【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#44】奇跡のパワーを発揮した修行者

2021年6月23日水曜日

修行者列伝

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U比丘 日本人 60代 男性



このシリーズでは、各地の瞑想センターで実際に出会った特筆すべき修行者たちを紹介しています。一人一人の修行者から学ばせていただいたことも多く、敬意をもってここに綴らせていただきます。


第一のサイコパス 

他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔たっている。


      ダンマパダ253(中村元訳)







 ンゴンのマハーシ式ヴィパッサナー瞑想の総本山のM瞑想センターには、日本人修行者同士がお互いに血を流しながら殴り合いの喧嘩をしたという「2013年日本人修行者流血の乱闘」という伝説が残っている。


これは瞑想センターにサイコパスと思われる60代の日本人男性が来て、滞在中に執拗に他人の言動の粗探しをしては突っついてばかりいたものの、そのあまりのしつこさに耐えかねた20代の血気盛んな青年の逆襲に遭ったというエピソードだ。


この時闘った二人は、共に戒律の第一条である「生き物を害さない」に違反したという理由で、即刻瞑想センターから追い出された。


そしてその事件から半年後、私は事件現場となったこのM瞑想センターを訪れて、目撃者から今の話を聞いていた。



「いや、あの60代男性が出て行ってくれて本当に安心しました。彼がいる間は全然瞑想ができませんでしたから」



私にこの話をしてくれたのはU比丘という、60代の日本人男性で、やはりその頃は20代青年と一緒にサイコパスにしつこく付きまとわれていたという。


このU比丘は、出家したのはミャンマーではなく、タイのエメラルド寺院という、有名なお寺だった。そしてそこからミャンマーのM瞑想センターにやってきたのが2012年の暮れ。








彼は元々はオーストラリアに駐在していた商社マンで、定年後も現地に残り、家族でレストランを経営していたという。


しかし思うところあって家族を残し、一人タイへ渡って出家した。何が彼をそうさせたのかは定かではない。



「エメラルド寺院では出家させて貰うのに50万円ぐらいかかった」



また、なぜ彼がそんな高額なお布施を払ってまで出家したのかも判らない。ミャンマーですればタダなのに。そしてタイではエメラルド寺院式のサマタ瞑想を学んだり、日本人指導者アーチャンMK師の元で修行を積んだりしてきたという。


だが、修行は思うように進まず、行き詰まったところで読んだのがマハーシ式ヴィパッサナー瞑想の本だった。そしてラベリング付きの瞑想に興味を持ち、ミャンマーの方に移ってきたものの、その矢先に遭ってしまったのが、例のサイコパスオヤジだった訳だ。



「本当にやれやれといった気持ちになりますね。とにかくいつでも一挙手一投足を見張られていて窮屈でしょうがなかったですから」



U比丘はこれでやっと瞑想に打ち込めると安堵の表情を見せた。しかし実際にはそう思うのはまだ早かったとも知らずに。



第二のサイコパス 



「あのオヤジ、まだミャンマーの他の瞑想センターにいるでしょうね。ああいうのは日本に居ても居場所がないから来るんだから」



そのオヤジが追い出されて安心したのも束の間、何とU比丘は、今度は違う30代の日本人サイコパスに付きまとわれるハメになる。


しかし瞑想センターという所は本当にサイコパスが寄り付きやすい所だが、これは一体どういう訳だ?


しかもその第二のサイコパスは、やっている事がまったく第一のサイコパスと同じ粗探し一辺倒にもかかわらず、第一のサイコパスの事をそうやって冷ややかに嘲笑していた。




他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。


       ダンマパダ50(中村元訳)




どうもこのサイコパスという人々は、他人の過失ばかり探し回っているため、ちっとも自分の事が見えなくなっているらしい。


私はこの第二のサイコパスには実際に会い、粗探しをされているのだが、確かに彼は自分が第一のサイコパスと同類だとは微塵も思っていなかった。そしてU比丘の事をいつも



「あの人は平気で他人に迷惑かけられる人ですから」



と、物凄く憎たらしそうに罵っていた。


この第二のサイコパスは、学歴や勤務先にかなりのコンプレックスを持っている様子が窺えたが、そんな訳で有名商社に勤めていたU比丘には、嫉妬心剥き出しで付きまとわずにはいられなかったようだ。



