Nさん ベトナム人 20代 女性
Nさんはベトナムのホーチミン市出身で、2016年にミャンマーに渡り、ヤンゴン市内にある国際テーラワーダ仏教大学において留学生として学んでいた。
ベトナムは珍しく熱心な大乗仏教徒の多い国で、10代、20代でも仏教を学び、修行する人々が沢山いる。出家者も凄く多い。
そしてベトナム出身の有名な瞑想指導者ティク・ナット・ハンを見ればわかるように、ベトナムの仏教徒たちは教義の方は大乗で学んでも、瞑想修行はテーラワーダ式で行うという伝統がある。
これはベトナムが大乗仏教が栄えた中国と、テーラワーダ仏教が栄えたカンボジアとに挟まれた国であるという、地理上の問題と無関係ではないだろう。
だから今の時代、ベトナムの仏教徒たちにとってミャンマーのような国策として海外に仏教を紹介し、修行したい人々を何よりも優先して受け入れてくれる国は、凄く有り難いものであり、この国を集団で訪れる事になるのは、当然の成り行きだった。
例えばミャンマー南東部のモウラミャインというタイ国境に近い都市にある3000人規模の巨大な収容力を誇るサマタ瞑想のPA瞑想センターには「ベトナム村」と呼ばれるベトナム人修行者が常時100人以上も滞在している宿舎がある。
そしてここのベトナム人たちは7月の雨安吾の時期には一斉にヤンゴンにあるマインドフルネス瞑想のS瞑想センターに移動する。彼らは1年のうち9か月間はサマタ瞑想を修行し、7月〜10月までの3か月間はヴィパッサナー瞑想を修行して過ごすのが恒例となっているわけだ。
その他にもミャンマーには、そんな感じでマハーシ式であれ、ゴエンカ式であれ、大概の瞑想センターには、いや瞑想センター以外にも学問寺や仏教大学にもという事になるが、ベトナム人仏教徒たちがわんさかいるというのが現状だ。
だが、同じ国の仲間が多過ぎるというのも問題があって、どうも彼らには直ぐ「お喋りグループ」を作って固まってしまうという悪い癖があるようだ。だからミャンマーの瞑想センターでは、どこへ行ってもベトナム人のお喋りグループが存在する。
瞑想センター内でお菓子や果物を広げてダベるベトナム人たちのお喋りグループ
こんな事をしていては他の国の人々から見たらどうもウザい集団だという事になってしまうし、同じベトナム人であっても、真面目に修行に打ち込みたい人々にしてみれば、やはり厄介極まりないもののように思えてしまうようだ。
ベトナム人を避けるベトナム人
2017年の5月、Nさんは大学の夏休みを利用して1か月間の瞑想修行に挑戦しようと思っていた。1年間仏教を学んだものの、瞑想の方はまだやった事がなかったからだ。
どうせやるなら誰とも話さず、真剣に打ち込みたかったNさんは、ベトナム人のいない瞑想センターに行こうと思った。
まず最初にあたってみたのが大学のすぐ近くにあるマハーシ式のSR瞑想センターだった。ここは2012年に亡くなってしまったが、創設者がミャンマーでは凄く有名な大聖者とまで言われた人だったのだ。全く怒りのない境地まで行かれていたという事で、その人望によって多くの修行者たちを集めていたという。
Nさんは早速ここを訪れて寺務職員に滞在したい旨を申し出た。だが何と!職員がその時Nさんに言った事は「こちらでは外人は受け入れていない」という断り文句だったのだ。
「ウソ?前の創設者に教わったという人が沢山いるけどね?何それ?どうなってんの」
どうも職員のおかしな対応に納得出来ないNさんは、学生寮に帰って瞑想センターに詳しい友人に聞いてみた。すると彼女からはこんな応えが返ってきた。
「SR瞑想センターだったらもう外人は入れないよ。だってあそこで2008年頃に韓国人が自殺してるんだから。何でも指導者が攻撃的な人で、毎日毎日責められ続けているうちに精神的に参ってしまったんだってさ」
「ガーン!な、何と自殺!施設内で・・」
なるほど、それじゃもう外人は入れないわけだ。思わずあの寺務職員の態度が理解出来た。だがよく考えてみると何やら疑問も残る。なぜならそこの創設者は怒りのない境地まで行かれていた大聖者の筈だ。何で攻撃的に修行者を責めたりするのだろう?
