【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#11】 繊細過ぎる修行者

2020年10月24日土曜日

修行者列伝

t f B! P L


O氏 50代 日本人 男性


  元禅宗の雲水さんだったO氏がミャンマーまで修行しに来たのが2004年の5月。4年ほど日本で禅をやったものの上手くいかず、知人の勧めでサマタ瞑想を学びにわざわざ訪れたという。


仏教の本場ミャンマーには様々な種類の瞑想法がある。基本的にサマタ瞑想ヴィパッサナー瞑想とに分類されるが、ヴィパッサナー瞑想の方は更に集中没頭型のものとマインドフルネス瞑想とに分類される。


それまでずっと禅をやっていたO氏は、最初はミャンマーでもサマタ瞑想専門のP瞑想センターへ滞在した。日本では4年間ずっと公案を唸っていたという事で、こちらでもそのまま集中力を磨くつもりだったらしい。そしてそこで6か月ほど修行した。


瞑想と消費エネルギー 


 しかしどうもPセンターの一点集中の方法は合わなかったようで、O氏はホトホト疲れたような顔をして今度はマハーシ式のC瞑想センターに移って来た。マハーシ式はヴィパッサナー瞑想でも集中没頭型とマインドフルネス瞑想との2つの要素をミックスした方法だ。


なぜ合わなかったかというと、O氏はあまりメンタルの方がエネルギッシュではないので、エネルギーの消耗が激しい一点集中の方法だと憔悴しきって持たなくなるのだという。


基本的に集中没頭型の瞑想を修行するには、かなりの精神エネルギーを消費する事になるため、エネルギッシュな人や、目の前の事に没頭してしまって何も見えなくなるようなタイプの人でなければ続かない。


「自慢じゃないけど私はメンタルが弱くて」と打ち明け始めたのは、若い頃からずっと薬物なしではいられなかったという、O氏の繊細過ぎるほどの心の性質の話だった。


「結婚して子供が出来てからは止められていたんですけど、5年ほど前に妻に先立たれてから、心の支えが失くなってしまってまたやりそうになったので出家したんです。子供達も成人した事ですし。実は結婚前に逮捕歴が1回あります」とO氏。









なるほど、覚醒剤ヘロインか。言われてみれば確かにO氏には、今でも多少舌がロレっていたり、薬物の後遺症と思われる部分が残っていたりする。


例えば日本の僧侶の一着何十万円もするような衣装を洗う時はどうするのか興味があったので質問してみたら


「どうやってたかな?嗚呼全く思い出せない」


と頭を抱えてしまった。つい半年前までやっていたという事についてもそんな感じだったのだ。




奥さんは生前は毎朝出勤前に、必ず自宅近くの禅寺の暁天坐禅会に出席するほどの熱心な修行者だったのだという。O氏は亡くなった奥さんの影響で坐禅を始めたらしい。そして奥さんが亡くなった後、老師にお願いして出家したのだという。


そんな繊細なOさんだから、サマタ瞑想の修行は6か月が限度だった。だがこのO氏、身体の方は運動神経抜群で、高校時代は走り高跳びの選手として県の大会新記録を出したほどだったというから、どうも身体と心とが両極端に偏ってしまっている。



気づきは抜群 


  しかし繊細で敏感過ぎるO氏は、気づきの能力の方は抜群のようで、マハーシ式のヴィパッサナーに変わってからというもの、メキメキ頭角を現し始めた。


例えば歩く瞑想の時、マハーシ式ではわざとゆっくり歩きながら、まず最初に足が床を離れる瞬間と、更に一度離れた足がまた床に着く瞬間とを観察する。これが第一段階だ。







「その時どんな体験があったか?」指導者は必ずそう聞いてくる。その瞬間に足がどう変化しているかと言ってもいい。これに気づけなければマハーシ式ではいつまで経っても次の段階に進めないのだ。


また、これをクリア出来るかどうか?で指導者が修行者にどのような修行をさせた方がいいかが判る。つまり、これが判るような気づけるタイプは気づきで修行させて、判らないタイプは集中力を磨かせてジャーナ(禅定)を目指させるという、修行者の適正判別法にもなっている訳だ。


日頃気づき過ぎるほど気づいて「気づき疲れ」するほど気づきの鋭いO氏は、当然の如くこれを全く悩む事なくあっさりとクリアしてしまい、直ぐ次の段階に上がった。


生来的な感受性 


 次は歩いている時のステップと感情との関係の観察に入る。ここまでくるとO氏は指導者から「コイツはジャーナを目指させるよりも気づきでやらせた方がいい」と思われている。


そればかりではない。食事している時の腕の動きの速さと食欲との関係も観察する。そういう課題についての答えを、面接指導の度に聞かれるから、必死で探究しなければならないのだ。だが生まれついての鋭い気づきを持つ「天才」O氏は、これも難なくクリアし、指導者たちを驚かせる。


このように、あまりエネルギッシュではないタイプの人は、気づきで修行した方が持ち前の能力を存分に発揮出来て、修行が有利に運ぶ。修行者は修行方法を選ぶにあたっては、その辺りの適正の事を自分でよく判っていなければならない。


七覚支の段階に上がる 

 

 「最近、副住職が親しげに話しかけて来るようになったんですが、ミャンマー語だから意味が全然判らなくて」と困ったような顔をするO氏だが、副住職にまで話が伝わっているとは指導者たちの間でその上達ぶりが評判になっている証拠だろう。


