瞑想センターでお布施する時の注意

2020年5月9日土曜日

瞑想センター

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最高齢の外人修行者(アメリカ)。80代になっても年末になると毎年シュエウーミンに来て20日間瞑想していく。
最高齢の外人修行者(アメリカ)。80代になっても年末になると毎年シュエウーミンに来て20日間瞑想していく。

瞑想センターの外人担当係は変な人ばかり

 だいぶ昔の話になるが、かつてグルジェフが主催していた神智学協会の共同体には、凄く難しい人物が参加していて、周囲の人々と摩擦ばかり起こし、みんなに迷惑がられていたという。

 やがてその人がコミューンを去ると当然のようにみんな喜んだ。だがグルジェフだけはその人を追いかけ、説得し、給料を払うから居てくれとまで言ってまたコミューンに戻るよう頼み込んだという。そこには一体どういう意図があったというのか?

 ミャンマーの瞑想指導者達には別にそんな深い意図は無いと思うのだが、外人を受け入れる瞑想センターにいる外人担当係というのは、どうも問題ばかり起こしている人が多い。まったくセヤドー様方はどうしてそのような人々ばかりをお使いになるのか全くよく判らない。そのため前述のグルジェフの共同体の話を思い出してしまうのだが、それは考え過ぎもいい所だ。


マハーシの外人担当係の場合

 例えばマハーシ瞑想センターには2011年半ば頃から2016年頃まで、お布施を横領する外人担当職員がいた。

 マハーシの寺務所にはいくつもの部署があって、外人担当係のみならず、お布施担当係やら食事担当係やら10数人が働いている。外人はマハーシへ行くとまず、外人担当係の所へ行くように言われ、事務手続きや部屋割りやらをしてもらう事になる。

 その後も部屋のライトが切れたとか、毛布をもう一枚欲しいなどといった要望があれば、その外人担当係の所へ行って話して色々やって貰う事になる。だから外人はマハーシ滞在中は瞑想以外の事は全部、外人担当係にお願いする事になる。

 そして修行を終えて帰る時は、お礼として幾ばくかのお布施をしていくわけだが、この時ばかりは外人担当係ではなく、お布施担当職員の所へ行かなくてはならない。それからそのお布施を何に遣って欲しいか?食事代か?備品購入費か?水道光熱費か?自分で指定しなければならない。そしてお布施の領収書を貰って帰って来る事になる。

 だが、外人の殆どはそんな寺務所の事情など知らないから、お布施する時もいつも通り外人担当係の所へ行って「どうもありがとうございました。私今日帰ります。これ少しですがお布施です」と200ドルなり、500ドルなり、人によっては1000ドル、1500ドルとお布施を渡してしまう。

 普通こんな時は職員は「あっ、お布施だったら私じゃなくてお布施係に行って下さい。あの人がそうだから」と教えるものだ。だがこの職員はその間違ってよこしたお布施を、全部自分のものにしていたのだ。その職員がそこで働いていた期間は5年程になるのだが、その間に横領したお布施を全て合計すると相当な金額に上る。

 しかし悪い事というのはいつかバレるもので、そのうち彼は横領が明らかになって解雇されてしまった。そしてその時に彼は「俺は要求するような事は一度も言っていない。向こうがお世話になったお礼にとくれたから受け取っただけだ。何が悪い?」と開き直った。彼は所謂サイコパスと言われるような狡猾な人物だった。


パンディタラマ・シュエタンゴンの外人担当係の場合

 今はいるかどうか判らないが、ちょうど東日本大震災があった頃には、パンディタラマ・シュエタンゴンには2人のアメリカ人の尼さんが外人係をやっていた。2人とも同じ比丘尼名だったが、一人は白人で、もう一人は東南アジア系だった。

 白人さんの方は癇癪持ちで、つまらない事でよくキレていたが、別に問題を起こすような事は無かった。だがもう一方の東南アジア系の方は顔が怒ったまま固まっていて、ひと目で何やらのパーソナリティ障害だと判るほどだった。当然、言動もかなり攻撃的で「部屋のライト交換して下さい」などと頼もうものなら「何で?あの部屋2、3か月前に交換したばかりよ、あんた自分で壊したんでしょう?」と修行者への猜疑心もあらわに、おかしな濡れ衣を被せてきたりした。

 この尼さんにそんな感じでキツい言葉を浴びせられて傷ついたアメリカ人女性が、その後シュエウーミンに移ってきて、ウ・テジャニヤ長老に泣きながら彼女から受けた被害を訴えていた事もある。訴えられた方も余所の瞑想センターでのトラブルを持ち込んで来られて困っていた。なぜならシュエウーミンにはシュエウーミンの問題があるのだから


シュエウーミンの外人担当係の場合

 外人がシュエウーミンに来ると、まず50代ぐらいのベトナム人の尼さんが出てくる。この比丘尼が外人担当係だ。そしてその顔を見れば一発で判るが、この人も攻撃的でかなりキツい言葉を浴びせて来る。ナントカの発達障害と言われているが、詳細は判らない。

