【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#29】気高い精神を持つ修行者

2021年2月27日土曜日

修行者列伝

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K比丘 バングラデシュ人 50代 男性



 ングラデシュは人口の大部分がイスラム教徒で占められている国だが、第二の都市にあたるチッタゴンだけは、300万人以上の仏教徒がいるという。


20年ほど前の話になるが、当時のミャンマー政府は、このチッタゴンの仏教を廃れさせないようにするため、バングラデシュからミャンマーに修行に来る仏教徒に関しては、ビザ免除で入国させるという、バングラデシュ仏教の保護政策をとっていた事がある。


そのため2000年頃から2005年頃までは、ミャンマーの瞑想センターには、どこに行ってもバングラデシュ仏教徒たちがたくさんいた。


2003年にK比丘がミャンマーに渡って来たのも、きっかけはこの政府の保護政策があったからだった。


そして彼はヤンゴン市内にあるバングラデシュ寺に住み、そこからあちこちの瞑想センターに修行に行くという修行スタイルをとっていた。




ミャンマーにあるバングラデシュ寺。
ブッダガヤのマハーボディー寺のようなデザインの建物がシンボル。




だが、このバングラデシュ仏教徒たちは少しばかり質の悪い者が多く、他の国から来た修行者たちから敬遠されている事が多かった。



執拗にお布施をねだる比丘たち 


 私の例で言うと、2001年の5月にC瞑想センターにおいての話になるが、バングラデシュ人の比丘から執拗にお布施をねだられた事がある。そのお布施の額も1000ドル(約11万円)と、かなり高額なものだった。


そしてその手口も「ミャンマーで英語の仏教書をたくさん購入して本国の僧院に送り、図書館を設立したいから協力してくれ」という、いかにも嘘臭いものであった。


なぜなら真剣に修行に打ち込み、黙々と仏教を学んでいる者が言うのならまだしも、修行も何もせずに毎日ゴロゴロしてばかりいる者がヌケヌケとそういう事を言うからだ。だから私はそいつを無視して相手にしないでおいた。すると向こうもムキになってますますしつこく付き纏ってきた。


ある時、瞑想ホールから自室に戻ろうと庭を歩いていたら、指導の長老が10メートルぐらい先で私の方をジッと監視していた。だから私もラベリングを切らさないよう「いつでもこんな風にやってますよ」みたいな感じでゆっくりと歩く瞑想をしながら歩を進めていた。


そしたら何と、今度はそこに例のバングラデシュ人比丘がやって来て、指導者が見ているとも知らずに私の歩く瞑想を妨げ「おい、頼むよ!いい返事してくれよ」と私の肩を揺するではないか。




「あっ!こら!他人の修行の妨害をするな」




そのとたん、それを見ていた指導者がバングラデシュ人比丘を注意した。




「えっ!?」




その時になって初めて指導者が見ている事に気がついたバングラデシュ人比丘。


そしてその場で指導者から「オマエは何で修行もしないでここにいるんだ」とアレコレ問いただされはじめた。


そしたら更にそれを見た私の同室者の南アフリカ人修行者がそこに駆けつけてきて「長老!コイツいつもこの日本人にしつこく付き纏ってお布施ねだってるんですよ」と、私を援護してくれた。


私はそれまで気がつかなかったが、他の修行者たちから見てもそのバングラデシュ人のしつこさは目に余るものだったらしい。


かくしてそのバングラデシュ人比丘は二日間食事抜きの刑に処せられたのであった。


その事件について、バングラデシュに詳しいある日本人バックパッカーは「バングラデシュ人たちは日本人バックパッカーたちがみんな百万や二百万の金を持ち歩いて旅している事を知っている。バングラデシュ中で噂になっている。だからバングラデシュを旅していると、しょっちゅう困っているから寄付してくれと頼まれる。しかも誰かあげた人がいるのでしょう、すっかりカモにされてしまっている」と解説してくれた。


しかし通常は頼んできてもせいぜい1〜2万という事で「10万とは大きく出ましたね。帰ってから坊さんを辞めてビジネスでも始めるつもりだったのではないでしょうか?」という事だった。



