V比丘 チェコ人 30代 男性
スピリチュアル・エマージェンシーという言葉がある。日本で言う魔境の事だが、修行者は気をつけていないと修行法によっては瞑想中に危険な意識状態に入る場合があるのだ。
https://lonerwolf.com/spiritual-emergency/
https://m.youtube.com/watch?v=D4bCOI4Jc-4
基本的にマインドフルネス瞑想や手動瞑想など、集中力をあまり使わない方法で修行しているぶんには、瞑想中におかしな意識状態に入る事はない。だが集中没頭型の瞑想では、ちゃんとした指導者がいないとおかしな状態に陥ってしまう事がよくある。
気づきの瞑想をやっている時の状態と、ひたすら集中している時の状態との違いは、ほとんどの人は体験上よくお判りだと思うので、説明は無用だろう。
電波を受信する
では、おかしな状態とはどういう事か?
自他分別のない変成意識状態の事か?
いや、別にそういう上等なものならいくら入っても構わないのだが、中にはいわゆる「電波」なるものを受信してしまう人も出てくる事だ。
一度電波を受信してしまうとさあ大変。N○Kに毎月受信料を支払わなければならなくなる。払うのが嫌なら集金人が来る度に「この家の者ではありませんので」とお決まりのセリフで断らなければならない。
ではない。
医療機関に世話にならなければならなくなってしまうし、最悪の場合は社会生活が出来なくなってしまう事すらある。
だから集中する瞑想を修行する場合はそのあたりの事に十分に気をつけてやらなければならない。
https://hoya-mental.com/medical/medical06.html
私はそのような危険な体験をした事がないので、具体的にどのように注意したらいいのかはよく判らないが、集中没頭型の瞑想センターにいる時に、この電波を受信してしまった修行者を2人見た事がある。一人は日本人修行者でもう一人はチェコ人修行者だ。
ここで参考までに彼らのエピソードについて触れておきたい。日本人修行者の件については以前取り上げた事がある。
今回はもう一人の方、チェコ人修行者のエピソードについて取り上げてみたい。
瞑想修行をされる方々は、このような出来事をよく心に留めて、くれぐれもおかしな境地に入らないよう気をつけて頂きたい。
そのV比丘がチェコのパルドゥビツェから、はるばるミャンマーまで修行しにやって来たのが2012年の10月。彼はまずミャンマーに着くなり、ヤンゴン市内のあちこちの瞑想センターを訪ね、自分の修行スタイルに合った所を探し回ったという。
V比丘がたどり着いた所
ではV比丘が求めていた所とはどういう所だったのか?
最初彼は、チェコ人の多いマインドフルネス瞑想のS瞑想センターに行き、そこで比丘になった。
彼は元々は学校の教師だったが、瞑想修行に打ち込むためにそれを辞めて来たのだという。それを聞いて彼の解脱や悟りに賭けようとする、ただならぬ熱意が伝わってきた。
だがヤンゴンの気候は、ヨーロッパ育ちのV比丘には少しばかり辛過ぎた。なぜなら彼が到着した時点のミャンマーはちょうど雨季の終わり頃。気温が高い上に湿度も高く、蒸し風呂の中で生活するようなものだった。
しかもSセンターはその時期はミャンマー人修行者が100人以上、外人修行者が100人以上と、全部で200人以上の人々が修行していてかなり密度が高く、不快指数も最高潮に達していた。
そのためV比丘は早々にSセンターを切り上げ、マハーシ式やゴエンカ式、パオ式などの他の瞑想センターを回った。
しかしいずれもSセンター同様に超満員でウザく感じられ、短期間でそれらを転々とする事になる。
そして外人修行者間のネットワークを元に、半年かけて探しあてたのが、ミャンマー中央部にあるシャン高原のカローという町のマハーシ式の瞑想センター、M瞑想センターカロー支部だった。
