【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#40】貪欲さが止まらない修行者

2021年5月26日水曜日

修行者列伝

t f B! P L





J氏 イギリス人 40代 男性





 の中には酒やら煙草やら麻薬やら、何らかのものにしがみついて手放せない「依存症」なる症状を持つ人々がいる。このスマホを手放せないというのも依存症だし、いつもツイッターを見ていないと気が済まないというのも依存症だ。


また、食後にコーヒーがないとダメだというのも依存症だし「かっぱえびせん」や「ハッピーターン」が止められないというのも依存症だ。


それに似たようなものでピーナッツ依存症というのに罹った修行者がいる。


そのピーナッツ依存症のJ氏が、はるばるロンドンからミャンマーのS瞑想センターまでやって来たのが2017年の11月。そしていったいどういう巡り合わせなのか?私と同室になってしまった。




ミャンマーのスーパーで売っているかっぱえびせん





たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。

「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。


      ダンマパダ186





この依存症というのは早い話が貪欲さな訳だが、依存しているものの味やら何やらの刺激を求めて止まない、もの凄い不満というのが心の中にあって、その不満を解消すべくまたその刺激を味わうのだが、その刺激は一瞬にして消えてしまうため、また不満に陥り、更に一層その刺激を求めようとして、決して得る事の出来ない満足感を求めて終わる事のない堂々巡りにハマって訳が判らない状態に陥っている無茶苦茶な症状の事を言う。



悪循環を見つめる 





 J氏がピーナッツ依存症になったのはイギリスにいた時ではなく、実はM瞑想センターに来てからの事だった。


毎朝必ずニンニクを一個食べる習慣のあるJ氏が、近所の八百屋までニンニクの買い出しに出かけると、そこでピーナッツが安売りしているのを見かけた。


安売りと言ってもそれがミャンマーの普通の値段なのだが、それが何と、インスタントコーヒーの空き瓶に一杯ほどの量で、たったの200円ほどだったのだ。



「安い!」



元々健康オタクみたいなところがあり、栄養のバランスにも人一倍気を使うJ氏は「天然の栄養補助食品」と言われるピーナッツがこんなにも安く買えるのを知って購入、いや、「手を出さない」はずがなかった。あるいは「手を染めない」はずがなかったのだ。



https://food-drink.pintoru.com/nuts/about-peanuts/



健康オタクと言ってもJ氏の場合はベジタリアンとか、有機農法のものしか摂らないといった、何らかの一つ筋の通った信念がある訳ではなく「身体にいい」という話しを聞けばそれをやるし「悪い」という話を聞けばやらないという、ところどころ矛盾ありの、いい加減な我流の健康法に努めているというだけの事なのだが。


例えば私はいつも、プラスチック製のお茶やコーヒーを淹れる茶こし付きの透明のボトル型容器を持ち歩いていて、それを水筒代りに使ったり、それでお茶やコーヒーを淹れて飲んでいたりしたのだが、それは彼に言わせれば「危険」なのだと言う。




茶こし付きプラボトル




なぜならプラスチックは熱湯に溶けるので、毎日少しづつプラスチックまで一緒に飲む事になるかららしい。


そのプラスチックには女性ホルモンが含まれているので、飲み続けているうちに胸が膨らんできたり、女性器が形成されてきたりするとまで言う。



「オ○○コ」



だが、そんな話は到底信じられるものではない


そんな事で性転換できるのなら、LGBTの人々は苦労しない。そんな話を信じてどうする気だ?


そんな事だから彼は、暑い日でも水筒も持たず、十分に水分を補給しないまま、しかも扇風機も何もない庭で瞑想していたりした。体内に水分が不足したまま胡座をかいて1時間も坐ったままでいるとどうなると思っているのか?







「イデデデデッ」



彼は瞑想を終えて立ち上がろうとした時、突然足がつってしまい、ふくらはぎを押さえながらよろめいた。


彼は修行者のくせに暑い日に水分を補給しないまま坐る瞑想をすると、足がつってしまうという事を知らなかったのだ。


彼は色々考えているような事を言うが、実際には何も考えていないようだ。



掟破りのピーナッツ  


 ところで修行者は、たとえ外人と言えども瞑想センターに滞在している間は、八戒と言って八つの掟を守らなければならない事になっている。これはどういうものかというと


「信仰心からの寄付によって修行させて貰う者は

①生き物を害さない

②他人の物を盗まない

③不倫をしない。修行中は性行為をしない

④嘘偽りを語らない

⑤酒や麻薬類を摂らない

⑥正午から翌朝の日の出までの間に食事を摂らない

⑦贅沢な生活をしない

⑧装飾品を身に着けたり歌や踊りなどの娯楽に興じたりしない、

という八つの戒を順守せよ」


というもので、注目すべきはこの中の6番目に「午後は一切食事をとってはならない」という掟がある事だ。


瞑想センターというところは食事が出る訳だが、基本的に朝食と昼食の一日2食だけで夕食は出ない。それはつまりこの戒を守るためだ。そして夜はどこのセンターでも食事の代りにジュースが出る。


