性を見ても「キレイだね」とか「並みだね」とか思わなくなった。今までは自分の勝手な判断で偉そうに女性の顔の事をアレコレ鑑定していたのだが、そのような高慢さがなくなった。自己中さがフッと消えたのだ。
それだけではない、驚いた事に何と!判断、解釈を加えないとその後の感情や欲望がサッパリ出て来なくなったではないか。「ゲッ!凄い、今まで本能だとか条件反射だと思っていたのにそうじゃなかったんだ」女性を見たのに全く身体が反応していないため、今までずっと信じてきた事が、思わず固定観念に過ぎなかったと痛感させられてしまった。
「これは凄い、これなら確かにあのカナダ人もハマるわな」そんな感じで始めて1時間ばかりでいきなり納得させられてしまった。そればかりではない、これを暫く家の中で続けて勢いをつけておいてから外に出ると、人と会っても気づきを途切らせずにいられる。どんな人と会ってもずっと「今」にいる状態をキープ出来る。
面白いのは今を生きていると、人から何を言われても気にならなくなる事だ。世間の目とかそういうのも気にならなくなる。「恥も外聞も無い」ではないが、明らかに心が安定している事がわかる。肚が据わってきたのだ。これはいい。つまり人の言う事にも判断、解釈を加えなければ、その後の感情が出て来ないのだ。これも本能ではなかったわけだ。凄い!固定観念が次々と覆される。
だが、時々頭に浮かんできた想念に巻き込まれて考え事をしてしまう。それさえなければ怖い物無しの太え野郎になれるのだが。まあ、それは今後の課題として、今は考えている事に気づいたら、それを確認して、また今に戻って来るようにしている。
マインドフルネス瞑想を治療に使うセラピスト達は、病んでいる人々に必ず「今」に留まるよう指導するのだが、その理由が良くわかる。心も大分エネルギッシュになってきた。カナダ人のみならず、これでシュエウーミンにハマった人も相当多い事だろう。こうやってコツコツと心を安定させていれば、いつか肚の据わったズッシリと落ち着いた心の持ち主になれるかもしれない。
という事で、ウ・テジャニヤ長老の本にはこの他にも心の安定させるためのアドバイスがたくさん載っている。まだご覧になっていない方々は、ぜひご一読を。
ウ・テジャニヤ長老の著作物
「DON'T LOOK DOWN ON DIFILEMENTS - 侮れない煩悩」
「AWARENESS ALONE IS NOT ENOUGH − 気づくだけでは不十分」
「DHAMMA EVERYWHERE - ダンマはどこにでも」
また、シュエウーミンのやり方と、
ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯1「ミャンマーの瞑想の現状」
ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯2「
ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯3「
ミャンマーにマインドフルネス瞑想が登場してきた経緯4「
ミャンマーの瞑想センターガイド
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