【実践!マインドフルネス瞑想9】感受を観察する  

2020年8月3日月曜日

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渇愛とは何か? 


ブッダはガヤーシーサ山(象頭山)に於いて、修行者達に教えを説きました。

 すべては燃えています。人々の眼はその対象に向かって燃えています。人々の耳も、鼻も、また舌も燃えています。その身体も、心も、接触も感受も、熾烈に燃え上っているのです。それはすべて、貪欲の炎に燃え、瞋恚に炎を上げ、愚痴の炎に燃えさかっているのです。
       (燃える火の教えより)


 ブッダは欲望を燃えている炎に 例えて教えを説くことが 多い。 どうしてなのだろうか?それはよくわからない。 ちなみに筆者の場合は「炎」と聞くと直ぐに家計のことを思い出す。なぜならうちの場合は真っ赤っかに炎上したまま悪循環のサイクルにズッポリとハマって、中々抜け出せない状況にあるからだ。

 まさに「自転車操業火の車 」で、グルングルン回りながら燃えている。 だからその例えは財政赤字の事だと言うのならまだしも、 欲望の事だと言われてもあまりピンとこない。

 まあ、筆者の愚痴などどうでもいいとして、そのブッダの教えに従えば、人間の内部には そのような、我々を欲や怒りに駆り立てて止まない、燃え広がる炎のような衝動があるという事だ。だからこそ人間はどんな時でも飽くなき欲望を追い求めて止まない。この衝動の事を仏教では「渇愛」と言う。

 そしてこの渇愛というのは言葉で説明するのが凄く難しいのだという。そのため色んな人が色んな仮説を立てているのだが、素人にはどれが本当なのかサッパリ判らない。何故難しいのかというと、渇愛とは想像出来るような代物ではなく、実際に見てみなければ判らないものなのだからだという。

 「ハア?見える?何で見えるの?心の中のものでしょ?煩悩の事じゃないの?どうなってるの?」そんな話を聞くと誰もがそんな疑問を持つ。しかしミャンマーの言い伝えによると、驚いた事にその渇愛なる衝動は、本当に実際にヴィジュアル的に見えるものらしいのだ。

 衝動なのに見える?ますます何が何だか判らない。一体どんな形をしてるんだ?形なんかないのか?夢とかイメージみたいに見えるのか?サッパリ見当がつかない。よし、混乱してみても始まらない。ではまず実際にその仏教学者達の様々な仮説を見てみるか。




群盲象を撫でる  




 取り敢えず渇愛に関するある仏教学者の説明を読むと、それには三種の異なる性質のエネルギーがあって、それを「欲愛」「有愛」「無有愛」と呼び分けているらしい。そしてそのエネルギーについてはどのような性質になっているのか、中村元氏や水野弘元氏、和辻哲郎氏や宇井伯寿氏、増谷文雄氏などのそうそうたる仏教学者達が様々な仮説を立てている。

 長くなるのでここでは取り上げないが、彼らの見解は全て仏教のテキスト群を超綿密に調べ尽くした上で検証した奥の深いものばかりだ。素人が読んでも皆んな素晴らしい研究内容ばかりで、誰の見解が正しいのかサッパリ判らない。どの人の言う事も説得力十分で、どれも本当に聞こえてしまう。

 しかし、実際には彼らの見解は、本当に渇愛を見てきてのものではないから、あくまでも推論に過ぎないのだ。ミャンマーの僧院の中にいる実際に渇愛を見た人々から見れば、群盲が象を撫でているみたいに思えてしかたない。恐ろしい。あんな偉大な学者達がそんな感じで子供扱い、素人扱いにされてしまうなんて。そしたらこの私などはどうなってしまうのか?



渇愛抜きの感受  


 そういうことで、ではこの渇愛に関しては実際に見るまでは、あまり知ったかぶりはしない方が身のためということで、知識も何も持ち合わせていない今の私にできることは、ありのままに 対象を観察する事 だけだ。それで前回までに感受は煩悩に左右されてしまうという事がわかっていたわけだが、今回はその感受を煩悩の影響を受けにずにそのまま 感じる事に挑戦してみたい。

 そのままというのは、視覚にしても臭覚にしても味覚にしても聴覚、身体感覚、意覚にしても、何か感じたら解釈したり魅了されたりする前に、ただ感じている状態だけを観察するという事だ。







 例えばサイケデリックアートを見て「おお素晴らしい!身の毛がよだつほど心が掻きむしられる」なんて言ってないで、ただ「見て心地良い」ぐらいに留めておく。そしたらその後に心の中で何が起こっているかじっくり感じてみる。

 或いは納豆の臭いを嗅いで「く、臭い、こんなもん人間の喰いもんじゃねえ・・・」なんて言ってないで、ただ「不快な臭い」だけで止めておく。そしたらその感受に続いて心の中でどんな衝動が起こってくるかをじっくり感じてみる。

