M氏 日本人 30代 男性
日本人がミャンマーの瞑想センターで修行する上で気をつけなければならない事のひとつに「モテ過ぎる」というのがある。
贅沢過ぎる悩みには違いないが、貧しい東南アジアの国々には、日本人と結婚して日本で豊かな生活をおくりたいと夢見る人々がたくさんいるのだ。
そんな訳で日本人が瞑想センターで修行する時は、男性も女性も常にアジア中の人々から熱い視線を送られている事になる。
アジア人だけではない、白人男性の中にも日本びいきで日本人女性を狙っている人は多いし、白人女性の中でもドイツ人女性だけはアジア人好きが結構いる。
日本人に一番熱い視線を送って来るのは韓国人だが、彼らは日本人同様に恥ずかしがりやだからあまり問題はない。だが中国や台湾の人々は恥ずかしいという事を知らないからとにかく積極的で、気がついたら彼ら彼女らに捕まってしまっているという事が多い。
人の良い日本人では狡猾な中国人に勝てないのは勿論だが、気の強い韓国人でも中国人には叶わないのだという。
日本人だけではない。白人さんたちでもイタリアとかスペインとかの「陽気」なラテン系男性は、結構中国人女性に捕まっているし、中にはアメリカ人男性でも中国人女性に捕まっている人もいる。
だから別にそれが目的で行くのならば全然構わないのだが、真面目に修行するつもりならば、あまりそういう人々とは拘らない方がいい。さもないと修行が手につかず、ミャンマーまで何をしに行ったのか訳が判らなくなってしまう。
だが、そのような事情を知らない日本人男性M氏が、全く無防備なままでマインドフルネス瞑想のS瞑想センターにやってきたのが2018年の11月。彼はその前はサマタ瞑想のPA瞑想センターで1年間みっちりと集中力をつける訓練をしてきたところだった。
謎の師匠を持つM氏
M氏が瞑想に出逢ったのは学生時代だったという。それまでは音楽や漫画好きの普通の大学生だったが、ある時たまたま目を通したインターネットの掲示板で、世の中の常識とはかけ離れた不思議な考え方をする人のスレッドを見かけた。
最初はそれを批判的な気持ちで読んでいたM氏であったが、その内容は驚くほど適切に心の的を突いていて、何から何まで思い当たるフシがあり、ついつい納得させられ、読めば読むほど引き込まれていったのだった。
そしてそのスレッドをひとつ読み終える頃には、その人物の書き込みは全て真実であると確信するようになり、M氏は今まで探し求めていたものに出逢ったような気になって、気持ちが一変してしまう。
「これは全て人智を超えた智慧だ!これを書いた人は悟ってる!」
その時M氏はそう直感した。それまでずっと心の中に何やら求めているものがあったが、それが何なのか自分でも判らず、ずいぶんもどかしい思いをしながら生きてきた。そしてそれが何であったのかがやっと判ったのだ。
「智慧だ!悟りだ!修行すればこのスレ主のような境地に至る事が出来るんだ。」
そしてM氏は大学卒業と同時に修行の世界に入る決心をする。禅寺に見習い僧として入門する事に決めてしまったのだ。出家だ。
M氏はインターネットの掲示板にあった、会った事もない人物の書き込みを読んだだけで、人生の方向を180度転換した事になる。
では、M氏の考え方をそこまで変えてしまったその人物とは一体何者なのだろう?