 しかし彼女の頭の中には、やはり障害を持つ人にありがちな他人を利用する思いしかない。白人好きで、白人の若い男を見れば、直ぐに本来自分ですべきミーティングルームの掃除係をやらせる。これは決してミャンマー人やベトナム人に頼む事はなく、白人にばかりやらせる。しかも女性ではなくて、必ず男だけを選ぶ。つまり自分の好みのタイプを好きなように働かせていい気分になっているわけだ。

 また、彼らにお布施をねだったりもする。これは今まで何度も指導者部長に言いつけられ、厳重注意を受けているにもかかわらず、絶対に止めない。ある者には200ドルねだり、ある者には500ドルねだり、或いは外食をねだったり、デコレーションケーキをねだったりする。

 これは「太え奴」というのとは違い、病気の症状だと思われる。全く学習出来ないのだ。そして完全に女王様気取りでいる。公私混同も甚だしい。修行者はこのベトナム人尼にお布施をねだられても絶対に出してはいけない。お布施は必ず寺務所の担当者へ。

 また、更に問題なのはその言動の異常さ、奇妙さだ。例えばシュエウーミンには毎年年末になると、80代のアメリカ人修行者が訪れて20日間修行していくのが恒例となっているのだが、この爺さんを目の敵にしてしまっているのだ。

 というのもこの人はもう高齢で、若い者達と同じスケジュールで修行したりする事が出来ないから、朝はゆっくり起きて、昼は少し寝たり、夜も早めに上がったりして、ユルユルのマイペースでやっている。高齢者ペースと言ったらいいだろうか?しかし彼女はこれを認めず、若い者達と同じようにもっとハードに修行しろと言って叱責するのだ。

 他の修行者達は「高齢者なんだから勘弁してやれよ」と思って「まあまあ尼さん」となだめるのだが、原理主義者のように「たとえ高齢者であろうとここで修行する以上は決められたようにキッチリやって」と少しも融通がきかない。

 だから誰もが「この人どこかおかしい」と思わざるを得ないのだ。つまり他人を敬う気持ちなど微塵もなく、自分の道具としか思っていないフシがある。そんな事で誰もが「何であんな病的な人物に外人係などという大役を任せるのか?」と指導者の人事のあり方に疑問を持つ。


仏教界のしきたりの上に胡座をかく人々

 それで行き着くのが例のグルジェフの共同体でのエピソードになるというわけだ。だが本当に指導者がそこまで考えてやっているようにはどうして思えないのだ。ただ言える事は、瞑想センターという所はそのような心に障害を持っていたりして、世の中では誰からも相手にされないような人たちの溜まり場という機能も兼ね備えているという事だ。

 そしてまだ世の中に居場所があり、ちゃんとやっていけるだけの社会性を持っている人々は連中の嫉妬を買い、ピンハネされたり、利用されたり、悪態をつかれたりする可能性があるという事を頭に入れて置かなくてはならない。

 連中は新しく瞑想センターに来た者の事を「コイツも楽していい思いしてる奴だから利用してやっていいんだ」と思っていて、「もっと金出せよ、どうせ楽して手に入れた金だろ?いいじゃねーかケチだな」と有り金全部むしり取ろうとする。

 だからまず、瞑想センターに着いたら修行者は、一旦そのような社会不適合者に横柄な態度で接されるという悲惨な目に遭う。中には失礼な事を言う奴もいるかもしれない。そんな時はどうか気にせずに、そのような事情をご理解頂きたい。

 或いはそのような偉そうな態度に勘違いして「この人は偉いのではないか?」と思ってしまって簡単に騙される人もいるので、決してそのような事の無いように。

 同時に心に障害のある人々だから、こちら側の配慮ある対応も求められる。だからまず瞑想センターでの修行は、そういったややこしい関門を乗り越える事から始まる事になる。

 出家者を必要以上にリスペクトし、もてはやすミャンマー仏教界では、坊さんや尼さんの言う事に逆らう事は出来ない。そういう制度は他人を利用する事しか考えない人々にとっては凄く都合のいい、夢のような制度となる。連中にはそれが黄金のように輝いて見えた事だろう。

 また、何の努力をしなくても他人から尊敬を集めてしまえる「袈裟」という魔法の衣を一度身に着けてしまったら、高慢な人々は直ぐ勘違いしてしまって、自分の事を偉い奴のように思い込んでしまう。

 世の中には、そのような仏教界の幻想がなければ、一生他人から尊敬を受ける事の出来ない哀れな人々というのもいるのだ。だから修行者は、たとえそのような人々に遭ったとしても、憐れみ深く接しなければならないというわけだ。
 
 そのように心掛けていれば、連中の勘違いして思い上がった態度を見ても、それ程腹が立たずに済む。普通は立派な坊さん、尼さんになる程謙虚になる。お布施で修行させて貰っている出家者とは、本来他者に仕えるべき立場にあるのだから。

 にもかかわらず、それを逆手に取って偉そうにするような奴らは、もはやリスペクトに値するものではない。だから瞑想センターに行ってそのような外人担当係が出てきたとしても、その事を思い出して冷静に対応して頂きたい。幻想を幻想と気づけない連中とトラブルを起こしても何の意味もないと心得て。



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  最終更新日 2023.12.31

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