「10万で起業?」



と、少し不思議に思ったが、当時のバングラデシュでは、人々の平均の給料が月5〜6千円だったらしい。



バングラデシュ首都ダッカ





日本人対バングラデシュ人 


 私以外にも当時のC瞑想センターでは、バングラデシュ人たちと日本人たちとの攻防戦が、次々と繰り広げられていた。


ある20代の男性は、毎朝洗面所で電気カミソリを使う習慣があったのだが、それを見たバングラデシュのハタチそこそこの比丘にその事で付き纏われるハメに陥った。



「何だ?それ?」



なぜならその若僧は電気カミソリなるものを初めて見たからだ。それで日本人男性は親切にも彼に剃り具合を初体験させてやった。だがバングラデシュの若僧はそれをいい事に図に乗って「その機械よこせ」と日本人男性にたかり始めた。そのたかり方が凄くて



「俺は比丘だぞ!信者は黙って言う通りにしろ!さもないと地獄に堕ちるぞ!」



と、いう恐喝まがいのものだった。そしてそれを断るとやはり修行を妨害して執拗に要求を繰り返した。そのため、ウザくなった20代男性は、渋々ヤンゴン郊外にあるCセンターの森林支部に移るしかなくなってしまった。親切心が仇になってしまったようだ。


彼が去るとそのバングラデシュの若僧は、今度は私に「日本に連れてってくれ」としつこく付き纏い始めた。だから私はもう頭が痛くなって、周囲で誰も見ていない事を確認してから彼を自室に引っ張り込み、ヘッドロックをかけて頭を思いっきり締め上げてやった。


連中にはこれぐらいやってやらないと、絶対に諦めないと思ったのだ。


そしたらそのバングラデシュの若僧は私を諦めて、次は別の50代の日本人男性に付き纏い始めた。そのため今度はその人が修行を妨害されるハメに陥った。


それで私がその人に若僧にヘッドロックをかけて撃退した話をしたら、彼もまたそれを真似したようで「アイツが頭を振り回して抵抗したので、最後はスリーパーホールドになってしまったよ」と苦笑いしながら言った。だが、彼もそれによって何とかバングラデシュ人の妨害から逃れる事が出来た。


笑い話のように聞こえるかもしれないが、当時の日本人修行者たちはバングラデシュ人たちの執拗な妨害に、このように顔を引きつらせながら必死で応戦しつつ修行するしかなかったのだ。


その若僧の他にもバングラデシュ人たちは日本人を見かける度に「おっ!カモだ」とばかりに付き纏っては何かをねだってきた。シャープペンシル、使い捨てカメラ、三色ボールペンと、どれも安い物ばかりだったが、彼らにとっては見た事がない高価な物ばかりになる。その場には韓国人たちもたくさんいたが、彼らは決して韓国人たちの方へは行かず、我々ばかりを狙ってきた。



「なぜ韓国人の方には行かない?」



と聞いても、薄ら笑いを浮かべるだけで連中は何も言わなかった。



「コイツら本当に比丘なのか?戒律を守る気もなければ修行する気もない。一体何のために出家したんだ?」



それでもう私はすっかりバングラデシュ人たちが嫌いになってしまった。そもそも彼らは日本に連れて行けと言うが、日本がどこにあるかも知らない。しかも「日本の大統領はイスラム教徒か?ヒンドゥー教徒か?」などとおかしな事を言っている。聞けば彼らは子供の頃に出家して、ずっと僧院暮らしなので、学校に行っていないのだという。


本当に子供の頃に出家したのなら、ミャンマーの比丘たちのように純粋培養された状態になっているはずだ。だが連中にはそれもない。まったく彼らといると判らない事だらけになる。



バングラデシュ人差別 


 そんな事があったので私は、新しく日本人が来る度に必ずトラブル回避のために「バングラデシュ人たちを相手にするな」と注意を促すようにしていた。


そして、とある20代の学生が修行に来た時にも予めそのように言っておくのを忘れなかった。だが何と!その学生は凄く真面目な人で、私が言い終わると



「バングラデシュ人だからといって、誰もが悪人であるかのように言うのは差別です。僕は反対です」



と逆に反論してきた。そして不快感をあらわにし、その場にいた我々日本人のオヤジたちに軽蔑の視線を向けてきた。



「そうか!こういう言い方をすると不快感を覚える人もいるのか!」



それで私はちょっと言い方を変えた方がいいと思いバングラデシュ人みんながそうだという訳ではないが、奴らは日本人を見るとアレコレたかってくる事があるので、くれぐれも気をつけて下さいと柔らかく言う事にした。