ここは海抜1500メートルの高原にあるので、猛暑のミャンマーにおいては別世界のように涼しい。だから暑さに弱いV比丘には絶好の避暑地だった。
また、雨季でも雨量が少なく平野部の4分の1ぐらいしかないため、雨季でも快適に過ごせる。
何よりもいいのは、高原は空気が澄んでいる事。しかも瞑想センターは山の麓にあって静かだ。その上修行者の数も少なく、ミャンマー人が10数人いる他に外人はベトナム人が3人と韓国人が4人しかいなかった。これはヤンゴンの瞑想センターと比べると10分の1以下の人数だ。
「やっと打ち込める所を見つけた!」
そういう訳で彼は早速ここに腰を落ち着け、修行に専念する事にした。そして私がそのM瞑想センターカロー支部を訪れてV比丘に会ったのは、それから3か月後の2013年6月の事だった。
なぜかチェコ人と判った
「あなたはチェコ人ですね?」
私はなぜかその時、彼がチェコ人である事が直ぐ判った。V比丘はなぜ判ったのか驚いていたが、私はなんとなくチェコっぽいと思っただけだった。
実はその時は自分でもなぜ判ったのか気づいていなかったのだ。
V比丘もチェコ人らしく長身で192センチあるという。筋肉質でガッシリして、体重も100キロ以上あるだろう。
スポーツはアイスホッケーをやっていたらしい。日本人だと言うと、ヴィパッサナー瞑想をやる前はドイツまで行って禅をやっていたと話してくれた。
「しかしキミは何でわざわざミャンマーまで来るんだ?日本には禅があるだろうに?」
外人で禅をやっていた人は日本人を見ると大概このように言う。日本の事を禅の国だと思い込んでいるのだ。
だがご承知の通り実際には全然違う。
そしてこの場合は何て言ったらいいのかいつも困ってしまう。ミャンマーで修行するつもりの人がいれば、この場合の答えはあらかじめ用意しておいた方がいいと思う。絶対聞かれる事になる。
「日本はビジネスが最優先の国だね。禅をやる人なんて滅多にいないよ。瞑想修行をやる奴なんかなんかアウトサイダーだよ。ほとんどの人は金を稼ぐためだけに生きてる」
私はその時、そういう風に答えた。
別に深く考えた訳ではなく、そう言うのが一番手っ取り早く自分の置かれている状況を伝える事が出来ると思ったからだ。
だが、何とした事か!彼もチェコではそうだったようで、意外にもそれが彼の共感を呼んでしまう。
「えっ!日本人もそうなのか?ヨーロッパ人もそうさ、みんな金儲けのためだけに生きている。俺もアウトサイダーだ」
そして我々は同じ思いを共有する同士である事を確認し合い、意気投合した。
その時は別に彼におかしな様子は見えず、ただ、良識に溢れた誠実そのものの人だとしか思えなかった。
部屋に籠もったV比丘
また、V比丘を喜ばせたのは環境だけではなかった。
Mセンターのカロー支部は瞑想センターのキャパシティに比べて修行者の数が圧倒的に少ないため、一人に一軒のコテージが割り当てられる。これは破格の待遇だ。
そのためV比丘も新築のコテージを一軒借りて同室者や隣人に気兼ねする事も悩まされる事もなく生活する事が出来た。
そうなったらV比丘ののめり込みようというものは凄かった。
寝起きから入眠直前までずっと集中を切らさずに一挙手一投足を見つめている事が端から見ていても良く判った。オハヨウからオヤスミまで自分を見つめるV比丘。だがそこに問題があった。
前述したように、私は以前修行中に電波なるものを受信しておかしくなってしまった日本人修行者を見た事がある。このV比丘に会う4年半前の事だ。
場所はマハーシ式のC瞑想センターのヤンゴン郊外にある森林瞑想センター。
その日本人も滞在中はコテージを一軒借りて生活していた。そしてその人は、瞑想をその自分の部屋でやっていた。
瞑想センターでは通常、日々の生活は自室で、瞑想は瞑想ホールでやる事になっている。基本的に自室で瞑想してはいけない。