そんな事をやっているうちに修行者は「気づきに気づく」という段階に入る。これは普通の気づきではない。ここまで来るには日々の生活をずっと気づき続けて相当敏感になっていなければならないのだ。


 これを仏教では解脱のための7段階の要因(七覚支)のひとつとして最重要視している。仏教用語で「サティ」という要因だ。繰り返しになるが、ここで言うサティとは通常使っている瞑想中の気づきという意味でのサティとは意味が異なる。この場合のサティは、気づきに気づくという意味でのサティという事になる。






 このサティが出ると、修行者は指導者から「出家して速やかに修行に専念するようにしなさい」と言われる。


ミャンマーの指導者たちは所帯持ちの人にも平気でこのように言う。「家族の事は檀家さんたちが面倒見るから安心して出家しなさい」と、この国では優秀な修行者を修行に専念させるシステムが整っているのだ。


このようにサティとは、解脱が約束されたかのような崇高な体験とまで言われている。だからミャンマーでは、マインドフルネス瞑想を修行する人々は、これが出てくるまでは在家で修行する。そしてサティを体験したら家族を養う事は心配せず、出家して修行に専念すればいい事になる。


また、集中没頭型の瞑想ではひたすら集中力を磨く事で対象との一体化(ジャーナ=禅定)を目指す訳だが、こちらの気づきの瞑想の方はこの気づきに気づく事を目指していると言っていいだろう。集中没頭型のジャーナに当たる体験がこのサティになる訳だ。


ところがこのO氏、何とした事か!このサティの体験までもをあっという間にクリアしてしまったというのだから驚かずにはいられない。その間わずか2〜3か月。普通は在家で修行すると数年かかるものだが、いかにO氏が敏感で鋭い気づきを持っている人であるかが良く判る。



現在の状況は過去の行いの結果  


 だがそんな時だった。突然日本からO氏宛に国際電話が入った。O氏には80代の両親と心に障害のある弟がいて、一緒に暮らしているのだという。また2人いる子供たちはどちらも独立して別々に暮らしているという。


「もしかして誰か病気でもしたか?」そんな感じで修行中に国際電話がかかってくると嫌な予感がするものだが、O氏もその時は寺務職員から呼び出しを受けて、心配そうな顔をして寺務所に向かった。





「別に緊急という訳ではないのですが、80代の両親が心に障害を持った弟の世話をしているもので、私がいないと心細いのでしょう。母親に帰って来て欲しいと頼まれました」


そして国際電話を終えて宿舎に戻って来たO氏は、私にそのように伝えた。


何という事だ。せっかく悟りまでたどり着くかもしれないという時に、障害が立ちはだかるなんて。


「でも誰か具合が悪いとか、そんなんじゃない訳ですよね?だったら続けた方がいいのではないですか?」そこまで瞑想が進んでいながら止めるなんて勿体無いから、何とか続けさせようとする私。


そんな話をしていたら、そこへ突然カナダ人の指導者が現れた。寺務所で話を聞き、O氏に何かあったのではないかと心配して飛んで来たのだ。


そしてやはり「あなたは修行を続けられるのであれば続けた方がいい。家族が無事であれば何処にも行かず、ここに居なさい」と引き留めた。


「そうですか、皆さんがそこまでおっしゃるのでしたら」そしたらO氏も指導者に説得されて、今まで通り修行を続ける事にしたようだ。


だが安心したのも束の間、やはりO氏は家の事が心配になって瞑想どころではなくなってしまったという。とうとう帰国する事を考え始めてしまった。不安で一杯の表情をしている。


しかし誰かが病気になった訳でもないのに何をそんなにうろたえているのか?



過去の行いの結果に苦しむO氏 


 「実は私には弟がいるのですが、若い頃私が覚醒剤を勧めて中毒にしてしまい、今だに被害妄想で廃人のようになっているのです。私は弟の人生を台無しにしてしまった本当に申し訳ない事をした。だから私が一生面倒を見なければなりません」







O氏の心にはそんな深い罪悪感があったのだ。薬物に走ったツケは、とんでもない時に回ってきた。やっと千載一遇のチャンスを得たというのに勿体無い。


こんな感じで修行者は、悟りの階梯の七覚支だけではなく、全ての点において条件が整っていなければ悟りまで到達する事は出来ない


O氏がミャンマー人だったら家族の面倒は心配せずに修行に打ち込めるのだが、ミャンマー人たちも外人の事までには手が回らないようだ。


瞑想があればもう薬物は要りませんから、これを覚えただけでも儲けものだと思っています」







そう言ってO氏はミャンマーから去って行った。しかし家でも瞑想を続けるのであれば、まだ悟りのチャンスはある

 

未来に起こる事は、今の行いの結果が様々に寄せ集まって生じてくるもの。そう思ったらもう下手な行いはしない方がいい。O氏と一緒にいてつくづく考えさせられてしまったのはそんな因縁についての話だった。



「因縁って本当なんだな」私が因縁を確信するようになったのは、紛れもなくその時のO氏の出来事がきっかけだ。


ただ救われたのはO氏もちゃんと自らの置かれている状況をわきまえていて全部私の過去の過ちの結果ですよと、決して悔やんだり嘆いたりせず、爽やかに去って行った事だった。


Image source

階段 : Jeff Jacobs
電話器 : Andreas Thöne
飛行機 :  spoba
裸足 :  _Em_



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  最終更新日 2023.12.31

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