「そんなの知らない!教えていたのは創設者じゃなかったんじゃない?」
まあ、そういう事だろう。
それしか考えられない。
そしたらSRセンターに入れない事はいい事に違いない。その攻撃的な長老に会わなくて済む事になるのだから。そんな感じでNさんはSRセンターの件に関しては納得する事が出来たのだった。
DM瞑想センター
そして次にNさんが目をつけたのは2012年に創設されたばかりだという、DMという名のマハーシ式の新しい瞑想センターだった。そのセンターの事を耳にするや否やNさんは、早速ヤンゴン郊外の田園地帯まで見学に飛んで行った。
このDM瞑想センターはヤンゴンの外れ、隣のバゴー市との境界近くの静かな農村部にある。
環境的には抜群の上、このNさんが訪れた2017年の時点では、建物はいずれも築5年以内というピカピカの状態だった。まだ塗装の臭いすら漂ってくるようなシミ一つない宿舎には、各部屋にエアコンまで付いている。
「凄い!これなら熱帯夜も快適に眠れる」
更にいい事にはこのDMセンターはまだ新しく無名なせいか修行者が少なく、ミャンマー人たちが数名いるぐらいで外人はゼロだった。施設内はガラ空きで貸し切り状態ではないか。Nさんが求めていた誰にも遭わずに修行に打ち込める環境が揃っているのだ。
「やった!穴場発見!」
Nさんはそんな感じでDMセンターの事を一発で気に入り、早速寺務職員に翌日から修行に来る旨を伝えて胸を踊らせて学生寮に戻った。そして友人たちに「いい所見つけたよー」と、まるで開拓者になったかのような気分で自慢したのだった。
DM瞑想センターの住職
そして次の日からエアコン付きの個室を借りて修行に励む事になったNさんは、水を得た魚のように修行に励んだ。滞在予定日数は新学期が始まるまでの1か月間。この間に何としてもここのマハーシ式のやり方をマスターしていこうと張り切っていたのだ。
そのNさんの期待に応えてくれるかのように、DMセンターの住職は直々にNさんに毎日面接指導をしてくれる事にもなった。外人はNさんだけだから時間無制限でいくらでも教えて貰える。
「ホント、待遇まで凄いんだから信じられない。至れり尽くせりってこの事ね。やっぱり修行するならこんな少数精鋭の所でやらなきゃ。あんなベトナム人だらけの瞑想センターなんてもう行く気になれないよね」
Nさんはその時もう有頂天になっていた。
E長老の指導方法
そして2日目の毎朝8時からは住職の部屋でNさんのためだけの面接指導が始まった。住職の名前はE長老。
まだ50歳ぐらいの人で、瞑想センターの住職としては若い部類に入る。そのE長老に自分が瞑想中に気づいた事をどんどん報告していったNさんだった。
だが、その時Nさんの報告を全て聞いた長老は、何やら顔を曇らせた。そして突然強い口調で「それだけか?まだ言ってない事があるだろう!」と言った。
「えっ!」
予想外の展開に戸惑うNさん。そんなNさんの事を長老は更に睨みつける。そして「何か言い忘れてないか?もっとあるだろう!もっと」と激しく詰め寄ってきたのだ。
そして「明日までにちゃんと観察してきなさい」と長老の部屋から追い出されてしまった。
唖然とするNさんは「な、何だったの今のは・・・・・・・?」と、たった今起こった事がまだ信じられなかった。
連日の詰問と叱責
翌日、また面接指導の時間になった。前日にあれだけ強い口調で言われた事だったが、一日経ってもNさんは、何の事だかサッパリ判らない。「一体何の事なの?言ってない事って?私はみんな瞑想中の体験は話してるつもりだけど」そうしているうちにまたE長老がやってきた。
「何ィ!昨日あれ程言ったのにまだ観察してないって?何をやってるんだ!ちゃんと瞑想しているのか!」
そしてまた瞑想体験を報告すると昨日同様にまた怒り出した。ホトホト困り果ててしまったNさんは「いえ、体験した事はみんなお話ししたのですが・・・」と言うしかなかった。
だが長老はそれを許さない。「まだ言ってない事があるじゃないか!もう体験してる事だ!それを言えって言ってるのが判らないのかっ!」と、とうとうNさんの報告に満足出来ずに激昂してしまった。
「ええっ?もう体験してるって?」そう言われても体験した事は全て話したNさんはもう途方に暮れるしかなかった。
「じゃあ坐っている一時間の間に何があったか全部ノートにメモしながら瞑想しろっ」
そうやって長老に怒鳴られてしまってすっかりビビってしまったNさんだった。
自殺を考えるNさん
「坐ってる間の事を全てメモしておくように言ったじゃないか!ちゃんと言われた事をやってるのか!」
また日が変わって恐怖の面接指導の時間がやってきたNさんであったが、相変わらず言われた事は観察出来ていない。
今日もまた一層激しく怒鳴られてしまった。
このE長老はどうも熱くなる体質らしく、とにかく何を言うにもいちいち声を荒げて言ってくる。しかも口もあまりよくないようでNさんのたどたどしいミャンマー語にケチまでつけてくる。
「お前のミャンマー語は下手だな、私の言ってる事がちゃんと判るか?」と、またその事でも怒鳴られてしまう。とにかく何をするにも怒鳴らずにはいられないような体質の人らしい。
だが、どんなに怒鳴られようと判らないものは判らない。「一体何なんなの?何を報告しろって言ってるの長老は?」そんな風にもう頭を抱えるしかなくなったNさん。そのような地獄の日々が4日、5日と過ぎていき、とうとう精神的に参ってしまった。
「嗚呼、もう何がなんだか判らない・・・もう死んでしまいたい・・・」
そのような思いが心をよぎるようになった。
「明日の面接指導はもう出たくない」そして頭の中は恐怖の面接指導から逃れる事ばかりになり、虚ろな目をしてフラフラと瞑想センター内をうろつき回るNさん。もう瞑想どころではない。
そんな時、法要を行う法堂で、尼さんが誰かの遺影に花を供える姿が目に入った。
だがよく見たらその遺影に写っているのは何と!数日前にNさんが訪れて断られたSR瞑想センターの創始者の大聖者ではないか!何でこんな所にあそこの大長老が飾られているの?