鬼和尚
瞑想の世界には不思議な指導者がいる。決して表舞台に出る事はなく、ブログやユーチューブ、ツイッターやフェイスブックを通して指導するだけで多くの熱心な修行者を育てている正体不明の指導者、その名も鬼和尚だ。
M氏は出家後もこの鬼和尚を師と仰ぎ、何か判らない事があれば掲示板に書き込んで質問し、それにレスして貰うという形で指導を受けていたという。
「鬼和尚」https://terettere.com/2019/06/03/
やがてM氏はいくつかの僧堂で修行するようになったが、彼がいたのはいずれも日本では有名な僧堂ばかりだった。そこで鬼和尚の書き込みを参考にしながら雲水として黙々と通算8年間もの修行を積んだ。そしてその成果に満足せず、今度は禅を離れてミャンマーまで瞑想修行に来たのであった。
禅好きの白人さんたち
S瞑想センターの指導部長であるウ・テジャニヤ長老は、英語でSayadow U Tejyaniyaと書く事から、通称SUTと呼ばれる。
最初SUTがM氏に会って修行内容の報告を受けた時は、彼が観察しているテーマに驚いた。
「プライドを守ろうとしたり、都合の悪い事を避けようとしたりしている事を観察しています。顔が立たなくなりそうな事があると直ぐにそれを避けるための方法を模索したり、不安になったり憂鬱になったりします」
何と!M氏はマインドフルネス瞑想の核心に触れる部分を観察していたのだ。
「おおっ!それを観察しようと言うのならみっちりやっていけばいい。君は伸びるぞ!」
それを聞いてそのようにすっかり感心してしまったSUT。
そうやってM氏はSUTから、通常3か月までと定められている瞑想センターの滞在期間を、大幅に延長して修行する事を許された。これはM氏の天性の観察眼なのか、鬼和尚の指導によるものなのかどうかは判らない。
そんな事があってからというもの、今度はそのM氏に「あんたはいつもどうやって観察してるんだい?」と、修行者たちが話しを聞かせて貰いに来るようになった。
まず、あるイギリス人青年は「俺、禅に憧れてるんだ。色々教えてくれないか?」と言ってきたし、ティク・ナット・ハン師の直弟子だというフランス人僧侶も「やっぱり日本の禅は凄い。俺は弟子丸泰仙のファンなんだ」と言ってきた。
更にあるスウェーデン人の出家志願者も「やっぱり禅の方がいいな。できれば俺は日本の禅寺で出家したいんだが相談に乗ってくれないか?」と言ってきた。みんなM氏の修行ぶりに感心しての事だった。
このように欧米人たちの多くは、マインドフルネス瞑想を修行している人々でも「実際には禅の方に興味がある」という人がとても多い。それというのもアメリカでは鈴木俊隆老師が人気があるし、フランスでは弟子丸泰仙老師が人気があるからなのだという。
その老師たちのファンは何も欧米人たちだけではない。ミャンマーのマインドフルネス瞑想の指導者の中にもいる。
今言ったSUTがそうだ。
しかし、禅を教える事の出来る指導者は、修行したい人々の数に比べたら極端に少なく、修行したくても出来ない人が多いのだという。だからそんな人たちは、禅の代わりにマインドフルネス瞑想をやっているというのが実情だ。
そんな感じでM氏は、いつしか瞑想センター内では一目置かれる存在となっていった。
M氏を誘惑する女性たち
またM氏は禅寺での修行が長かったせいか、見た目もシャキッとして、清々しさで一杯の好青年でもあった。だから当然日本人をゲットして日本行きを企むミャンマー人女性たちが放っておく筈がなかった。
あるLさんという、M氏と同じアラサーの女性は、いつも下心見え見えの態度で白人や日本人を見ると何やら話かけていた。それがあまりにも露骨に他のアジア人たちを無視してやっているので、私にはかなり見苦しく思えた。
だからある時Lさんに「あなたは韓国人やマレーシア人、ベトナム人たちがたくさんいても全然話しかけないのに、何でそんなに日本人だけに話かけるんだ?」と聞いてみた。
そしたらLさんは慌てて「日本人だけじゃないもん。私みんなに話かけてるもん」と、それを否定した。しかしそんな話、誰も信じるはずがない。「ウソつけ!」と言うと「本当だもん!」と言い張って逃げて行った。
そんな貪欲なLさんが、同じ瞑想センターにM氏がいるのを見て捕まえようとしない訳がない。彼を見かける度にあれやこれやの手を使って話しかけようとしてくる。
