【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#05】仏教徒を固まらせた比丘 

2020年9月17日木曜日

修行者列伝

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M氏 日本人 50代 男性 


 M氏がヤンゴンにあるマハーシ式のM瞑想センターにやって来たのは2013年11月。元々は結婚して奥さんのいるサラリーマンだったが、修行への意欲は抑え難く、離婚やら紆余曲折やらを経てとうとう念願の比丘(僧侶)となった。

 そして世俗の煩いから解放され、修行にひたすら打ち込める生活を喜んでいる丁度その頃、タイでは日本人の大物比丘が還俗したというニュースで持ちきりになっていた。

 何でも30年以上も前にタイに渡って出家し、仏教界で活躍した日本人が、突如として比丘を辞め、タイ女性と結婚して帰国したのだという。

 M氏も当然その話は耳にしていたが、別に気にとめる様子もなく出家の感動に浸っていた。このように元々所帯持ちでありながら出家した人の事をミャンマーでは「トートゥエ」(森に入る)と呼び、一方の比丘を辞めて結婚した人の事は「ルートゥエ」(人間界に入る)と呼ぶ。


天才的な修行者だったM氏 


ところで、

 世の中には天才と言われる人々が少なからずや存在する。彼らは持って生まれた能力を存分に発揮出来るが故に、天才の名を欲しいがままにしている。例を挙げてみると芸術の分野で言えば、この横尾忠則氏や



このジミー大西氏といった人々がいる。



 彼らに共通するものと言えば、他人の目も他人の言う事も全然気にしない健全な精神の持ち主であるという事だ。

 彼らを見ていると、プライドや自意識といった煩悩が、どれだけ能力の発揮を妨げているかがよく判る。

 話は飛んだが、何故その2人を例に出したかと言うと、実はこのM氏も彼らとそっくりなタイプ(天然系)の人で、全くの自然体で、自分に正直で、オープンで、やはり全然プライドも自意識もないような人だったからだ。

 ちなみにM氏と入れ替わるようにして還俗したタイの大物比丘も、やはり同じような天才タイプの人だったと言うから、何やら因縁めいたものを感じざるを得ないのだ。

直ぐに禅定入りしたM氏 


 M氏はミャンマーに渡り、今までは家庭や仕事の事で忙しく、修行したくても中々出来なかった鬱憤を晴らすかのように熱心に修行した。そのため入寮後、僅か1か月ほどでジャーナ(禅定)入りしてしまった。

 そもそもM氏は、ミャンマーに来る前に、ずっと何年も自宅で暇さえあれば鼻先の感覚に集中するサマタ瞑想をやっていたので、既にニミッタ(光)が見えるぐらいの集中力(近行定)を身につけていたのだ。

 そして本来ならばM氏のやってきたサマタ瞑想を修行するのであれば、パオ瞑想センターに行くはずなのだが、何を勘違いしたのかM氏は、マハーシ式のM瞑想センターに来てしまった。

 そして更に、ジャーナ入りを目指すのであれば、足の痛みがズキンズキンと生じたり滅したりする様子を観察させるのが本来のマハーシ式の瞑想センターなのだが、この時M氏に教えていたのはマハーシ式の中でもちょっと違うジャーナの入り方を教えるJという、やはり天才タイプの変わった長老だった。

 J長老はM氏の瞑想体験を聞くなり「身体感覚が全て無くなったら、出来るだけその無感覚状態をキープしなさい」と指示した。

 「身体の感覚が全て無くなるだって?何だそりゃ?」そんな事言うのは簡単だが、普通はそのように指示されても、中々無感覚状態になどなれるものではない。

 この長老に指導されている修行者たちは、大概その方法でジャーナを目指している訳だが、何か月やろうとも、何年やろうとも、その状態にはなれないでいる。言う程簡単なものではないのだ。

 だがM氏は、指示されて直ぐ、その日のうちか次の日には全身の感覚が無くなる状態に達してしまったのだから驚く。



アディターナの修行 




 全身の感覚が無くなるというジャーナの体験をしたM氏は、指示されてから2日後、次の面接指導の時に早速その事をJ長老に報告した。「全然感覚のない状態になりました」「フム」そしてM氏からその様な報告を受け、他の様々な体験から見てもジャーナに入った事が判った長老はM氏に「では何分ぐらい入っていたか?」と聞いた。

