一時出家中の子供たち |
一時出家という制度
よく尋ねられるのが「日本人でもミャンマーで坊さんになれるのか?」という出家の話だ。もちろんなれる。仏教に国境はない。瞑想センターでは外国人でも坊さんになって修行している人が沢山いる。何にも心配しないで大丈夫だ。坊さんだけでなく尼さんも同様なので、なりたい人は寺務所に申し込めば、直ぐ出家の儀式、得度式の日をアレンジしてくれる。
この場合、男性は戒律(パティモカ)が227か条ある比丘になりたいのか?10か条しかない沙弥(サマネラ、ミャンマー語でコーイン)になりたいのか?をハッキリさせておく必要がある。比丘になる場合は得度式が必要だが、沙弥は長老から戒律を授けられるだけでなれるので、得度式は要らない。袈裟衣と托鉢用の鉢はその時に貰える。
尼さんの場合は戒律も8つしかなく、得度式もないので、衣を寺務所で15ドルぐらいで買って、自分で頭を剃って、衣に着替えて長老から八戒を授けて貰えばそれでお終い。
その戒律を授けられる時に戒名というかパーリ名というか、坊さん、尼さんとしての名前を貰う事になるわけだが、その時のためにちょとばかり自分の誕生日の曜日を調べておく必要がある。
というのはミャンマー人たちは、人間というのは生まれた曜日によって性格が違ってくると信じているからだ。ちょうどこれは日本人が血液型で性格判断をするのに似ている。ミャンマー人は初対面の人に全くそれと同じノリで生まれた曜日を聞いたりするのだ。
そして坊さんや尼さんの名前というのは生まれた曜日に合わせて付けられる。何曜日に生まれた人は頭文字がDとか、何曜日に生まれた人は頭文字がVとか、あらかじめ決まっているのだ。日本人が「A型の人の名前の頭文字は○○でB型の頭文字は✕✕だ」と決めているようなものだ。
また、面白い事にミャンマー人の名前というのは男女兼用になっている。例えば「ミャータン」という名前があれば、それは男にも女にも適用される。ただしミャンマーでは名前の前に日本語で言う「さん」「様」とか、英語で言う「ミスター」「ミス」に該当する「ウー」とか「ドー」という敬称を付けるので、男であれば「ウー・ミャータン」になるし、女であれば「ドー・ミャータン」になるので、男女の区別がつくようになっている。ちょうど日本で「和」という名前に「男」という字を加えると男の名前になり、「子」という字を加えると女の名前になるようなものか?
だからミャンマーでは男の比丘にも平気で女の子の名前を付けたりする。例えば金曜日に生まれた人には頭文字がSの名前を付ける事になっているのだが、これはブッダがシッタルダという名前だった事に由来しているという。
それで経典にSが頭文字にくる名前の人を探すと、ブッダが悟りを開く直前に乳粥を施した「スジャータ」という少女が出て来る。そこにはしっかりと村の娘と書いてあるのだが、その娘の名前を男の比丘にも付けたりする訳だ。最初にウーを付けてウー・スジャータにすれば立派な男の名前になるという事で。
そういう訳でミャンマーには「ウー・スジャータ」という比丘が沢山いる。ミャンマー訛りでは「ウー・トゥザータ」という発音になるのだが。しかしこれはミャンマー人には男の名前に聞こえても、外国人にはやっぱり女の子の名前のようにしか聞こえない。
そんな感じで、納得できない場合もあるかもしれないが、取り敢えずは名前を付けて貰えればそれで立派な坊さん、尼さんの出来上がりだ。あとは世俗の事を忘れて瞑想に打ち込めばいい。貪欲さを離れて戒律を守って生活していると本当に清々しい気持ちになれるし瞑想も進むかもしれない。
それで修行する一定期間の一週間なり、二週間なり、三か月間なりを出家スタイルで過ごしたら、今度は帰る時には長老に挨拶して衣を脱げば、それで還俗という事になる。この時もまた達成感を感じられて気持ちいい。出家の体験は気持ちいい事だらけだ。そんな事もあって、ミャンマーでは仏教徒なら一生に一度は短期間でいいから出家の生活を体験してみる事を勧める。
彼女たちも1週間の体験修行中だ
本当の出家は難しい
ミャンマーには本当に坊さんが多い。石を投げて坊さんに命中する確率は相当高い。しかし実はその中で本物の出家の坊さんというのは半分か1/3ぐらいしかいない。
ミャンマーの人口は約5458万人で、そのうちの8割の約4370万人が仏教徒と言われている。その中で政府から宗教家と認められてIDカードにちゃんと「出家」と記載されているのは、男性が40万人以上で、女性が3万人以上になる。
IDカードに出家と記載された者は政治に関わる事が出来ないので選挙権がない。その代わりに乗り物が無料、もしくは割引になるなどの様々な優遇措置がとられている。という事は、仏教徒のおよそ1%の人々が出家している計算になる。
ではその半分以上の本物ではない坊さんは何なのかというと、だからこれがその出家の体験者たちな訳だ。それだけミャンマー人たちはこの一時出家が好きだという事になる。
だが、先進国から来る人々の中には、仕事も何もかもみんな辞めてきて、ミャンマーで坊さんになって一生を修行に捧げようと考えている人も大勢いる。難しいのはこの本当の出家をする事だ。一時的な坊さん、出家体験をする事は簡単でも、生涯の出家、本物の比丘、比丘尼になる事は、外国人には至難の技になるのだ。
結論から言うと、ミャンマーのお寺では外国人の比丘、比丘尼を必要としていない。一時出家ならいくらでもして貰って構わないが、本当の出家をされると困ってしまう。本当の坊さんは石を投げれば当たるぐらいいるからもうこれ以上必要ないのだ。その辺りのミャンマー人の考え方と外国人の考え方とのズレがトラブルに発展する事もあるので、出家を考えている人はよく注意して頂きたい。
