【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#42】天然ぶりを発揮する修行者

2021年6月11日金曜日

修行者列伝

t f B! P L



H氏 カナダ人 40代 男性


 ャンマーの瞑想センターで修行する時は、大体週に2回ぐらいは指導者と面接して直接指導を受ける機会が設けられている。


この時に自分の探求成果や、日頃の瞑想で疑問に思った事を話し、適切なアドバイスを貰う事が出来る。


2015年の1月、私はこの時マインドフルネス瞑想のS瞑想センターに滞在していて、面接指導の時に自我について探求している事をレポートしていた。指導者はSUTことT長老で、私がレポートしているのを下の写真のように回りで20人ぐらいの修行者たちが聞いていた。







「『尊敬されたい』とか『舐められたくない』とか『嫌われたくない』などと思ったら直ぐにそれに気づくようにしてます。そして他人の目を気にして『どう思われているか』などと自分の姿をイメージしたり、他人の思っている事をアレコレ想像したりしても直ぐに気づきます」


その私のレポートに対してSUTは「うん」と言っただけで特にアドバイスはよこさなかった。


SUTがそう言う時は「そのまま続けて探求しなさい」という意味だ。


だが私がレポートしている間、私の言う事を聞いてゲラゲラ笑っている人々がいた。



「尊敬されたいですって?あなた本当にそんな事思ってるの?」



私の前方に座っていたイギリス人女性とアメリカ人女性とが私の方を振り返りながらそう言って大声を出して笑っていたのだ。いや、彼女たちだけではない。その場にいた半数ぐらいの人々が大声を出さないまでもクスクス笑っている。


だが、イギリス人女性らがゲラゲラ笑っているその後ろで、今度はロシア人女性が彼女たちの事を呆れたような顔をして見ていた。


そしてそのロシア人女性は、面接指導が終わると目で挨拶しながら私の方に近づいてきて、何やら話しかけてきた。



「私はあなたのレポート好きでしたよ。私だってそう思う時あるから。思いますよね?普通?誰だって」



彼女はイギリス人女性たちとは打って変わって私の言った事に共感を抱いていた。


何と!私のレポートを聞いた人々の反応が真っ二つに分かれたのだ!これは一体どういう事だ?


というとこれは、自分のやっている事にちゃんと気づいている人もいれば、いない人もいるからだという事になる。



「アンタが軽蔑されたら怒るのは、承認欲求でいつも尊敬を望んでいるからなんだぜ。気づいてないのかい自分の承認欲求に?」



だから私のレポートを笑った人々というのはまだそこまで気づいていない「自分知らず」で、自分は絶対そんなみっともない事なんかしないと思っている人々だ。


しかしこのロシア人女性は修行が進んでいるから、ちゃんと自分の事を判っていて、謙虚になって自分をありのままに観察する事ができている。



「世の中にプライドのない奴なんている訳がない!尊敬されたいと思っていない奴なんていない!」



そうやって私とロシア人女性とがそんな事を話していると、今度はそこにカナダ人のH氏という男性が現れた。


H氏はカナダのフランス語圏のケベック州出身の人で、名古屋の英会話スクールで5年ほど英会話を教えていた事もある、日本びいきの人でもある。




ケベック州モントリオール




このH氏もやはり謙虚な人で、いつも瞑想しながら庭掃除を手伝ったり、食事係を手伝ったりするような人だった。私もそういった下働きみたいなものは修行と心得ていたので、彼とはずいぶん行動を共した。だから私と彼とはいわゆる「下働きフレンド」とも言える間柄だった。


そんな彼だから「私もいつも尊敬されたいとか、舐められたくないとか思っているなあ」と私の言った事に同調してくれた。やはり自我の探求が出来るのは、このような謙虚な人に限られるのだ。


H氏はこの日は「何か嫌な事を思い出しても『これは私』とか『私の事』などと思わなければ、怒りの感情は出てこない」というレポートをしていた。



それに対してSUTは「思わないようにするのではなくて、そう思っているのを観察するように。自分をコントロールするのもやはり『私』と思っているからなんだよ」と言われ、私と同じように「最前列のイギリス人女性たち」から笑われていた。



H氏のやった事も別におかしな事ではない。少し探求が足りなかっただけの事だ。まあ自分の事をまるで瞑想の達人のように思っている人々には間抜けな話に聞こえるのかもしれないが。


