【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#27】厭世的な修行者

2021年2月13日土曜日

修行者列伝

t f B! P L



重要報告


現在、ミャンマーをとりまく情勢は極めて不安定な状況にあります。

そんな中、インターネット回線が新政府(未確定)により長期間遮断される可能性がでてまいりました。(2月に入り、短期はすでに数回起きております)

突然のブログ更新ツイート更新がされなくなった場合、そのような事態(事情)によるものですので、何卒ご了承くださいませ。




F氏 フランス人 30代 男性



 行者同士が意志の疎通を図るのに言葉は要らない。お互いの修行態度を見ていれば相手の性格は一目瞭然だからだ。修行者の背中にはそれだけその人の性格が反映されている。


マインドフルネス瞑想で有名なS瞑想センターでは、修行者は時間割に沿って修行しなければならないというルールがある。







瞑想ホールには修行者の出欠を確認する尼さんがいて、無断で修行をサボると瞑想センターから追い出されてしまう。瞑想だけではない。法話も面接指導も、全て出欠がとられていて、サボれば同じ事になる。


だから修行者はSセンターにいる間はみっちりと修行させられてしまう。


但し、それはミャンマー人修行者のみで、我々外国人にはそのルールは適用されないから安心していい


外人は基本的にはお客様扱いで、ミャンマー人たちのように厳しくは扱われない。だから時間割通りではなく、自分のペースで修行する事が許されている


だが、それをいい事に殆ど修行しないで遊んでいる奴らもいる。瞑想センター側もそれを知りながら何も言わずに放っておく。


だが、そういう修行者たちはブラックリストに掲載され、ビザを延長したい時にはして貰えないし、また来たいと言っても入れて貰えない。



国民性と真剣度 


 私は「瞑想バカ一代」の異名をとるほどのバカなので、瞑想センターにいる時はいつも一日中瞑想ホールにいて修行している。他人から見ればまるで「ホールの主」のようであるかもしれない。


しかし、別にそれは私が無理をして必死に修行に励んでいるという事ではない。私の場合はだいぶ浮世離れした考え方をするというか、かなり物の考え方が世間一般とズレている方なので、中々周囲の人々と話が合わないから一人でいた方が気楽でいいのだ。


しかも、そうしてずっと瞑想ホールにいると、誰がどれだけ修行しているかが手にとるように判ってきて面白い。







修行者の中には一日12時間修行する者から3時間しかしない者、凄いのになると一回10分の瞑想を一日3回しかしない者まで色んなタイプの人々がいる。


外人の中で一番真面目なのは、勿論我々日本だ


また、瞑想センターにいる間は修行は瞑想だけでなく、八戒といって、ブッダによって定められた、修行する上での掟を守るという、モラルを正す修行もついてくる。


その中に「12時以降は食事をとらない」という決まりがあるのだが、日本人たちはそれも絶対に守る超勤勉な民族だ。


その次は韓国人だが、彼らは瞑想は真面目にやるが、戒律などは守る気もなく、みんな隠れて夜食を食べている


あとはマレーシアの華僑たちも真面目な人々だ。


彼らは勿論修行も持戒もちゃんとしているが、特に熱心なのはお布施


彼らはリッチなのだ。


しかし本土の中国人にはタダ飯喰らいみたいなのが多いのに、同じ中国系でありながらなぜこんなに違うのか?




お布施を大事な修行と心得ているマレーシアの仏教徒たち




ちなみに日本人女性で韓国人や中国人に「もし瞑想センターでタダで食事をさせて貰っておきながら、修行をせずにブラブラ怠けて過ごしたら罪悪感を感じるか?」という質問をぶつけてみた人がいる。


その人が言うには、韓国人はみんな「そうそう!感じる」と共感したそうだが、中国人はみんな「感じない。どうして感じるの?」と不思議そうな顔をしたと言う。信じられない!何だその中国人たちのふてぶてしい態度は?


だが、もしかしたらこのあたりが中国パワーの源なのかもしれない。なにしろ彼らは「利用出来るものは徹底的に利用しろ」と考えているような超図太い神経を持つ民族なのだから。いずれにしてもお人好しの日本人では絶対叶わない。


また、欧米人では何と言ってもドイツ人修行者が真面目ナンバーワンだ。


本当に勤勉で日本人と良く似ている。日本が近代国家を建設する時に、ドイツを手本にしたのが判るような気がする。


あとはスウェーデンとアメリカがそれに続く。ラテン系は呑気者が多いが、スペインだけは真面目な人が多い。


フランスは真面目な人は真面目だが、だらけた奴も多く、一概にどうとは言えない。


まあ、そんな感じでとにかく一日中瞑想ホールにいると、そのような修行者たちの事情が手にとるように判ってくるのだ。



超変人あらわる


前置きが長くなってしまったが、ある時私はそんな、だらけて何もしないタイプのフランス人と同室になった事がある。


しかも凄い変人で、最初会った時は自己紹介しても、何も応えて貰えなかった


だから私はしばらくの間は彼の事を「フランス人」とだけ呼んでいた。そしたら彼も私の事を「日本人」とだけ呼んでいた。そんな変人の名前がF氏と判明するのはそれからひと月も先の事だった。


そんな事だから私は、最初のうちはてっきり彼に人種差別でもされているのではないかと勘ぐってしまったりした。そもそも場所がアジアで圧倒的多数がアジア人だし、瞑想修行するほどの人々というのはそれなりの人格レベルの人ばかりだから、そんな事は絶対に起こり得ないのだが。


ただ、ごく稀にではあるが「日本人って生の魚食べたり、生卵をご飯にかけて食べたりするんだろ?」などとゲテモノ喰い民族みたいに言われたりする事はある。しかしそのフランス人の態度は明らかに私を避けているように見えたのだ。



卵かけごはん

こんな美味しいものがゲテモノ? 