一日二食でも別に慣れればどうという事はないのだが、慣れるまでの1週間か10日ぐらいは夜になると少しひもじい思いをする。


J氏はこの時はまだ慣れておらず、夕方になると決まって「明日の朝食まであと12時間もある」などと言って辛そうな顔をしていた。


普通の修行者はこういう時は、黒砂糖やら椰子砂糖やら甘いものを食べて飢えを鎮める。砂糖は戒律で食べてもいい事になっているのだ。


また、キャンディーも砂糖の塊と見做されるので、食べてもいい事になっている。



「ほらJ氏、キャンディーでも食べてれば」



だから私はこんな時のためにいくつか持っていたキャンディーを彼に渡そうとした。瞑想センターでは修行者たちは、大概こんな時のためにキャンディーを用意している。


また、瞑想センター側でも修行者たちがひもじい思いをしないようにと椰子砂糖を用意しておいてくれる。




椰子砂糖



修行者は椰子砂糖を自由につまんでいい


しかし彼は甘いものは苦手らしく、手を振って要らないというジェスチャーをした。困ったものだ。瞑想センターでは甘いものがダメな人は、夜の空腹時は辛くなる。J氏は恐らく瞑想センター暮らしを苦痛に思うようになるだろう。瞑想センター暮らしが向いているかいないかなんて、大体こんな程度の問題なのだ。だがJ氏はそんな私の心配をよそに、



「キャンディーってのはアメリカ英語だぞ。これ本当はスイーツって言うんだぞ!」



と言って気を悪くした。どうもJ氏は英語はイギリスのが本物でアメリカのは方言か何かだと思っているようだ。


まったく呑気なものだ。今はそんな事を言っている場合ではないだろうに。


また、これ以外にもJ氏は、瞑想センターのセンターという単語を「center」というスペルで書いたりすると、やはり「それはアメリカ式のスペルだ」と気を悪くした。イギリス式では「centre」と綴るのだという。


こちらにしてみればそんなのどうでもいい話だが、アメリカとイギリスの間に何か言葉における確執でもあるのだろうか?


キャンディーと言おうがスイーツと言おうが、とにかく今は空腹感を紛らわせてしまわなければならない時なのだ。だが、そんなやりとりをしていたらJ氏が急に



「そうだ!あれがあった!」



と、何か思い出したようにバッグに手を突っ込んだ。そして取り出したのが例のピーナッツがぎっしり詰まったコーヒーの空き瓶だったのだ。



戒律の意味 


 この八戒の中の1〜4までは破ると悪業になるという事で、修行者たちに厳しく禁じている(禁戒)。


しかし5〜8までは破っても別に悪業にはならないが、修行する上で不都合だからと、また、できるだけサポートしてくれる人々に負担をかけないようにと、やんわりと禁じるだけになっている(勧戒)。


日本人は糞真面目な民族だから、八戒を与えられればみんなしっかりと守るが、他国の人々というのは「悪業ではない」と聞けば「それでは守るか否かは任意だな」と解釈して、誰も見ていない所で破ろうとする。



「アディクティヴ、アディクティヴ(止められない、止まらない)」



だからJ氏はそんな事を言いながら部屋の中で持っていたピーナッツをポリポリやり始めた。


私が「それ戒律違反だぞ」と指摘すると彼は「そうだとも俺は悪い修行者さ」と開き直った。


そして「旨い!アンタも喰わないか?そんな硬い事を言ってないでさ」とまで言った。少しも後ろめたさを感じていない。







「こりゃ本当に旨いよ。ピーナッツがこんな旨いものだとは思わなかった。明日も買ってこよう。こんなに安いんだからさ。夜食には持ってこいだよ」


何とJ氏は、これから先の夜の空腹時には、いつもこの手で乗り切ろうと思ったらしく、いい解決法を見つけたように喜んでいる。


「ピーナッツにはタンパク質が豊富でビタミンやミネラルが含まれているんだぜ。決めた!ここにいる間はこれで乗り切ろう」


だが、そんな呑気な事を言っていられるのも今のうちだけだとは、J氏はまだその時はまだ思っていなかった。



貪欲さの悪循環 


 それ以来J氏は、すっかりピーナッツの虜になってしまったようで、暇さえあればいつでもポリポリやっているようになった。


彼は朝起きて直ぐ歯を磨くのだが、磨いた後にはもう早速ポリポリやっている。


そして朝の瞑想が終わって、これから食事だという時もポリポリやっている。


食後も当然デザートとしてポリポリやっている。



「本当にこれは旨いだけでなく、身体にもいいし、言う事ないな。うん、最高だ」



そんな感じでいつもポリポリやっているうちに、いつしか彼はピーナッツを手放せなくなってしまったのだ。瞑想ホールにいても、一回瞑想が終わる度に部屋ヘ戻ってはポリポリやっている。見ていると何だかいつもソワソワして全然落ち着かない。いつでもピーナッツを食べる機会を探しているかのようだ。