そしてそれをまた次に来た日本人に言うと、その人は若い頃アメリカに留学していた経験があるという事で「うわー!俺、アメリカにいた時、さんざん黒人に泥棒に入られたんで絶対にその学生みたいな事は思いませんよ」と驚いたように言った。


まったく頭が痛い。こういう話は人によって反応が違うので、どう言えばいいのかサッパリ判らない。


本当にバングラデシュ人たちのお陰で修行どころではない。しかしまあ、ここは何を言われようとも差別と受け取られないような言い方で注意を促すのが無難だろう。だからまた次に来た人にもそのように話す事にした。


そしたらその人もやはり「そうですか?俺も今、同じ部屋のバングラデシュ人に『日本から携帯送ってくれ』ってしつこく頼まれてるんですけど、アイツらみんなそうなんじゃないですか?」と言った。


更に次の人にも差別にならないように配慮した言い方で言うと、逆に「何でそんな甘っちょろい事を言ってんの?そんな事言ってるから日本人はナメられるんだよ」と嘲笑されてしまった。



一体何なんだこの差別に関する考え方の違いは?



では、こういう場合は修行者はどうやって対応したらいいのか?



差別にならず、トラブルにもならないような正しいバングラデシュ人の扱い方というのは果たしてどういうものなのか?



私はそんな事ばかり考えさせられて、すっかり疲弊してしまった。







バングラデシュ寺の仏像は独特の姿をしている 



K比丘の素性 


 だが、やはりそんなバングラデシュ人たちの中にも真面目な修行者はいた。他のバングラデシュ人たちが日本人を見るたび何かをねだっている時でも、K比丘だけはそれを尻目に黙々と修行していたのだ。


K比丘は坐る瞑想の時間が長く、一回坐ると中々起き上がって来なかった。朝は朝食の後直ぐに6時頃から坐り始め、10時の昼食直前まで4時間坐り、昼食後は12時頃から5時頃まで坐り、それからシャワーを浴びて歩く瞑想をし、その後また6時から10時まで坐っていた。


とにかく毎日みっちりと修行していたのだ。だから私は他のバングラデシュ人たちは嫌っても、このK比丘だけには敬意を払っていた。


ではK比丘はいつもどんな修行をしていたのだろう?少し気になったので、面接指導の時に彼のレポートを聞いてみた。すると彼は私の期待に反して、



「私にはもう、物を欲しいとか、何かをしたいとかいう欲求がなくなりました。このままで満足です。だから一来果、いや、不還果まで行っていると思います」



という、ヴィパッサナー瞑想の自己観察とはちょっと違った内容の話をしていた。



そしてそれに対する指導者のアドバイスは


「瞑想は欲求をなくすのが目的ではない。その欲求によって心身がどのように変化したのかを観察するのだ。欲求があったらあったでいいから、その状態をそのまま『欲してる、欲してる』と観察しなさい」



というものだった。つまり彼は坐っている時間は長いが、瞑想に関しては全然的外れな事をやっている素人同然の人だった訳だ


しかも自分が悟っているような事まで言って、勘違いも甚だしい。



「一体何やってんだか。やはりバングラデシュの坊さんにはロクな人はいないのか」



私はもう、がっかりして、そのように決めつけるしかなかった。



そんなある日、Cセンターに滞在していた外人修行者みんなで、寝釈迦仏の見物に出かけた事があった。勿論K比丘も同行した。






20年ほど前のミャンマーは今よりずっと貧しく、社会保障制度も何もないので、観光地に行くと乞食がたくさんいた。身寄りのない高齢者や身障者はもとより、貧困家庭で食事をさせて貰えない子供たちが観光客に物乞いをして凌いでいたのだ。