F氏の夢 


 そのフランス北部出身のF氏がSセンターにやって来たのが2014年の2月。彼はミャンマーまで来るのに、着の身着のままで小さなバッグに着替えのTシャツ2〜3枚と、洗面用具ぐらいしか持って来なかった。


瞑想センターでは誰かが置いていったロンジー(ミャンマー式の腰巻き)を使っていたような、服装の事には全く無頓着な男だった。


また、彼は瞑想センターでは「孤高の人」を貫き、仲間を作って話し込んだりせず、いつも一人でいた。


「普通の白人」というのがいるのかどうかは判らないが、普通は白人さんたちは同じ人種同士でグループを作り、協力し合っているものだ。慣れないアジアでの生活をする上で助け合っているのだろう。何をするにも一緒にやっている。


だが、私はF氏のそんな姿を見て安心した。F氏が付き合わないのは何も私だけではないという事が判ったからだ。やはり差別などではなかったのだ。


更にF氏は背が高くて男前だから、瞑想センター内をノーブラで歩き回るようなアメリカ人女性や、金髪をなびかせながら芳香を撒き散らすドイツ人女性のようなセクシー系美女たちが寄って来たりもした。







しかし、そんな時でさえF氏は彼女たちには一切興味を示さず「キミたちはどうしたの?そんな事やってないで瞑想したら」とか「キミたちはいつも不満ばかり言ってるんだな。不満ってのは物事をありのままに受け止めていないから出てくるものなんだぜ」などと、シラケたようなセリフを吐いていた。


だから女性たちはしぶしぶ彼から距離を置くのであった。


それにしても何という勿体ない事を。


だがF氏に言わせれば「女房、子供を持つと高くつく」という事で、女性には興味がないのだと言う。


彼はどうやら結婚してしまったら最後、一生金を稼ぐために働かなければならなくなって、人生お終いだと思っているようだ。


ではF氏には何かこの人生で他にやりたい事があると言うのか?



「俺の夢は、将来人里離れた森の中に、草庵を結ぶ事なんだ」



なんちゅー!



彼の夢は何と隠者!



若いのに何を考えているんだコイツは?F氏のあまりの変人さには、さすがの私もしばしば頭を抱えさせられてしまった。


しかしそれも束の間、F氏の方も、日頃の私の態度や修行バカの姿を見ているうちに「同類」だと判ったようで、ひと月も経つとだいぶ打ち解けて話すようになってきた。


変人の気持ちが判るのは変人しかいないという事なのか?いずれにしても修行者の背中は百万の言葉にも勝るのだ。そしていつしか私とF氏は、見事に心が触れ合う仲になっていった。


そうやっているうちにF氏は私に、森の草庵の夢についての説明をするところまで心を開いてくれる事になる。



アウトサイダーのF氏  


出生と、交合、そして死。

つきつめれば、それだけのことだ。

出生と、交合、そして死。

俺は生まれてきた、一度でもう十分・・・・

            (エリオット)



コリン・ウイルソンの「アウトサイダー」によると、人間は人生の無意味さ、無目的性によって倦怠と徒労に陥っている。


だが、大部分の人間は、おのれとおのれの家族とを養うという、単なる肉体的要求によって徒労感から救われている。


ただ、「アウトサイダー」だけがこういう安易な、意味の問題への解決法を快く思わないのだと言う。




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「アウトサイダー」がその最も初期の段階にあるとき、つまり自分を知ることも、自分がなぜ他の人間と調和していないのかを理解することもない時分には、人々と世界にたいする彼の憎悪は彼をして不安定な順応不能者たらしめ、悪意と羨望に満ちた神経病患者、おずおずと尻ごみする臆病者と化せしめる。


彼の救済はひとえに自己を理解し、自己を認識することにかかっている。


彼がおのれを見つけだすようになって初めて、彼は自分の憎悪が正当化されたことを悟るのである。


彼の憎悪は、病める半人間たちの世界にたいする健全な反応なのだ。

        (コリン・ウイルソン)

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と、まあ長い引用になったが、F氏の言いたい事を要約すると、こういう事になる。


F氏は生まれつき考える事が人々とズレていて、何を言っても誤解ばかりされて嫌な思いばかりしてきた。だからあまり他人と話さず、親しい付き合いもしたくないのだと言う。


それは彼がアウトサイダーなるタイプの人間だからだ。だから周囲の人間は彼の言う事を理解出来ないのだ。


そして彼はそんな半人間たちの世界から逃れるために、いつしか出家と言うか、隠遁生活と言うか、そういうスタイルの生活を求めるようになったのだと言う。


どうもフランス人らしい考え方と言うか、何となく厭世的な考え方だ。


フランスからは詩人などでもそういう考え方の人というのがよく出てくるが、何かそういう人物を生み出す精神的な土壌というものでもあるのだろうか?