食べる量も最初のうちはコーヒーの瓶一杯分のピーナッツを4〜5日ぐらいかけて食べていたのが、そのうち2日でひと瓶食べるまでになった。値段からしたら確かに大した事はないのだが、そんなに食べて腹の調子は大丈夫なのか?



「腹は大丈夫だが、本当にいくら食べても満足しないものだね。食べた瞬間にはもう次のが食べたくなっているんだ。でもお腹はいっぱいなんだよ。意に反して欲望だけが出てくるんだ。本当に変だよ。これって一体どうなっているんだろうね?」



なるほど意に反してか。しかし依存症というのはみんなそうだ。酒でも煙草でも薬物でもみんな止めたくても止められないから困る訳だ。まるで自分が自分じゃないみたいだ。


ところが瞑想の世界では、そういうのは全部自分でやっているという。実際には自分で欲しがっているのだ。飽くなき欲望とは、自分で自分の欲望に振り回されている事を言う。



「本当にそうだな。もう腹いっぱいでこれ以上食べる事は苦痛以外の何ものでもない。それなのに止められない。これは苦だよ。自分が全く意のままにならない。俺は苦を悟ったよ、マジで」



いや、J氏はそれを「苦」だと言ったが、それは「無我」の方ではないだろうか?


自分の思った通りにならない事を理解しているのだからやっぱり無我だ。


「苦」というのはその不満感の方だ。いくら味わっても決して満足出来ない慢性的な不満感。



「不満?それが苦の意味なの?ふーん、じゃあ何で満足しないのかね?」



J氏は不思議そうな顔をしてそのように言った。


だがそれは無常」だからだろう。


美味しさを味わおうとしても、その味覚は舌の上で一瞬で消えてしまう。満足する前に消えてしまうから不満が残る。不満だから何とか満足を手に入れようとまた食べるものの、それもまた一瞬で消えてしまうから更に一層不満になるだけだ。そうやってどんどん貪欲さの悪循環にハマってしまうんだよJ氏。



「なるほど、ピーナッツの中に無常・苦・無我がある訳だね。判った、じゃあ俺は今度はその無常でも観察してみるとするか。何とか貪欲さの悪循環から抜け出さないとな」



J氏はピーナッツ依存症になりながらも、そうやって一応は気づきながら食べているから無常・苦・無我を理解したようだ。


しかしピーナッツを止めたいなら、もう買って来なければいいのに何で毎日買ってくるんだ?


別に中毒になるような成分なんて入ってないのだからなくても禁断症状なんかないだろうに。あるから食べたくなるのであって、なければ食べたくならない。



「ウーム、確かに味覚が生じると一瞬は心地よさが全身に広がるんだが、直ぐ消えてしまう。これは本当に無常だよ。なるほど、だから苦なんだな」



それ以後J氏はそんな事をブツブツ言いながら、ピーナッツをつまんでは口に運んでいた。


まるで俺は無常・苦・無我を観察するためにピーナッツを食べていると言わんばかりに。


そしてひと粒ひと粒味が消えていくのを確認しながらポリポリ噛んでいる。こうやって無常を観察していれば依存症は治まると信じて。




ピーナッツ依存症の本当の理由 


 だが、そんな風にマインドフルにピーナッツを食べていたJ氏であったが、毎日それを続けても、全然ピーナッツを止める事は出来なかった。


その方法で依存症が治まる訳ではなかったのだ。いくら無常を観察しても、不満はなくならないではないか。



「あれ?どうなってんだこれは?」



だからJ氏はすっかり困ってしまった。しかもこの件に関しては、面接指導の時に質問しようにも出来ない。


なぜなら彼がやっているのは八戒に反した行いだからだ。もし長老にバレたら懺悔させられてしまう。下手すれば追い出される。悪い事は出来ないものだ。


そのため彼は他にやっていた一切の探求を止め、依存症の原因を突き止める事に専念せざるを得なくなった。



「俺、本当はこういう探求じゃなくて『見えると見る』や『聞こえると聞く』の違いを観察してジャーナ(禅定)に入るとか、そういう探求をするつもりでミャンマーまで来たんだけどな」



J氏はそういう風にがっかりしたように言うが、それだったらピーナッツなど買って来なければいいのに、何でまた毎日毎日飽きずにどっさりと買って来るのか?