しかし修行熱心なM氏は、たとえどんな方法を使われようとも、全くLさんに気を取られる事はなかったのだ。
だが、そんなLさんに突然ライバルが現れる。20歳の色白で髪が長くてスラッとした都会的な雰囲気の女子大生が、M氏に近づき始めたのだ。色黒でふっくらした庶民派のLさんとは対照的なタイプだ。
「ホホウ、アイドル系の可愛い娘だ。でもM氏は真面目だから見向きもしないだろうな」
私はそれまでの経緯から、M氏はどんなに誘惑されても絶対に乗る人ではないと確信していた。だからその女子大生を見ても「勿体ないな、こんなの振ってしまうんだもんな」と何やら残念な気持ちにすらなってしまった。
しかしその直後の事だった。私が宿舎から瞑想ホールに向かう通路を歩いていたところ、何と通路脇でM氏が女子大生と談笑しているではないか!そして私を見つけて
「あっ、ヒロさん、いいところに来た。すいません、インスタントのミルクティー持ってませんか?彼女が好きらしいんですよ。彼女は日本人に興味があるみたいなので話してたら何か話が合っちゃって。一緒に午後ティーでもしようという事になったんですよ」
と言った。
「えっ!?」
まんざらではないM氏
「ミャンマーの人たちはとても親切で優しいから住みたくなりますよね」
意外や意外!そんな事があってからというもの、M氏の気持ちは何と!女子大生に傾き始めたのだ。
「何?それってもしかして彼女と所帯を持つって事?この国で?」
そして思わず突っ込みを入れてしまう私。
「何言ってるんですか、そんな訳ないじゃないですかアハハハハ」
と、言いつつもまんざらではないような顔をしているM氏。
だが考えてみれば、M氏はもう坊さんではない。既に辞めてきたのだから関係ない。
戒律の範囲内で付き合っているのであれば、瞑想センター内であっても別に悪い事ではない。だからM氏のやっている事は、他人がとやかく口を出す事でもない。
「俺、ミャンマー語の勉強始めようかな」
ちょうどその頃Sセンターには、日本に出稼ぎに行って餃子のO将で10年ぐらい働いてきたという、日本語を話すオヤジがいた。そしてM氏はそのオヤジの事を先生とか言って「こういうのはミャンマー語で何て言いますか?」などと聞いている。なんだか舞い上がっているみたいだ。
まあ、こういう問題は難しい。なぜなら悟って預流果(悟りの第一段階)まで行っている人々でさえもスキャンダルを起こす事は日常茶飯事なのだから。ましてやそこまで行ってない者たちであれば、そうなるのは当然。
ついでに言えば預流果ぐらいだとそのあたりの見解も分かれてくる。在家の妻帯している指導者だと「恋愛ほどいいものはないよ。君もどんどんすればいいのに。自他の分別のない最高の境地が味わえるよ」と恋愛に陶酔しながら他人もその道に引っ張り込もうとして修行者たちを啞然とさせてしまう。
だが、一方で妻帯していない指導者だとそのあたりの事には厳しく「どうやったら欲望に負けずにいられるか」とか「執着ではなく慈しみの心を持たなければならない」という話しかしない。
まあ修行者にとっては後者のタイプの指導者の方が有り難いと言えば有り難い。なぜなら指導者が陶酔している姿を見るのはあまり気持ちのいいものではないからだ。
いや、ハッキリ言えば気色悪い!それに陶酔しているようでは預流果で止まってしまうから、あまりいい指導は期待できなくなる。
マハーシ式で一番結果を出しているCM瞑想センターのI長老のように、名指導者というのはやはりレベルが高いものだ。しかも弟子のスイス人指導者A師もまた凄い境地まで行っている。レベルが高い師といると、弟子たちまでもが引っ張り上げられるのだろう。
http://www.meditation-in-burma.com/en/guidance.php
凄い指導者が二人もいるのだから、ここで修行した人たちもまた、グングン引っ張り上げられるのは当然。修行者が求めているものは陶酔感ではなく、そのような瞑想のレベルが引き上げられる事だ。
注意されるM氏
だがそんな時、外人の世話役の尼さんがM氏を呼び出して難癖をつけてきた。
「あんたいつもここで女子大生とイチャイチャしてるんだって?やめなさい!ここはそういう事をするところじゃないのよ!」
「ハア?」
何だそりゃ?確かにM氏は女子大生と意気投合していたが、別にイチャついてはいない。どうして彼女はそんな事を言うのだろう?