 M氏はすかさず「たぶん2〜3分ぐらいだと思います」と答えた。「ウム、ではこれから瞑想する時は時計を持って、身体感覚が無くなってきたら時間を確認して『これから5分間ジャーナに入る』と決意しなさい」すると長老はM氏にそのようにアドバイスしたのだった。

 ジャーナに入る前に時間の長さをあらかじめ決意(決定)する。2〜3分入れたら次は5分入れるように。5分入れたら次は10分入れるように。10分入れたら次は20分。そして30分、1時間、2時間と、ジャーナに入っている時間を伸ばしていく修行、これを「アディターナ」という。アディターナとはパーリ語で決意の意味だ。M氏はJ長老からアディターナの修行をするように言われたのだ。

アディターナの由来 


 このアディターナの修行は、経典にも書いてある通り、サマタ瞑想のジャーナの修行法だ。M氏が滞在しているのはヴィパッサナー瞑想のセンターであるM瞑想センターのはずなのだが、どうしてそんな事をやっているのだろう?

 通常ヴィパッサナー瞑想の場合は、ジャーナ、つまり対象と自他分別なく一体化した状態を瞬間定「カニカ・サマディ」という形で体験する。サマタ瞑想のジャーナの場合は、対象と一体化したまま5時間でも6時間でも固まっているが、ヴィパッサナー瞑想の方では瞬間的な一体化が、気づいている限りずっと何日でも続く体験をするのだ。

 このように集中の瞑想と気づきの瞑想とでは、この一体化の体験がだいぶ違ってくる。では何故そのJ長老はヴィパッサナーの瞑想センターでサマタのジャーナの修行をさせるのだろう?

 それはそういう事になっているのだから何とも言えない。ただ言える事はJ長老がヴィパッサナー瞑想にサマタの要素を持ち込んでオリジナルの瞑想法を開発し、それを修行者たちに教えていたという事だけだ。何とも奇妙な話だが、そういう訳でM氏はジャーナ入りを達成し、アディターナの修行を始めたのだった。






 驚いたのはM氏が短期間であっという間にジャーナに入ってしまった事だけではなかった。通常はジャーナ入りするとその状態を壊さないようにするため、一切の集中を途切れさせるような行いは慎もうとする。

 話をしたり、本を読んだり、せっかく研ぎ澄ませた集中力を鈍らせてしまうような事はしたくなくなるものだ。だがM氏はそんな事などお構いなしに、ジャーナに入った後もガンガン他の修行者たちとダベり合っていた

 2013年頃は、スマホも登場してはいたが、ミャンマーではまだ一般的ではなかったため、外人修行者たちは身内や友人と連絡を取り合うにも、瞑想センターの近くのネットカフェまで行かなければならなかった。私とM氏もそのような事を余儀なくされていた。

 だが、ある日M氏とネットカフェに行った時の事だった。何やら女性店員たちが凄い顔をしてM氏の方に注目している。「どうしたんだろう?」何気にM氏の打っていたパソコンの画面に目をやると、

何と!ノーカットのセクシーな写真の画像が!


「え、え、え、Mさん!何見てんですか」


 信じられない事にM氏は比丘の格好でそのような画像に釘付けになっているではないか。


「マズイっす!彼女たちびっくりしてます」


 比丘がそのような画像を見ている姿を目のあたりにして固まってしまった仏教徒の女性たち。

 「Mさん!そんな事やってると折角ジャーナに入ったのに集中力鈍ってしまいますよ」慌ててM氏を止めた私であったが、信じられないのはそれだけではなかった。


周囲を固まらせるM氏 


 その後我々は、ネットカフェを出てからそのビルの1階にあるスーパーに買い物に行った。時刻は午後2時頃だ。修行者は1日2食、朝食と昼食だけで、午後は一切食事を採ってはならない。だから買う物と言えばコーヒーとか日用品とかに限られる。私はその時コーヒーを買いに行った。






 レジでお金を払ってからM氏の事を待っていたら何と!またしてもレジの女性が凄い顔をしている。それもその筈、見るとM氏が買おうとしているものは、掟破りの食料であるビスケットではないか。