確かにあのイギリス人女性などは、態度からして我々の事を間抜けな奴ら思っている事が判る。まったくどうしようもない高慢さだ。しかしこちらも「尊敬されたい、舐められたくない」という思いがどこから来るのか観察していたところなのでちょうどいい。



サボり魔のフランス人K 


 私とH氏とロシア人女性とでそんな話しをていた時、その横を20代後半ぐらいのフランス人青年Kが通り過ぎて行った。


このKはフランス語を話せるH氏の良き「フランス語仲間」で、よくH氏を捕まえては雑談していた。だからすれ違い様にまたH氏に何やらフランス語で声をかけた。


だがその時のKは、私とH氏を見る目がおかしかった。何やら不敵な笑みすら浮かべているではないか。



「おお、間抜けな修行者たち同士で仲良く話してる」



別にそう言った訳ではないが、彼もさっきのレポート時に、イギリス人女性らと一緒に我々の事をゲラゲラ笑っていたから、またその事でも思い出したのかもしれない。



「よし、ちょうどいい!プライドを観察するチャンスだ!」



だから私はまたそうやって自分の「舐められたくない」思いを観察した。


このKは、真面目な修行態度のH氏とは正反対の、かなり問題のある性格をしている人物で、修行も何もせずに瞑想センターに寄生している、いわゆる「タダ飯喰らい」だった。


S瞑想センターでは修行の時間割というのがあって、歩く瞑想と坐る瞑想とを交互に1時間ずつ行うように定められている。だから修行者はスケジュール通りにきっちり修行しなければならない。瞑想ホールには出欠を確認する尼さんがいて、もし一回でも無断でサボったりしたら追い出される事になっている。









だが、外人はお客様扱いなので、ここまでは厳しくされない


サボっていても注意されるだけで、絶対に追い出される事はない。だから外人は、少し時間割から外れて、自らのペースで修行する事ができる。だが、追い出される事がないからと言って、指導者たちが何も知らないと思ったら大間違いだ。外人もミャンマー人同様に出欠はちゃんと確認されていて、逐一その状況が指導者に報告されている。




「アイツいつまでいる気だ?」




だから他の外人たちはKの事をそんな風に思っていた。彼は瞑想センターに来て最初の1週間だけは真面目にやっていたが、あとは全く瞑想などしていない。


Kは朝は朝食の直前に起きて、朝食後は中庭をブラブラ散歩し、歩く瞑想をしている若い女性たちを捕まえては話しかけ、昼食後は昼寝をし、また午後からその辺にいる若い女性を捕まえては一緒にお茶を飲み、夕方からまた敷地内をブラブラ散歩しては若い女性を捕まえて話しかけるといった、修行とはほど遠い生活をしていた。



外人担当のベトナムの尼さん



当然この事は尼さんたちも知っていて、外人担当のベトナム人の尼さんが何度も注意してきた。


しかし、サボったところで罰則も何も与えられない事を知っているKには、何を言っても馬の耳に念仏だった。ある時はベトナムの尼さんがKに



「あんた瞑想しないんだったら、せめて食事係でも手伝いなさい」



と注意した。このベトナムの尼さんはフランス語を話すので、Kにはフランス語で伝えたはずだ。


私はその時、食事係を手伝っていたので、ベトナムの尼さんから「今日からKにも手伝わせるから仕事を教えてあげて」と頼まれ、食事の準備の時に彼を待っていた。


だが、その日は彼は現れずじまいで、後で彼に「今日はずっと待ってたんだけど、どうして来なかったんだい?」と聞いてみた。そしたらKは



「食事係って何の事?あのベトナムの尼さんフランス語で話してたけど、何言ってんだか判らなかったよ」



と言った。彼女のフランス語は下手過ぎて伝わらなかったのだという。


私はフランス語は判らないので彼女のフランス語がどれだけのレベルかは判断できない。だが、彼女がフランス人とフランス語で話している姿は何度も目にしている。だからおかしいと思ってH氏に聞いてみたら