出家体験をする外人修行者
出家に関するトラブル
通常、瞑想センターには滞在期限というのが設けられていて、シュエウーミンなら3か月までと決まっているし、マハーシ系なら6か月までと決まっている。この期間を修行するのに坊さんになるのはOKだが、次から次へと色んな修行者が瞑想を教わりにやって来る瞑想センター側としたら、期間を過ぎたら一般人に戻って帰宅して貰わなければ困るのが普通だ。
しかし、そういった事情をよく判っていない外国人は、期限が来た時「出家したのに何で帰らなきゃならないの?」と戸惑ってしまう。瞑想センター側は一時出家をさせたつもりでも、外国人側は一生の出家をしたつもりになっているから全然話が噛み合っていないのだ。
そもそも多くの外国人は、外国人でありながらミャンマーで出家して瞑想を指導している人を見ている。その人に影響されて「よし俺もミャンマーで修行して悟ろう」と思ったからこそ何もかも捨ててミャンマーまで来たのだ。「なのに何であの人には本当の出家が出来て俺には出来ないの?」と理不尽な気持ちで一杯になってしまう。
それはつまりこういう事だ。ミャンマーでは必要な人材には「比丘になってくれ」と指導者の側から頼む訳だ。必要な人材とは瞑想を指導出来る人の事。集中没頭型の瞑想ならジャーナに入った人へ、マインドフルネス瞑想なら七覚支の第一段階であるサティが出て来た人へ「比丘にならない?」と頼み込む訳だ。
そして家に帰らないで修行に専念して貰って、修行を完成させたらミャンマーに留まって指導者になって貰う。だからミャンマーで本当の出家が出来るのは、そのような瞑想である一定のレベルまで達した人に限られる訳だ。そしてこの辺を判っていないと無用なトラブルを生み出す事になる。
では、乞われて出家したのではない坊さんや尼さんはどうしたらいいかというと、瞑想センターを転々とするしかなくなる。3か月から半年ぐらいの期間で、ミャンマーの瞑想センターをあちこち遍歴する事になるのだ。それで必死でジャーナを目指したり、気づきの智慧を開発したりして、何とか瞑想センターに残れるように修行する。残れなかったら還俗して帰国するしかないのだから。
ただし、例外なのは巨大なキャパシティを誇るパオ瞑想センターだ。ここだけは出家して何年滞在して貰っても構わない。一生いて貰ってもいいし、死んだ後に墓にまで入って貰っても構わない。このような太っ腹な所もあるので、本当の出家をしたい人はこの辺をチェックしておいた方がいい。
御布施大国シンガポール
仏教国ミャンマーの出家事情というのはそんな感じになるが、では仏教国ではない国の出家事情とはどんなものか?というと坊さんが腐るほどいるミャンマーと違って逆に坊さん不足になっている場合が多い。
私の知人のイタリア人は、ミャンマーで出家したものの、そのような事情で瞑想センターを転々とした挙げ句にフトした事からシンガポール人と出逢い、彼の勧めでシンガポールへと渡った。
シンガポールは住人の殆どが中国系の人々で占められている。彼らは日本人と同じ大乗仏教を信奉している。しかし近年スリランカからテーラワーダ仏教も入って来て、ちょうど今の日本にそっくりな状況になっている。そんな盛んになってきたテーラワーダの寺に白人さんの彼が移って行った訳だ。
時期は1月末の旧正月の時期。中国人たちが一番盛り上がる時期でもある。この時期は中国系住人は坊さんたちに御布施をする習慣がある。だから彼のいるお寺にも大勢の人が詰めかけてきた。そして白人の彼を見つけては「おおイタリア人が仏教の坊さんになるなんてなんというキトクな話だ」と感激したという。
感激された彼の元に集まった御布施の総額はその日だけで2000ドル(22万円)以上にも上った。本当は比丘はお金に触れてはいけないのだが、それでは現代社会を生きる上であまりにも不便で仕方ないので、その戒は実際にはあまり守られていない。
そんな事で彼はその御布施を持ってインド、ネパール、ミャンマー、タイと修行の旅に出る事にした。それから11か月かけて各地の道場を巡り、そして年末になるとまたシンガポールの寺に戻り、旧正月まで滞在して資金を補充し、また修行の旅へ出るというパターンを作った。
そしてそれを毎年繰り返すようになり、現代における放浪の修行者のあり方の手本みたいなものを作ってしまった。彼はうまい「手口」というものを発見してしまったのだ。こんないい方法があったなんて全く思いもよらなかった。
しかしこの手口が他人にも知られ、多くの比丘が御布施目当てに年末にシンガポールを訪れるようになると、一人あたりの御布施の総額も下がり、美味しい思いは出来なくなっていった。誰にも言わなければいいものを、彼はどうもそういう独り占めが出来ない性格のようだった。
だが彼は最後に渡ったスリランカで運命的な出逢いを果たす。生涯の師と呼べる長老に巡り逢えたのだ。そこで終に沈没する事を許され、彼は7年に及んだ放浪の旅を終えて、その地に骨を埋める覚悟で今、修行に励んでいる。
彼の場合は受け入れ先が見つかったからラッキーだったものの、これはあくまでも稀な例で、多くの場合はそれが見つからずに還俗するという形になるので、外国人がミャンマーで本当の出家をするのは、どうしても困難を極めるというこの現実がある事を、どうかしっかりとわきまえておいて頂きたい。