試してみれば判るが、自室でやると雑念が凄く湧いてくるうえ、眠気まで襲ってくる。恐らく緊張感が抜けてしまうのだろう。だから「瞑想は瞑想ホールで」というのが鉄則となっている。
だがその日本人は「自室の方が俗世間の喧騒から逃れられる」とコテージ内で瞑想し、下手すると食事も忘れてのめり込んでいた。
指導者に「ちゃんと食べてからやるように」と言われても「ひと月しかないのでみっちりやっていきたいんです」などと応えて驚かれていた。
「コテージの方が静かでいいや!」
そしてその日本人の歩いた道をたどるかのように、V比丘もやがてコテージに籠もって瞑想するようになっていった。
これまでの人生、ずっと外れ者として生きてきたという事で、もしかしたら人間嫌いになっていたのかもしれない。そして私に会った時には既に部屋に籠もって2か月ぐらい経っていたようだった。
ストレスがかかる方法
そしてもうひとつ、その日本人修行者とV比丘とには共通点があった。二人が修行していた方法は、マハーシ式だったという事だ。
これもまた試して頂ければよく判るのだが、マハーシ式というのはストレスが凄くかかる方法だ。
一挙手一投足にラベリングを入れながらゆっくり動いていると、頭痛がしてくるうえに、じれったくて苛立ってくる。しかもそうやったからといって別に良く気づけるようになる訳でもない。それはなぜか?
それは五根(信・念・定・精進・慧)という心のバランスをとる要素のうち、集中(定)が強くなると気づき(念)が弱くなるようになっているからだ。
そうだ、つまりこれは気づくためにやっているのではなく、心を対象に固定させて集中力を切らさないようにするためにやっているのだ。だからたくさん気づきたければラベリングをせず、普通の速さで動いた方がずっと効果的だという事になる。
そうやって日常生活のラベリングで磨いた集中力を使って、座っている時の足の痛みに没頭する。足の痛みが生じたり滅したりしている様子に注目し、生滅の間を見てとろうとするのだ。それが出来るようになった時には足の痛みとの一体化、つまりジャーナ(禅定)を達成する。
しかしジャーナに入れなければ、もっとしっかり日常生活の行いにラベリングを入れるように言われる。だからマハーシ式というのはそんな感じでストレスをおぼえながら一日中集中力を磨き、更に座っている時はずっと足の痛みの生滅する様子を観察しなければならない疲労の激しい方法だという事になる。
私もマハーシ式のC瞑想センターで修行した事があるが、その時は坐る瞑想を一回3時間も行い、その間ずっと足の痛みを観察していたものだ。
ラベリングの方はまだそれほど辛いとは思っていなかったが、足の痛みを観察し続ける事は拷問のように感じられていた。
そしてそれを何日も続けているうちに精神的におかしくなり、近くでヒソヒソ話していたオランダ人に苛立ち「うるせえっ!」と水の入ったペットボトルを投げつけてしまった事がある。
それは幸いコントロールが悪くて命中せずに済んだのだが、心の中では「くそっ!外れたか!」と悔しがっていた。
後で正気に戻ってからその事を謝ったが、もはや人間関係が修復する事はなかった。
そればかりか周囲の人々からは、ずっと頭のおかしい危険な奴だと思われていた。実際自分で思うより、ずっとおかしくなっていた事だろう。
C瞑想センターにいた頃はこんな目をしていた
また、その頃は知らなかったが、実はマハーシ式の瞑想センターでは、通常ジャーナを達成した場合を除いて、坐る瞑想を1時間以上続ける事を禁じていたのだ。
私はそんなトラブルがあったので、その理由を身を持って理解した。だが、そのC瞑想センターだけは、逆に長時間坐る事を奨励していたという恐るべき実態を後になって知り、驚愕した。
そのため、その後マインドフルネス瞑想の方に転向した時は、長い間自分を縛り付けていたラベリングという手枷足枷が外れて楽になった。