「彼女はフランス語は上手いよ。Kが判らなかったって?そんなはずはないな」



と言った。



「あの野郎💢」



そんな訳で私はKという人物は、もう相手にする気は失くしていた。




S瞑想センターの中庭を歩くベトナム人たち



自信喪失のH氏 


 そんなある日、今度はS瞑想センターに、ネパールのルンビニーにあるPS瞑想センターから60代のアメリカ人女性が移って来た。



「あそこの指導者のV長老は最高だった」




ドイツ人指導者
ウ・ヴィヴェーカーナンダ長老




そのルンビニーの瞑想センターには、白人さんたちにカリスマ的な人気のあるドイツ人指導者がいる。


H氏も当然その長老の評判は耳にした事があり、多少なりとも興味があった。そのためどんな事を教えているのか少しそのアメリカ人女性に聞いてみたくなった。



「それで向こうではどんな事やってたの?」



そのアメリカ人女性が言うにはルンビニーでは、普通のマハーシ式だがラベリングが少なく、あまりゆっくり動かなくてもいい方法でやっているという事だった。


メインとなるのはやはり足の痛みが生滅する様子を観察する事で、それをはっきり観るために徹底的に集中力を鍛えるのだという。


鍛え方は日常生活の一挙手一投足にしっかりラベリングを入れる方法でという事だった。



「とにかく集中力をみっちり鍛えてから、足の痛みの『生滅』している様子を観るの」



そして、そこをしっかりと押さえておく事が大事というアドバイスを貰った。



「ふうん、生滅か」



そんな事があった翌日、またSUTによる面接指導があった。


またいつものように20人ぐらいが集まり、一人一人が次々と瞑想体験をレポートしていく。それに対してSUTが次々と的確なアドバイスを与えていく。そのアドバイスは一人だけのものではなく、全員で共有する公共物になる。


そしてH氏のレポートの番になった。彼もまたいつもの調子でノートにメモした自分の体験を読み上げていった。だが何とした事か!その時ばかりはいつもとは全く方向性が異なる内容になっているではないか。



「身体感覚や雑念などの生滅する様子を観察しています」



呆れた事にこの内容は、前日にアメリカ人女性から聞いた話そのままのものだった!


実はこの身体感覚の生滅する様子を観察する方法は、対象との一体化(禅定)を目指すための方法であり、Sセンターでやっているマインドフルネス瞑想とは相容れない方法であった。


と言うのもこの方法の場合、対象との一体化は、身体感覚に集中して没頭してしまう形で達成しようとするからだ。そのためにはニミッタ(光)が見えるほどの鋭い集中力が必要になる。


ところが対象に集中するどころか、逆に心の注意点を自由にさせておき、注意点が行った先々を観察するタイプの、集中力をほとんど使わないSセンターの方法では、いくら足の痛みの生滅を観察したところで、とてもではないが一体化など出来るはずもない。




「だからそれをここでやっても無意味だ」




という事をSUTに言われてしまい、H氏は知らなかったとはいえ、またしても例のイギリス人女性やフランス人Kなどからの失笑を買うハメに陥ったのだ。








「ガ~ン!俺もうマインドフルネス瞑想は止めようかな。ルンビニーに行ってマハーシ式でもやるか?本当に全然上手くいかない」



そのためH氏は自信を失くしてしまい、とうとうそんな事を口走るようになってしまった。



図に乗ったフランス人K 


 そんな時、今度はそこに30代の中国人の男がやってきてKと同室になった。


その中国人は最初は真面目にやっていたものの、いかんせんKと同室だったため、やはり2〜3日経つとKの影響を受けたのか、K同様のサボり魔になってしまった。


だから私が掃除の時間に何気なく「キミ、瞑想ホールにはちゃんと顔出しておいた方がいいぞ。尼さんたちがいつも出欠をチェックしてるからさ」と教えてやった。


だが、私がそう言うと彼は突然怒り出して



「何でオメーが言うんだ?オメーはそんなに偉いのか?瞑想ならオメーなんかより俺の方がずっと上手く出来るわ」



と私を怒鳴りつけたのだ。その時私は突然の予期せぬ出来事に何のリアクションも出来なかった。どうしてそんな事になったのか?そもそも何でその中国人は私の瞑想のレベルを知っているのだ?全く意表を突かれてしまい、私はただ唖然とするしかなかった。



「どうなっているんだ?一体?」



しかし、そのうち少しづつ事件の全容が明らかになっていった。というのもどうやら中国人と同室になったKが、私やH氏の事をその中国人に



「いつも瞑想を糞真面目にやって、食事係まで手伝ったりしているアイツらは、瞑想が下手で、指導者からはいつも注意され、みんなからは笑われてばかりいるどうしようもない奴らだ。糞真面目にやるとああなるぞ。だから修行は程々にしておいた方がいい」



と、いかにも間抜けな奴らみたいに言っていたようなのだ。そしてその話を真に受けた純朴な中国人は、私に色々と説教みたいな事を言われたため「コイツ何を思い上がってんだ」と腹を立てたらしい。


確かにKの方を見ていると明らかにH氏を見下したような態度をとっている。


H氏の事をからかったり、あろう事か自分の掃除当番までH氏に押し付けたりしている。



「あの野郎、いい気になりやがって」



しかし、私がその時していたのはプライドを見つめる修行だった。そんな場合でも見つめるのは自分の心の方だ。尊敬されたいとか舐められたくないとかいう承認欲求だ。


それでも私だけならまだしも、H氏のように真面目にコツコツやっている人が、適当にやっているKに見下される姿なんて、とてもではないが見ていられない。何かが間違っている。


何とかならないものか?