 それらを日頃の生活の中でずっと継続させて、食べる時も外を出歩く時も、見えるもの、聞こえるもの、臭ってくるもの、味わうもの、暑いとか寒いとか痛いとか痒いとか、それから何か思い出す事についても「心地良い事を思い出した」「不快な事を思い出した」で止めておく。そしてその後にそれに続いて出てくる衝動を必ず感じるようにする。

 そんな事をしばらく続けていると、今まで気づかなかった自分の行動パターンが見えてくる。自分が何を求め、どういう方向に向かって生きたいのか、はっきりと自覚出来るようになってくるのだ。

 人間はどんなに金を儲けても決して満足する事はないし、いくら美味しいものを食べても、どれだけ気持ちいい事をやっても、絶対に満足する事はない。それは何故か?その理由というかカラクリが見えてくるのだ。憎い奴をいくら憎んでも、嫌いなものをどれだけ罵っても、決して満足する事はないし、何年生きても、百年、二百年生きても絶対に満足する事はない。それが何故なのかが判ってくる。

 絶対に満足出来ないカラクリ、心の中にくすぶる不満、これを仏教ではドウッカ(苦)と言う。これを知ってしまったらさあ大変、もう欲を追いかけるような生き方は出来なくなる。どんなに追いかけても満足出来ない事が判ったら、アホらしくてもうそんなもの追いかける気にもならなくなるからだ。



不満人生からの脱却 


瞑想センターでの生活は満ち足りていて有難みを感じると言う修行者  


 だから私などはその渇愛なるものを実際に見てみたくて仕方ない。何故なら現在の私はキャバクラやショーパブにハマって火の車状態、財政破綻寸前に陥っているからだ。ミャンマー娘はフィリピンやタイと違ってスレてないから可愛いのなんのって。ハマるハマる。行ってみたい人がいたらいい店を教えるよ!

 ではない。それでいつも私は知り合いの坊さん達から「オマエはそんな事ばかりやってないでちゃんと感受を観察したらどうだ?渇愛を見てみろ、もう二度とそんなものにハマったりしなくなるぞ」と説教されてしまう。

 だから私も最近は「スカイウェイの○○ちゃん」の事を思い出したら「気持ちいい思い出」だけで止めておいて、あとはそれに続く衝動を感じ、「パイオニアの△△ちゃん」を思い出したら「快感」だけで止めておいて、それに続いてくる衝動を感じるようにしている。それもこれもみんな燃えている火の車状態から脱却するためだ。

 しかしどうでもいいが、こんな事やってても感じる事は「行きたい行きたいもっと行きたい!ショーパブ行きてー」という内部からの欲求不満の声ばっかりなのだが。こんな不満ばっかり聞いて何になる?「欲しいものは何でも空の上」って思えてきて侘びしくなる一方だよ!

 だが、坊さん達にそれを言うと「それでいい、その声にもっと耳を傾けてみろ」と言われる。そうか、欲望とはこうして探求するしかないものなのか?ああしかし侘しい。

 考えてみれば私の場合、気持ち良くて止められないというのはショーパブだけでなく、スマホ中毒というのもある。1日に何時間いじっているか判らない。ヒマさえあれば何かやってる。ではついでに用もないのにスマホを触りたくてしょうがない時にも同じ事をやってみるか。

 スマホを見ると「気持ちいい」という感受が発生するので、その後の声に耳を傾けると・・・やっぱり「触りたい触りたいもっと触りたい!もっとスマホで遊びてー」という事しか言ってない・・・

 そればかりではない。実は私はピーナッツやマカデミアナッツが大好物で、いつでもポリポリやってないと気が済まない「ナッツ中毒者」でもある。ではこの際これも観察してみるか!すると、やっぱりナッツ類を見ただけで「喰いたい喰いたいもっと喰いたい!もっともっと!」と内部からの叫びが聞こえる。

 坊さんによれば、そんな時は何も対策をとらずにただその声を聞いているだけでいいという。別に欲求を抑圧して体質を改善する必要はないようだ。それがせめてもの救いというのもの。これらはいずれも強烈な欲求で、無理して堪えているとストレスになりそうだからだ。よし、では内部の声に耳を傾けて、しばらく財政再建を図ることにするか。

 まあこんな感じだが、そういう訳で今回は渇愛なるものを探求してみた。お陰ですっかり「俺の幸福は何処にある」という気持ちになってしまった。それでも私の幸福を探しての探求はまだまだ続く。やっぱり幸福になりたいのだから仕方ない。しかし何で人間ってこんなに幸福になりたいものかね?我ながら呆れる。



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  最終更新日 2023.12.31

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