「Lというミャンマー人女性が言ってたからね!イチャイチャしたいんだったらここを出てからにしなさい!」
「Lだって!」
そうか!なるほど、彼女はいくら白人さんたちや日本人に話しかけても全然相手にされないのに、あの女子大生ときたら一発で成功したとなったら、それは悔しいだろう。
「あいつ嫉みやがって!まったく!」
そんな事があったので、私は少しLさんをなだめてやろうと思い、ちょうどミャンマー人の日本語を話すオヤジから貰った月餅があったので、それをプレゼントしてやろうと思った。ミャンマーにも中国系の人々がたくさん住んでいるので、中国のお菓子も結構売っているのだ。
そしてLさんを見かけた時「よお、元気?まあ、これでも食べて機嫌治してよ」と月餅を手渡した。そしたら「要らない!こんなの食べない」と拒絶されてしまった。それで判った事だが、ミャンマーでも若い人はやはり洋菓子なら食べるが、こういう甘いものは食べないのだ。
日本同様、月餅はどちらかと言えばオバサン向けのお菓子らしい。そういう事とはつゆ知らず、私はLさんの機嫌をますます損ねてしまったではないか。
「マズい!知らなかった・・・・・」
鬼和尚の教え
執着の根本に自分の孤独感や不安があると、薄々わかっている者もいるじゃろう。
それを知っても何にもならないと、知る事を拒んでいたりもするのじゃ。
そのような状況でも勇気を出して、自らの本心を観察してみれば、執着による苦は消えるのじゃ。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-153.html?sp
(鬼和尚)
「ヒロさん、俺の事なら大丈夫ですよ、女子大生には全然ハマってませんから」
私はそんな事があってからM氏に「瞑想センター内ではあまり女子大生と会わないほうがいいのではないか?」と提言した。
そしたらM氏はそのように答えた。
彼の師である鬼和尚は、修行者たちに「執着ではなく慈しみを持て」と教えるタイプの指導者だったのだ。M氏はその教えの信奉者だったので、執着してしまう事がなかった訳だ。
だが、もしこんな時に「恋愛陶酔型の指導者」に師事している修行者だったらどうなっていただろう?それを思えばやはり師を選ぶ事の大切さを思い知らされる。
M氏にはいい師がいたため、誘惑の多い瞑想センター内においても、全然惑わされる事がなかったのだ。
秘密をさらけ出したM氏
そんな風に、M氏は日本で8年、それからミャンマーで2年と、合計10年間の修行を終えて帰国する事になった。大学を出てからずっと10年もの修行三昧の生活をおくったのだからたいしたものだ。
「でも日本に帰ってから何をするの?今まで就職した事ないんでしょ?大丈夫なの?」
しかし、私はM氏のその後の動向が少し気になったので聞いてみた。とにかくM氏はずっとお寺暮らしで、一般社会の常識とは全然違う世界しか知らないのだから、何かと心配になってしまうのだ。そしたらM氏は
「うちの実家は喫茶店やってるんですよ。だから俺もやろうと思って」
と言った。喫茶店か?それはいいとしてもM氏は料理とか出来るのか?禅寺でも精進料理みたいなのばかり食べていたと言うし、ミャンマーでもずっと菜食で通していたのだが、一般人向けの味なんか出せるのか?
「それなら大丈夫です。料理のプロがいますから。以前修行にきた日本人女性がいるでしょう、彼女は和食も洋食も両方いける料理のプロなんですよ」
そういえば確かにそういう女性が修行に来た事があったが、何で彼女がM氏と一緒に喫茶店をやる事になっているんだ?
「実はあの人、今は俺の彼女になっているんですよ」
「いつの間に!」
まったくこの野郎ときたらなんちゅー奴だ。
まあ何はともあれM氏はそうやって10年もの修行を終えて帰国したのであった。