「まったくKはしょうがないな」



だがそんな時だった。当の本人のH氏を見ると全然怒っていなかったのだ。そればかりかそんな呑気な事を言いながらKの代りに掃除当番を引き受けてやっている。


一体これはどうした事だ?なぜH氏はそこまで舐めた真似をされても怒らないのだ?



プライドがないのか?



それとも単なるバ○なのか?



私はH氏を見るたびいつも思っていたのだが、このようなKに対する態度や面接指導での態度からすると、どうも彼は少し天然が入っているのかもしれない。



「この際確かめておいた方がいいかな?」



その時私の頭には、ふとそういう思いが浮かんだ。H氏がどういう訳でKの仕事を引き受けているのか?Kをどう思っているのか?また、Kの態度に憤りをおぼえないのはなぜか?その時プライドはどうなっているのか?一度聞いておいた方がいいと思ったのだ。


そしたら何と!彼から返ってきたのは次のような返答だった。



「だから『舐められた』とか『バカにされた』とか思うから腹が立つのであって、何も考えなきゃ腹が立たないよ」



H氏はちゃんと考えてやっていたのだ!それも何も考えないという事を!




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だが、それは私もやっている事だ。


相手の言う事を判断したり解釈したりしなければ怒りは生じないという理論があるのだから当然実践している。


しかしその判断や解釈を止める事はまだ出来ていない。


それに気づくのがやっとだ。


判断や解釈を止める方法はまだ判っていないのだ。一体どうしたらいいのか?



四無量心だね。これは承認欲求と正反対の心だよ。舐められたくないとか、理解されたいとか、尊敬されたいとか、嫌われたくないとかいう気持ちを慈・悲・喜・捨の気持ちに置き換えるんだ。すると相手の言う事を判断も解釈もしなくなるよ。やってみれば?」



ん?四無量心?承認欲求と正反対?そういえばそうかもな?


そんな訳でその時H氏にそんな事を言われ、何気なくメッタを試してみたら、何と!H氏の言う通り相手の言う事を判断も解釈もしなくなったではないか。


という事は、他者と接する時は四無量心を持って接すれば何を言われても腹が立たないという事か?


つまり相手の言動を四無量心を持って受け入れれば判断も解釈もせずに、ありのままに聞く事が出来るという事か?




「凄いよH氏!あなたは全然天然じゃない」




これは私もいい話を聞いた。これからみんなに嘲笑された時は私も四無量心を持つようにしよう。


しかしH氏は、マインドフルネスが上手く出来ないとか言って悩んでおきながら、実際には全然凄い技を知っているではないか。いつの間にそんな技を覚えたのだろう?


「いや、こういうのは別に瞑想で覚えたのではなく、実生活の経験で覚えたんだけどね。社会生活をしていく上でKみたいな生意気な奴を避けては通れないからさ。いちいちムキにならずにかわすにはどうしたらいいかを考えて、結局四無量心が一番いいという結論に達したんだ」


凄い!そしたらこの事を面接指導の時に言えばいいのに。何だよ、ちゃんと出来ているではないか。



「こんなのでいいの?無常・苦・無我とか、そんな事に気づくんじゃないの?」



だが、H氏は全然自分の偉業に気づいていない。


マインドフルネス瞑想は、何もそんな大それた事に気づく必要などないのに、すっかり勘違いしている。


そういう日常の心のプロセスに気づければそれで十分。次の面接指導でそれを言ってみればいいじゃないか。いいアドバイスが貰える事は間違いない。



「何だ!そんなもので良かったのか!」



そうだ、そんな気づきでいいのだ。どうもH氏は理論通りにやらなければならないような難しい事を考えていたようだ。


そんな勘違いで自信を失くしていたのだからお笑い草だ。だが、彼もこれでやっと自信を取り戻した。次の面接指導が楽しみではないか。そしたら彼は気を良くしたようで今度は



「判った!四無量心があると『俺』とか『俺の』とも思わないんだ。執着しないんだよ。よし大発見だ。この事を次の面接で言おう。先日のリベンジだ」



と、新たなる発見もしてしまった。もはや怖いもの知らずの勢いだ。凄いなんてもんじゃない。



追放されたK 


 では、そのH氏の自信回復のきっかけをつくった、フランス語仲間のKの方はその後どうなったかと言うと、彼はそれからもずっと修行する事なく、ひたすら女性を追いかけ回し、そのまま当初の予定通りS瞑想センターで2か月以上を過ごした。