するとその尼さんは「こちらの大長老様はうちのご住職様の恩師ですから」と教えてくれた。
「ええっ?という事はあの長老はSR瞑想センター出身なの?じゃあ以前はあそこで教えていて5年前に独立したって事なの?」
勘の鋭いNさんはこの時一瞬にして自分の身に何が起こっていたかを察知した。
「ってことは、あの自殺した修行者を担当していたのがこの長老?」
「ゲーッ!こんな所居られない!」
そして直ぐ自分の部屋に戻って荷物をまとめ、一月の予定を大幅に繰り上げて、脱兎のごとくそのDM瞑想センターを後にしたのだった。
ベトナム人たちに聞く
「あんたね、そんな時は足が痛いって言わなきゃダメなのよ!その報告してない事ってのはどうせ足の痛みの事なんだから」
そしてNさんは学生寮に戻ってDM瞑想センターでの出来事を洗いざらいベトナムの友人たちにぶちまけた。
「マハーシ式は足の痛みが生滅している様子を観察してジャーナ(禅定)に入る瞑想法なのよ。だから指導者は修行者が足が痛いって言ってくるのを待ってるの。それで痛いって言ってきたら身体感覚の無常について教えて、そして観察させるという手順を踏むの」
そしてそのように教わる事が出来た。「なるほど、あの時長老が言わせようとしていたのはそういう事だったのか。言われてみれば確かにそうだ、辻褄が合う」だがNさんはあの時は緊張していて何か重大な事に気づかなければならないような気がして、そんな単純な事だなどとは思ってもみなかったのだ。
さすがベトナム人たちはよく知っている。それもその筈ベトナム人たちはミャンマー中に散らばっていて、しかも情報交換をし合っているから何でも詳しいのだ。これがネットワークの力というものだ。今まで迷惑なもののようにしか思っていなかったNさんであったが、ネットワークの情報収集力というものを見直さざるを得なくなった。
「何だ、それであんないい施設なのに誰もいなくてガラガラだった訳ね・・・・」そしてその謎も解明された。
こんな感じでミャンマーの瞑想センターにはどこに行ってもベトナム人たちが滞在している。彼らはネットワークを駆使して色んな情報を持っているからこれを利用しない手はない。
また、これで判るように、ミャンマーで瞑想センターを選ぶ時はベトナム人たちが沢山いるかどうかで選ぶのが一番無難な方法なのだ。彼らはそうやっていい指導者がいる所ばかり選んでたむろしているのだから。
命からがら脱出したNさんであったが、このNさんの体験も、当然ベトナム人ネットワークによって隅々まで伝わるようになっていく。
そしてあの恐ろしかったDMセンターの長老についても、実は凄い記憶力の持ち主で、かなり優秀な成績で仏教の大学を出ていて、相当レベルの高い学位を授けられている「行学兼備」の人だったという情報も伝わってきた。
「なるほど。それでスポンサーが沢山ついて若くして独立し、自分の瞑想センターを持つ事が出来たのか。でもあれが行学兼備なの?一体何なの?行学兼備って?」
何やら色んな事を考えさせられてしまったNさんであったが、この一件で一番有り難かったのは一番厄介だと思っていた仲間たちのアドバイスだったというのだから皮肉なものだ。
これを機にベトナム人たちを避ける事だけはしなくなったが、依然としてグループに入る事だけはためらってしまう、複雑な心境のNさんであった。