それまでは瞑想を始めると直ぐに頭痛がしてきたのが、それもなくなり頭がスッキリと冴え渡った。足の痛み地獄からも解放されて、いつも足を組み替えながら快適に坐れるようになった。
そして集中を抑えて気づきに専念すると、何をやっていても直ぐ気づけるようになり、一気に瞑想がレベルアップしてしまった。
私はミャンマーに来て20年以上になるが、10年ぐらいはそうやって何も知らずにC瞑想センターの常連になっていたので、ちっとも瞑想を覚える事が出来なかったのだ。
しかしマインドフルネス瞑想に転向したとたんに急激に進歩し始めた。だからマハーシ式に関しては「ジャーナに入れなければゴクツブシ」の方法だという印象がある。
ただし私は入れなかったが、このマハーシ式のジャーナ達成率というのは凄い。ミャンマーに数ある瞑想法の中でも随一ではないだろうか?これを真剣にやっていればかなりの高確率でジャーナに入り、涅槃を達成出来るのだ。
だからこれは諸刃の剣と言うか、効果的な分だけ危険も多い方法だという事になる。そして私は上手くいかなかったからどうしても危険な面だけを見て批判的に捉えてしまうが、上手くいった人々は「そんな小さい事どうでもいい」と利点だけを高評価する。
いずれにしても糞真面目なV比丘は、このようにして意図的に行う不自然な速度の動きと、ラベリングから来る慢性的な頭痛とによってストレスを積み重ねていった事は想像に難くない。
また私と同様に足の痛み地獄でかなり異常な精神状態に陥り、しかも周囲から孤立していたため、その事に気づけないまま数週間も放置されていたことも予想される。
電波を送るのは誰か?
前述の日本人修行者は、最初に電波を受信した時は、本物の人間たちがどこか近くで自分の部屋を覗いていると思ったという。なぜなら室内での行動を全て何者かによって把握されていたからだ。
彼が言うにはニ人のコギャルが見ていて、一人は実況役でもう一人は解説役で、いつもヒソヒソ話していたという。そして彼女たちは彼の考えている事を全て言い当てた。
ただしその二人の会話は決して他人に聞こえるものではなかった。日本人修行者の頭の中でだけ起こっていた。だから幻聴とも受け取れる。その日本人修行者は「何者かが脳にダイレクトにメッセージを送ってくる。まるで脳がラジオになったようだ」と言っていたが、誰がそのメッセージを送っていたのかは定かではない。
「この電波はヒロさんの事も見てますよ。ヒロさんは中々瞑想が進まず苛立っていて、他の方法に変える事を検討中だと言ってます」
何と!その幻聴は、彼の隣のコテージに住んでいた私の事をもピタリと言い当てた。私が今、何を考えて何をやろうとしているかも全てお見通しだったのだ。
私の事だけではない、他の修行者や職員たちの事まで全てピタリと言い当てた。だから私はその話を聞いて恐ろしくなり「それはただの幻聴ではない」と思うようになった。
「その電波の送り主は、絶対に俺の事もどこかで見ている!」
しかし私にはその声の主が誰なのかはサッパリ判らないし、どこから私の事を見ていたのかも判らない。「もしかしたら盗聴されていたのか?」本当にそう思うしかなかった。また、彼の頭の中でどういう事が起こっていたのか見当もつかなかった。
私はまだその電波なるものを体験した事がないからだ。だからこの件に関してはこの世界のオーソリティであった村崎百郎氏の解説に頼るしかない。
村崎百郎氏 ウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
村崎氏によればこの電波は、最初に取り憑いた相手にいい思いをさせて舞い上がらせておいてから、一気にどん底まで落とす事を楽しんでいるのだという。
確かにその電波を受信した日本人も、最初そのようにいい思いをさせられておいてから、一気にどん底まで落とされていた。
V比丘の異常な行動
V比丘の話に戻るが、彼は瞑想センターでは坐る瞑想を自室で行っていたところまでは話した。