KはSセンターでは2か月以上もタダ飯を喰らう生活を送った訳だが、次はインドのリシケシュにあるシヴァナンダヨガアシュラムに移って、そこでまた半年間を過ごす予定らしい。



「どうせまたタダ飯喰わせて貰ってブラブラしてるつもりだろうが。本当に甘い汁ばかり吸おうとしてやがる」



そしてその後はまたミャンマーに戻って来て、再度S瞑想センターを訪れたいらしい。またしつこくタダ飯にありつこうというのか?


だが、そのためにはインドでミャンマーの瞑想修行のためのビザである「宗教ビザ」を取得しなければならない。このビザの取得には「Kがミャンマーに滞在する間はウチで預かります」という、S瞑想センター発行のスポンサーシップレターという書類が必要だ。なぜならこれを大使館に提出しなければ、瞑想修行のためのビザは取得出来ないのだから。


そのためKはS瞑想センターをチェックアウトする前に、SUTの元を訪れ、スポンサーシップレターの発行を申し入れる事にした。



SUTのいる塔頭




「あのースミマセン、また来る時のためにスポンサーシップレターを頂きたいのですが」



日頃の偉そうな態度を一変させて、そのような低姿勢で臨んだK。



「えっ?スポンサーシップレター?」



しかしSUTはKの方を一瞥すると困ったような顔をして



「うーん、キミか。キミはここにいる間は全然修行しなかったようだな。尼さんたちから毎日報告が来ていたよ。どうやらキミの場合は修行が目的で滞在したいのではなさそうだ。だからもう金輪際スポンサーシップレターの発行は出来ないな。これは修行したい人たちだけのものなのだから」



そう言ってKの申し入れを一蹴したのであった。




「ガ~ン!」









このようにS瞑想センターの場合は、ミャンマー人であれば修行を一度でもサボった者は即刻追い出すのだが、外人であれば全然修行しない者でも、本人が希望する日数は文句を言いながらでも過ごさせてやる。


他の瞑想センターではミャンマー人も外人も同様に厳しく扱うが、Sセンターだけは外人はお客様扱いをするのだ。そしてそれをいい事に舐め切った態度をとったK。


Kの場合は最初に10週間希望したので、2か月以上もタダ飯を喰わせて貰えた。


だが、誰もKの修行態度を把握していないと思ったら大間違いだったのだ。ちゃんと尼さんが見ていて何度も注意したのに無視していたKは、このように二度とS瞑想センターには来られないように、しっかりとブラックリストに載せられてしまったのであった。


そしてそのような処分を受けて慌てたのはKだけではなかった。Kのルームメイトだった中国人の男もビビった。なにしろそいつもK同様にサボってばかりいたのだから。そいつは本人からその話を聞くや否や、血相を変えて私の方へ飛んで来て



「おい!サボるとブラックリストに載せられるんだって?知らなかった。俺も載せられてしまったかな?どうしたらいいんだ?」



と顔を引き攣らせてわめいていた。今更慌ててもしかたない。今からでもちゃんとやるしかない。



天然疑惑 


 このように瞑想センターでは、付き合う人間を間違えると酷い目に遭う。


サボる奴らと付き合うと足を引っ張られてしまうのだ。しかしちゃんとやっている人々と付き合えば、いい体験があった時には共有させて貰える。


人の良いH氏はそんなKを見ても「アイツ大丈夫か?ルンビニーの瞑想センターの事でも教えてやろうか?」などとKの事を心配していた。


呑気なのか優しいのかサッパリ判らない。しかしその事でみんなから「マハーシの方は厳しいからアイツじゃ無理だよ、何言ってんの」と、相変わらずの失笑を買っていた。


そんな態度のH氏を見ると、やはり私にはどうしても彼が天然のように思えてしかたなくなるのであった。


画像出典:
2枚目 モントリオール Christophe Schindler
7枚目 悲嘆にくれる男性StockSnap





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  最終更新日 2023.12.31

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