だから外人の私が寝釈迦仏に行ったら、案の定即座にボロボロの身なりをした8〜9歳ぐらいの少年にしがみつかれてしまった。




「おい!恵んでやってくれ」




その時だった。いつもは他人とコミュニケーションなどとろうとしないK比丘が、突然私の方を見て、目でそのように訴えてきたのだ。




「ああ、判った・・・・・」




だから私は少年に、屋台で麺料理でも食べられるぐらいの小銭を与えた。だが少年はそれだけでは満足しないようで「もっとくれ」とさらにしつこく迫ってくる。


そしたら次の瞬間、K比丘はその少年を「おい、その位にしておけよ。貰えたんだからもういいだろう」みたいな事を言ってなだめた。




気をつけて帰れよ…




そしてそんな感じで、私の元から離れて行く少年に、気づかいを見せるように声をかけた。


いずれもバングラデシュ語で言っていたので、本当にそう言ったのかどうかは定かではないが、その態度から確かにそのような気持ちだけは少年に伝わっていた。



バングラデシュ人比丘たちの素性 


 K比丘のそんな態度を見た時、私はふと「もしかしたらK比丘もこんな少年だったのではないか?」と直感した。と言うのも彼のその少年に対する態度は、普通のものではなかったからだ。



「何だ?このK比丘の乞食への思いやりは」



私はその時、K比丘の少年に対するただならぬ思いやりを見た。見ず知らずの少年に、なぜそこまでしてやる事が出来たのだろう?私はそんな事から、そのように推測せざるを得なかったのだ。


K比丘だけではない。私が会ったバングラデシュの比丘たち全てが、実はその少年のような生い立ちの者だったとさえ思えてきた。なぜなら彼らの私に対する態度と、その少年の態度とは、全く同じ性質のものだったからだ。



「もしかしたらバングラデシュでは貧しい家の子供たちが出家させられているのかもしれない。寺に住めさえすれば最低限の食べ物にありつける。親に連れられて行くのか、自分から行くのかは判らないが。しかしそういう事ならなぜ修行する気のない者たちが比丘になったのかも理解できる。しかも彼らのあのタカリの精神が、一体どこで身についたのかも全て判ってくる」







寝釈迦仏を見ながら私は、ぼんやりとそんな事を考えていた。


もしそれが本当ならば、K比丘(自ら物欲を克服し聖者に達したと話していた比丘)は修行で物乞いの精神を克服した人だったという事になる。


そうだ!彼が面接指導の時に報告していたのは、まさにそういう意味だったに違いない。


という事はK比丘は、一応は修行して気高き精神の人になったのだ。K比丘の修行とは、つまりそういう事だった訳だ。


そんな事があって私は「一応はバングラデシュの坊さんの中にもちゃんと修行する人はいる」と思うようになった。



彼らにとるべき態度 


 それは判ったとしても、問題は彼らに対する態度だ。修行者としてこんな場合は、どのように対応するべきなのだろう。


慈悲を持ってジッとされるがままにしておくのがいいのか?


喜捨として彼らがねだるがままに差し出せばいいのか?


また、バングラデシュ人と言っても色んなタイプの人がいる。偏見を持たずに、差別をせずに付き合っていくにはどうしたらいいのだろう?なまじっか仏教をかじったりすると、ちょっと難しい。


そういう訳で、では解脱・悟りの境地に達した大聖者と言われる人々のバングラデシュ人たちへの対応の仕方を参考にしてみた。


このC瞑想センターの住職のJ長老の場合は、修行をせずにたかり業に専念してばかりいるバングラデシュ人たちに対してどのような手を打ったか?


実はC瞑想センターでは、そんなバングラデシュ人たちに対して「彼らは修行しに来ているのではない」という事で、今後一切お断りという方針を打ち出していた。



「何だそれ!悟っていてもそんな風に十把一絡(じっぱひとから)げで考えるのか?それって偏見にならないのか?それともそうするのが最善なのか?」



あまりにも普通の対応すぎて拍子抜けしてしまったが、しかし大長老様のやり方はダンマ、つまり宇宙の法則からきているものなのだから、恐らくそれが最善の方法なのだ。



「よし、これからは俺もそのようにしよう」




瞑想センターだけではない。バングラデシュ仏教徒の保護政策を打ち出していたミャンマー政府ですらも、あまりの問題の多さに、わずか4〜5年でそれを打ち切り、バングラデシュ特権を廃止してしまった。


それによってミャンマーの瞑想センターからバングラデシュ人たちが消え、修行者たちはまた平静を取り戻す事が出来た。


一方でK比丘だけは真面目に修行していた訳だが、彼はどうなったか?と言えば、K比丘もやはり他の連中と一緒に連帯責任を取らされる形で、ミャンマーから追い出されてしまったのだった。


ダッカの鉄道写真 : Hasan Mahamudからの画像

 

 

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  最終更新日 2023.12.31

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