そして彼は柔道を6年やっていた有段者であり、実は日本びいきだったのだという。


日本の漫画も大好きで「マンガ」と日本語で言ってくる。それならそうと最初から言えばいいのにまったく変な奴だ。


しかし日本の漫画って何だ?もしかして「つげ義春」か?


つげ作品はフランスでは高く評価されていて、つげ義春氏は昨年、アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞なる賞を与えられたりしている。



フランスでは有名なつげ義春氏 




つげ義春作品と言えば「無能の人」が有名だがその中に「人里離れた所で草庵を結ぶのが夢」みたいなエピソードがあったような気がする。





F氏はもしかしてつげ義春の影響を受けているのか?だとしたらセーヌ河の上流の河原で石を売ったりしながら森の草庵で過ごすつもりだったりして。いや、別に石屋でなくても泉の横で水を売ったりするのでもいい。


何だかそういう事をしそうなタイプだぞ。






F氏の目的とするもの 


 まあ、そんな風に打ち明けて貰ったお陰で私も、F氏のそんな態度や振る舞いの意味は良く判った。そして私も世の中の人々には、いくら説明しても理解されない事をやっているからF氏の気持ちも良く判る。



「なるほど、F氏が引っ掛かっているのはそこか・・・・・」



だが、私の経験から言えば、その「一般人になど何を言っても判らないよ」とか「こんな話をして判って貰えるだろうか?」という気持ち、つまり承認欲求はやはりプライドから来ているものだ。


その証拠に承認欲求は慈悲の瞑想をやれば消える。ウソだと思うなら「俺の言う事を判る奴なんかいない」と思ってムシャクシャしている時に、慈悲の瞑想をやってみればいい。スカッと消えてスッキリしてしまう。


だから私は、F氏の場合は修行に目覚めさえすれば一発で性格が変わってしまうであろう事が、話を聞いていて直ぐに判った。


修行者はそのぐらいの克服すべき心の問題を持っていた方がいいのだ。克服する事によって修行の意義を知る事が出来て、熱心な修行者に生まれ変わる事が出来る。


にも拘わらずF氏は、一日ほんの2〜3時間瞑想する程度で、決してそういう事に気づけるほど熱心に修行したりはしなかった。


このままでは彼は本当に厭世的で悲観的な人間になり、ますます苦しい思いをするハメに陥るだろう。そうならないためにも、少しでも目覚めてくれればいいのだが。


いや、それだけでなく、このままでは、ブラックリストに載せられて、またこのSセンターに来たくなっても入れて貰えない事になる。






密告するF氏 


「あの日本人に頼んでみるか?」


そんなある日、F氏が私にチクリを入れてきた。


数か月前から瞑想センター内に、修行しないでいつもブラブラしている「中国人ニート青年」がいたのだが、そいつが同じようにブラブラしているベトナム人の同胞に、日本に行って働く計画を話していたのだと言う。


その中国人青年たちは全然瞑想ホールに来る事なく、部屋でゴロゴロしたり、同胞同士でダベってばかりいたりして、他の修行者たちからはアイツら全然やる気ねーな」「何しに来てんだ奴らは?」「タダ飯ぐらいだななどと白い目で見られていた。


そして修行しないでヒマなものだから、日本人を利用して甘い汁を吸おうなどと、ムシのいい事を考えていたのだろう。だがそんな奴が日本に行ってもちゃんと働ける筈などない事は、奴の修行態度にハッキリと出ている。


「判った、ありがとう。奴には気をつけるよ」


こうやって私とF氏の絆は、いっそう固いものとなっていった。そしてF氏のチクリがあった次の瞬間から、案の定その中国人青年が私に付きまとい始めた。


「よう、よかったら俺の部屋でコーヒーでも飲まないか?」


だが私は「俺、マインドフルネスを維持するために誰とも話さないんだ。悪いね」などと言って全く相手にしないでおいた。そしてそれを離れた所から笑いながら見ていたF氏。


こんな感じで瞑想センターでの人間関係は、瞑想ホールでの修行態度を元に築き上げられていく。修行者同士は修行態度で何もかも判り合えるから言葉なんか要らない。


だから瞑想センターへ行ったら、とにかく一日中瞑想ホールにいるようにする事だ。こうして色んなものが見えてくるので、人の性格が手にとるように判ってきて、これほど面白いものはなくなる。


F氏はそんな事があってから、段々としっかり瞑想するようになってきた。


どうもタダ飯ぐらいたちを見ていて「俺は奴らとは違う」とエンジンがかかったようだ。


私はF氏のそうやって修行する姿を見て、彼が熱心な修行者に変わる日は近いと確信する事が出来たのだった。





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  最終更新日 2023.12.31

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