【実践!マインドフルネス瞑想2】雑念を扱う  

2020年6月5日金曜日

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修行者の報告にアドバイスするウ・テジャニヤ長老


雑念は雑念 

シュエウーミンの面接指導は通常ミーティング形式で行われる。他の瞑想センターでは面接指導と言えば個人面談方式で行われるのが一般的だが、シュエウーミンでは自分への指導だけでなく、他の人への指導も聞いておいて、自分の修行に取り入れられるものは取り入れるように言われる。仲間達の瞑想体験をみんなで分かち合う「シェアリング方式」というスタイルだ。


体験を分かち合う修行者達

すると大概の修行者が悩んでいるのが「雑念に囚われてばかりで全然集中出来ない」という事だと判ってくる。どうもみんな最初のうちは瞑想というと何かに集中しなくてはならないと思っているようだ。

その手の悩みを耳にすると、ウ・テジャニヤ長老はいつも「何に集中したいのですか?」と聞く。「えっ⁉」そう言われてみると修行者はいつも一瞬戸惑う。そして何も答えられない。何故ならマインドフルネス瞑想には特定の対象など無いのだから。

それで長老は笑いながら「だから雑念だってひとつの対象になるんですって」と言う。そして決まり文句の「雑念は雑念」が出る。雑念は雑念で、ひとつの心の機能に過ぎないという意味だ。ついでに言えば「雑念」とはサマタ瞑想の方で言う蔑称で、マインドフルネス瞑想では使わない。こちらでは別にそんな感じで浮かんでくる想念を邪魔者扱いはしないからだ。だから雑念なんて呼ぶ必要はない。「想念」で良い。

しかし、そう言われてもまだ慣れないうちは、そのような物事を達観した見方など出来るはずがない。瞑想中に次から次へと浮かび上がって来る想念に、どうしても巻き込まれてしまう。それで長老がよく言うのが「想念や思考の背後にある感情を観察して下さい」という事だ。これは想念と感情との相関関係を探究してみるならば、何らかの発見があるだろうという意味だ。




想念の背後にある感情 

そういう訳で、早速どういう感情の時にどういう想念が起こってくるか?探究してみた。これはいつも思うのだが、空腹の時は食べ物の事ばかり思い出すし、苛立っている時は本当に腹立つ事ばかり思い出す。どういうメカニズムなのかは判らないが、やはり何らかの因果関係があるのだろう。

しかし、そういった感情と共に、想念をウザがっている部分もある。これは怒りだ。それで何だか判らないが、ウザがってると想念もどんどん湧いてくる。余計ひどくなるような気がする。「うーん、これは困った。」だがそんな時にフト「判った、判った、受け入れる、うるせーなあ本当にもう・・・」そんな風に否応なしに想念を受け入れてみた。そしたら何と!意外や意外!その瞬間とんでもない事が起こったのだ!

何とした事か!あれ程ウザかった想念がフッと消えてしまったではないか。ウザかった想念が次々と消えて行く。「あれ、何だこれは?」よく判らないが、ではもういっぺん試してみる。想念を無視したり「あっち行け」と追っ払ったりすると・・・・中々消えずにどんどん付きまとってくる。だが「OK」と受け入れると、安心したかのように消えて行く。何だこれは?どうなってんだ?

「アハハ、まるで生きてるみたいだ」どうも想念と向き合うという事は、犬とか猫とかに「餌くれよ」と付きまとわれているみたいな事だ。やらないと「よこせ」とエキサイトしてくるし、「よしよし」とやると、満足して去って行く。いや、犬、猫だけじゃなくて人間だって同じだ。いつも来る営業マンの・・・いや、他人の事は言えない、自分だって・・・。

しかも受け入れると、やっぱり判断も解釈もしない。それがどうしてなのかは判らないが、そうする事で想念に手を加えず、ありのままに見る事が出来る。つまり、想念の内容に引っ掛からずに、消えるのを見届ける事が出来るのだ。次々と想念が去来するのを巻き込まれずに観察出来て「想念は想念」と達観する事が出来る。

「やった、これが長老の言ってた事だ!」よし、判ったぞ、これが巻き込まれない想念の観察の仕方だ。アレコレやっているうちに、何気にマスターしてしまったではないか。マグレでも何でもいい、出来るようになった事には違いない。では、当分の間そうやって受け入れては消えて行く様子を観察するという方法でやってみよう。また問題が出てきたら、その時はその時でまた取り組めばいい。

という事で、今は雑念、想念をそんな感じで扱っている。別に不都合な事はまだ出て来ない。しかし心の機能と言うと、まるで機械みたいにイメージしてしまうが、やはり想念だって生きていたのだ。まるっきり動物や人間と同じ反応をとるのだから。「想念って本当に立派な生き物だ」そんな感じでつくづく感心してしまった。

こんなのが私の探究成果だが、今回は面白い発見が出来たと思っている。だが、瞑想修行の道のりは果てしない。こんな事はほんの小さな発見に過ぎない。まだ始まったばかりのスタート地点で留まっていないで、新たなる探究の旅に出なければならない。「さあ次は何を探究しようか?」という訳で実践!マインドフルネス瞑想、また次回に続く。



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  最終更新日 2023.12.31

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