「いや、だから不安でさ。夜になってひもじい思いをするのが嫌だから、何かスナック類を持っていた方がいいと思って。ポテチとかじゃ油っこくて身体に良くないが、ピーナッツならヘルシーだから」



ひもじい思いをするのが嫌って、それは怒り系の感情ではないか。


また、ポテチが悪でピーナッツが善というのは概念だ。良いか悪いか価値判断して出てくるものだ。だから食べても大丈夫という反応をするのだろう。


これがもし身体に良くないという概念だったら、食べようという気持ちは絶対出てこないはずだ。


J氏とアレコレ話しながら、そうやって何気なくそこまで考えた時、ふと閃いた。



「判ったJ氏!ピーナッツ依存症の原因となっているのは貪欲さだけではなかったんだ。怒りもあれば無痴もある。貪・瞋・痴の煩悩みんな揃っていたんだ。それらも観察しなければ効かなかったんだよ!」



なるほど煩悩というのは一種類だけ出てくるのではなく、みんな揃って出てくるものなのだ。


また心身の現象というのも同様に、無常も苦も無我もみんな揃って出てくるんだ。


無常だから苦、無常だから無我。


判った!これはいい事を知った。J氏、ありがとう!そしたら彼もその話には心当たりがあったようで



「何っ!価値判断だって!言われてみればそうだ!確かに身体に悪いと思っていたら食べたくならない!それに俺は空腹感を恐れて避けようとしている!」



そう言って直ぐに私の言う事に賛同した。そして早速その彼が見過ごしていたものを観察すると、次の瞬間には何とかピーナッツ依存症から抜け出す事が出来たのであった。



J氏との再会 


 こういうのがJ氏のピーナッツ依存症に陥ってから抜け出すまでの経緯になる。


ここではスペースの都合上、大まかな所を簡単に書いただけだったが、実はJ氏のピーナッツ依存症は10日以上続いていた。そして彼はここに書いた以上に、満腹になっても止まらない貪欲さに苦しめられていた。よく、そんなにピーナッツを食べ続けて飽きなかったものだと感心したりもしたが、そして彼はそんな調子でひと月ほどの修行を終え、その年はひとまず帰国した。






それからJ氏と再会したのはその翌年の2018年の11月の事だった。その時は彼は、今度は私の向かいの部屋に入ってきた。そして突然の再会に、お互いに驚いた。


そして二言三言挨拶を交わし、再会を喜んでいると、J氏は私が持っていたプラスチック製のボトルに注目した。そして



「あれ?これ去年も持ってたよね?あれからずっとこれ使ってお茶飲んでるの?それじゃ相当オッパイ大きくなっただろ?」



と聞いてきた。去年の事などすっかり忘れてしまっていた私は、そんな事を言われても一瞬、何の話だか意味が判らなかったが、次の瞬間



「ああ、そう言えばそんな事言ってたね。しかし残念ながら全然ならないね」



と、彼とのやりとりの中で思い出す事が出来た。まったく変な事ばかり憶えているものだと呆れてしまったが、一方の彼は彼で



「本当か?どうしてならないんだ?」



と大袈裟に首をかしげてみせた。マジかよ、本気にしてたのかそんな話を?相変わらず困った奴だ。


だが、その話を憶えているのなら去年の失敗の事も忘れてはいないだろう。それならばJ氏も去年の事を教訓にして、今年こそ本来やりたかった探求に専念出来る。今年の彼の修行ぶりが楽しみになってきた。



「それでピーナッツは今年はどう?まさか持ってきたりはしてないでしょ?」



と私が聞くと彼は「えっ?ピーナッツ?何の話?」と言った。そしてその後思い出したようで大きく頷きながら



「ああ、そんな事もあったね。すっかり忘れていたよ。しかしキミも変な事ばかり憶えているものだな。肝心な事は忘れているのに」



と呆れたような顔をして言った。



「ハア?変な事?肝心な事ってどっちが?」



私がそのように驚いた顔をすると、彼は私の方を見てニヤリと笑いながら「そんなのもういいじゃないか」とばかりに首を振り、私の肩をポンポンと叩いた。


それで私はやっと自分が恐ろしく野暮な話をしてしまった事に気づいた。そしてオッパイの件についても



「ああ、あんな時は『お陰さまでずいぶんセクシーになったよ』とジョーク混じりで返すべきだったんだな、相手は白人さんなんだから」


と理解し、全く彼の冗談が通じなかった自分の頭の硬さを恥じた。




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  最終更新日 2023.12.31

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