では一方の歩く瞑想はどこでやっていたかと言うと、通常は庭先で、雨の日だけは瞑想ホールに入ってやる事にしていたようだ。
「あれ?何やってんだ雨の中で?」
ある日の事だった。私がV比丘に会って2週間ほどたった頃だろうか?彼は小雨が降っているにもかかわらず庭先で歩く瞑想をやっていたのだ。
袈裟が濡れてビショビショになっても全く気にする素振りも見せずに。
「ハマってるのか?」
私は「彼の事だからジャーナに入ろうと必死になっていて、このぐらいの雨の事など気にならないのだろう」と勝手に解釈していた。そして彼はそのまま小雨の中を歩き続けていた。
それから何時間たっただろう?私が夜9時になって瞑想を終えて外を見たら、V比丘がまだ歩く瞑想をしていた。
「ずいぶん頑張るものだな」と歩き続ける彼を尻目に私は自室に戻って行った。彼の異変に気づいたのは次の日の事だった。
翌朝3時半に起きて4時に瞑想ホールに行こうとすると、何と!V比丘がまだ小雨の中を庭先で歩く瞑想をしていたのだ。
「あれ?彼は一晩中やってたのか?昨日寝てないんじゃないか?」
その時の彼の表情は、まさしく何かに憑かれたような顔をしていた。
大暴れするV比丘
その日の夕方の事だった。坐る瞑想をしていたら、突然どこかから怒鳴り声が聞こえた。
ガラスが割れる音も聞こえる。
「何だ?」と思い、瞑想を止めて目を開けると、その怒声はV比丘のコテージの方から聞こえる。
ホールの窓からそちらを見ると彼が室内で大暴れしていて、大声を出しながら窓をガシャンガシャン叩き割っているではないか。
その音に驚いて修行者たちがみんな一斉に外に出た。
するとV比丘もフラフラしながらコテージの外に出てきた。
顔面蒼白になっている。
そして私と目が合うと手を振って「オー!大丈夫だ、大丈夫だ」と言って地面にヘタリ込んでしまった。だが、目の焦点が全く合っていない。
そして頭を抱えて「俺はブッダじゃない。俺には欲望がない。俺には望みがない。死んだ。死んだ」とうめきながらうずくまってしまった。
そして2〜3分するとまたフラフラと立ち上がり、頭を抱えながらコテージへと戻って行った。
だが彼の部屋は割れたガラス片が散乱していて、その上を裸足で歩いたため彼の足も床も血だらけになってしまった。
部屋の中はベッドがひっくり返されてバラバラに分解され、本棚が倒されて収められていたパーリ経典群が開いたまま飛び散り、仏像は無惨にも破壊されていた。
私の推測だとその時のV比丘の頭の中には、ずっと何者かの声が響いていたのだと思う。
おそらく「お前はブッダだ!」と言われていたのではないか?
V比丘はその声に必死で抵抗していたのだ。
そしてその声がどこから聞こえてくるのかを探してベッドの下を探したり、本棚を倒して裏を探したり。
声を探してフローリングの床まで剥がしてしまい、室内は惨たんたる状況と化していた。
また、いつも窓の外から見張られているように思えたのかもしれないし、その声は仏像の口を借りて話しかけたりしたのかもしれない。そして彼はその声の主を捕まえて追い出そうとした。
その後、彼は血まみれになりながら部屋の隅にうずくまり、時折「俺に話しかけるな!」「俺を見るな!」と宙に向かって叫んだり「俺はブッダじゃねーよ」と頭を抱えたりしている。
やはりそうだ、彼は自分に語りかけてくる声と必死で闘っているのだ。間違いない。
しかしどうしたらいいのか私には判らない。苦しむ彼を助ける事は出来ない。
だが、不幸中の幸いか?その時ちょうどミャンマー人の歯科医師が修行に来ていて、彼がその一部始終を目撃していたのだ。
「これは大変だ!私の友人に精神科医がいる!直ぐ彼の病院に連れて行きましょう!」
そしてその歯科医師はその場から友人の所へ電話し、状況を伝え、V比丘を自分の車で病院まで搬送する事にした。
だが、うずくまったままで動かない大柄なV比丘を外に連れ出す事は相当な至難の業のようだった。
尼さんたちは皆ブルブル怯え、全員部屋に隠れドアの鍵をかけてしまった。