 「Mさん!マズイっす、そんなもの買っちゃ」慌てて止める私にM氏は「大丈夫、隠れて食べるから」などと呑気な事を言っている。「そんな問題じゃないっす!彼女が!」

 彼女はすっかり固まってしまった。私はその時ネットカフェに続いてまたしても「尊敬して止まない比丘が戒律を破る姿を見てしまった仏教徒の、どうしたらいいのか判らず、ただうろたえばかりという姿」を見るハメになってしまった。


決して壊れる事のない集中力 


 ジャーナには入ったものの、そんな調子で日々を過ぎしていたM氏であったが、周囲の人々の心配を余所に、全く集中力が衰える事がなかった。そればかりか着実にジャーナに入っている時間を伸ばしていった。

 と言うよりもM氏は、あの通り全く周囲のものが目に入らない体質で、生まれついての天然の集中力を備えてたので、私の心配など杞憂に過ぎなかったのだ。

 そうやってM氏は僅か3か月ほどでジャーナに入っている時間を4時間まで伸ばし、J長老に「OK」のお墨付きを貰う所まで行った。そしてジャーナのある段階まで達すると、あとは日常生活に戻って自分を観察した方が、瞑想センターにいるより進歩が早いと言う事で、J長老はM氏に何処かの学問寺で仏教の勉強をする事を勧めた。


タイに移ったM氏 


 だがM氏はミャンマー語が出来ない。そこで他の日本人からの勧めもあり、タイにある日本人寺に移る事にした。それに元々タイ式のアーナーパーナーサティで修行していたのに、何やら勘違いして訪れたM瞑想センターだったので、タイで本来やりたかった修行法に戻してやりたいという事情も手伝い、早速タイに移って行った。





 M氏がタイに移った後は連絡が取れなくなった。「Mさん向こうでも相変わらず掟破りしてるんじゃないだろうか?」私はその後も、M氏が周囲の人々を固まらせているのではないかと心配していた。「せっかくあんなレベルまで行ったのに、追い出されるような事がなければいいのだが・・・」と。

 しかし人づてに聞いた話だと、M氏はタイの日本人寺に移ってからはジャーナで磨いた鋭い集中力で自分を観察し続け、その後2年ぐらいで修行を完成させたという。それからスリランカに移り、現在は仏教の本場の地でアーナーパーナーサティを教えているという事だった。





 だが教えてくれたその人も、M氏が現在どうしているのかはハッキリとは判らないと言っていた。なぜならM氏は修行を完成させたら戒律ガチガチの怖い人になってしまって、日頃からスマホなども持ち歩かず外界との関係を遮断してしまったので、よく連絡が取れないのだと言う。

 「戒律ガチガチ・・・・」それを聞いて唖然とした。「あの仏教徒たちを震え上がらせたM氏が・・・・」出家して僅か4年で指導者になってしまったM氏の偉業には驚かされたが、その変化にも驚かされたのだ。

 それでも、それは良い事には違いない。これでM氏はもう以前のような事はなくなったのだから。

 このように、瞑想が進んでプライドや自意識がなくなって、他人の目も評価も何も気にしないようになり、嫌われる事もナメられる事も恐れないようになると、自らの行動を制御するものは戒律だけになってくる

 M氏はタイに移ってから自分を観察し始めたという。考えてみたらミャンマーにいる間はひたすらジャーナ瞑想ばかりで、ヴィパッサナーのヴィの字もなかった。だからそういう事に気づく機会に恵まれなかったのだが、ヴィパッサナーの修行に移行して、そのような事に気づいたのだろう。

 戒律ガチガチになってしまったのは、彼の自然体過ぎる性格の裏返しなのではないか?そうでもしないとあの性格では・・・

「だが、いずれにしても、これでもうM氏が仏教徒たちを氷つかせてしまう事はない」そう思ったら安堵の気持ちが込み上げてきた。天才はやる事なす事型破りで、常識的な考え方では太刀打ち出来なかったが、ここに来てついに私の方もホッと胸を撫で下ろす事が出来たのだった。




水木しげる氏。この人もM氏と同じタイプの人だった。 



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  最終更新日 2023.12.31

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