そこで力のありそうな若い者を2人呼んできて、彼らに両脇を抱えて貰って立ち上がらせ、引きずるようにしてやっとの事でV比丘を車まで連れて行った。
そしてそのまま彼を車に押し込めて、若い者2人に両脇を固めて貰いながら、なんとか病院まで運んでいった。
「ラーンルエデーだ!(間違ったところに入った=魔境)」
静かだった瞑想センターはそんな訳でたちまち大騒ぎになり、誰もが啞然とした表情のまま事の成り行きを見守るしかなかった。
そしてV比丘はその後どうなったのかと言うと、彼を搬送した歯科医師によれば、彼は病院に入院させられ、時々『俺はブッダだ!森に行って6年修行するんだ』などと言って暴れてみたり、時々『あれ?ここはどこ?俺托鉢に行かなきゃ』などと言って正気に戻ったりしていたという事だった。
薬を投与されているものの、治るかどうかは判らないらしい。
そういう事でV比丘は、二度と瞑想センターに戻って来る事はなかった。
V比丘を彷彿させる人物
そんなV比丘の大騒動があってから半年後の事だった。私は今度はヤンゴンにあるS瞑想センターに滞在していた。
こちらは私が毎年年末年始を過ごしている馴染みの場所だ。また、私同様の常連外国人もたくさんいて、年に一度の再会を楽しむ場所でもある。
「あっ!似てる!?」
そしてその常連外国人の一人にJ氏というチェコ人がいた。
私は彼に再会した時、咄嗟にV比丘と初めて会った時の事を思い出した。なぜなら私はあの時、一発でV比丘の事をチェコ人だと見破ったからだ。そしてそれが出来た理由もその時に判った。
つまりV比丘はSセンターの常連のチェコ人のJ氏にそっくりだったのだ。それでV比丘を見て、どこかで見たことがあるような気になったのだと思う。それで彼と話している時に自然とV比丘の話題が口をついた。
「6月の話なんだが、シャン高原の瞑想センターでスピリチュアル・エマージェンシーに陥ったチェコ人が出たんだ」
するとJ氏は驚いたような顔をして「えっ!あんた何でそれを知ってるんだ?」と聞いてきた。
意外な事にJ氏は既にその事を知っていたのだ。
「あれ?もう情報伝わってんの?チェコ人のネットワーク速いな」という事で私の方も思わずV比丘がどうなったかを聞いてみたくなった。
「何でって、一緒に修行してたからだよ。それで彼は良くなったの?」
J氏はJ氏で私にその話を聞きたそうだ。「いや、良くなってないが、何?それでどういう状況だったの彼が錯乱した時は?何かトラブルでもあったの?」と質問責めにしてくる。だが私は私で
「そうか、残念な事だ。それならとにかく今は彼の全快を祈るしかない。しかしどうでもいいがこのJ氏、見れば見るほどV比丘にそっくりだぞ。全然他人とは思えない」などと呑気なものだ。
それでもJ氏は「どこの瞑想センターだ?どんな瞑想やってたんだ?教えてくれ!何であんな事になったんだ」と、血相を変えて聞いてくる。まるで親兄弟の仇でも取りたいかのようだ。しかし私はそれに対して
「何だコイツ?何をそんなに必死になってんだ?チェコ人はそんなに同胞愛が強いのか?変わった奴だ。それとももしかしたらコイツは電波の方に興味があるのか?」
などとサッパリ噛み合わない。今から思えば私はJ氏の気持ちを察してやる事も配慮してやる事も出来ないまま、間抜けさ丸出しで彼にV比丘の事を教えてやっていたのであった。
このように瞑想は心地いいばかりではない。ジャーナを目指したりするようなハードな修行をする時には、このような事故も起こり得る。その場合は必ず指導者の指示に従い、くれぐれも必要以上のストレスをかけないように注意してやらなければならない。
魔境に入った人々の体験がこれから修行する人々の役に立てれば、彼らも本望だろうと思い、ここに記録させて頂いた。
これによって全ての修行者たちが安全に修行出来ますように。そして魔境に入った彼らが一刻も早く回復しますように。