「フン、何だあんな奴!俺の方が上だ!」



そして第一のサイコパス同様に、U比丘をいつも監視して粗探しをしては、突っつく事でコンプレックスを解消しようとしていた。


一難去ってまた一難。そんな訳でわざわざタイから移ってきたU比丘は、M瞑想センターに来てからの数か月間というもの、全然瞑想に打ち込む事ができずにいたのであった。



U比丘の癖 




更に困ったのは、U比丘はタイで修行したサマタ瞑想の癖が抜けず、面接指導の時にはいつもその事で注意されてばかりいた事だ。



「あなたは何度言ったら判るんだ?集中するんじゃない、ラベリングするんだ、ラベリング!何か心身上に起こったら直ぐラベリングするんだ!ちゃんと話を聞いているのか!」



当時M瞑想センターで外人に教えていたのは総本山の管長でもあるJ長老だった。


J長老はいつまで経ってもラベリングを覚えないU比丘に、業を煮やしたといった感じでいつもそのように厳しい口調で指導していた。



「いや、そう言われましても、自分ではちゃんと教わった通りにやっているつもりなのですが」



U比丘の場合は、坐る瞑想の時は呼吸一点に、歩く瞑想の時は足の感覚一点に集中してしまい、音が聞こえても、雑念が浮かんでもラベリングを忘れてしまって、ちっともヴィパッサナー瞑想になっていなかったのだ。そしてそれを7〜8か月も続けているのにサッパリ改善されなかった。


またこのJ長老は、本来は温厚な指導者であったらしいが、一度脳梗塞で倒れてからというもの、すっかり気が短くなってしまったという事で、私やU比丘がいた頃には、まるでカミナリオヤジの様相を呈していた。だからU比丘は面接指導のたびに、そのように怒鳴られてばかりいたのだ。



「ハッキリ言ってダメだね、あの人はもう」



そして、そんなU比丘の叱責される姿を見てはザマアミロとほくそ笑む第二のサイコパス。


U比丘の弱点を見つけて本当に嬉しそうだ。しかし何もそこまで憎まなくても。まったく、あんないい人がどうすればそんなに悪い人に見えるのか?嫉妬というものは本当に恐ろしい。


そんな感じでU比丘は、修行の時はサイコパスに罵られ、指導の時は指導者に怒鳴られてと、まるで旭川の14歳少女のように周囲の人間に冷たく扱われてばかりいた。


そして彼の言動に変化が表れるのは、それから数日後の事だった。



寝ずの修行 




「寝ずの修行をやっています。夜も一睡もせず、一晩中瞑想ホールで坐っています」


果たしてU比丘にどのような心境の変化があったというのか?


今度は何とU比丘は、毎日一睡もしないで瞑想に打ち込んでいると言い出したではないか。


毎日熟睡して瞑想した方がよっぽどいい瞑想ができると思うのだが、何でそんな非効率的な事を始めたのか?


だが、それを聞いたJ長老は別に何も言わなかった。もしかしたらあんまり怒られてばかりいるから、やる気だけでも見せようとしているのか?それにしても無謀だ。









しかしその後U比丘の部屋を訪れると、なぜかベッドがない!これは一体どういう事なんだ?



「ベッドがあると目障りだから、隣の空き部屋に移したんですよ。どうせ寝ないんだから必要ないんです」



それはこれからもずっと寝ないという事か?それだけやる気満々という事か?


だが、U比丘の表情にはそれだけのやる気は見えない。普通はそれだけやろうというのであれば、熱くなっているはずなのだが、そんな素振りは全くないのだ。


いや、それどころか生気のない青白い顔をしている。これまた一体どうした事だ?何やら不自然極まりない。



「これはもしかして、寝ないのではなく、眠れないのではないか?」



実はこの時U比丘の顔には、そのように書いてあったので、私は直ぐにそう察知した。


それは元々彼がそういう体質だったのか?それともここに来てからの心労が重なってそうなったのか?は判らない。


だが、寝ない事に慣れているような態度を見ると、前者のようにも思える。


顔色は悪いが明るく振る舞っていたりするのだ。という事はつまり、元々そういう体質だったのが、このところの心労が重なった事で再発したのではないか?


それでも昼食後の坐る瞑想の時には、コクリコクリと舟を漕ぎながら坐っていたりする。


また、夜の7〜8時頃の一番眠くなる時間にもコクリコクリやっていた。


よかった、全然寝てない訳じゃなかったんだ。それを見て少し安心した。一日2〜3時間は瞑想中に寝ているようだ。


別に疲れるような事をしている訳じゃないし、これなら大丈夫だろう。


しかし、それを見た第二のサイコパスは



「フン、何が寝ずの修行だ!いつも瞑想中に寝てるじゃねーか!ハッタリばかりかまして」



と、相変わらず憎たらしさ一杯の顔をして罵っていた。


まったく嫉妬心というものは、ここまで人を残酷にしてしまうものなのか?



ジャーナ(禅定)の入口 


 だが、そんな病的な寝ずの修行だったが、1週間、2週間と続けるうちにU比丘のメンタルの状態に変化が起こってきた。


ところどころで居眠りが入るものの、毎日毎日、誰とも話す事なく、横たわる事なく、ずっと瞑想を続けているうちに、見事に集中力が磨かれ、研ぎ澄まされてしまったようなのだ。


そしてその集中力は庭を歩いている時に発揮された。M瞑想センターの敷地はかなり広く、200メートル✕100メートルぐらいの長方形になっているのだが、U比丘はその中庭をラベリングしながら歩いているうちにある体験をしてしまった。



「歩いていたら足が勝手に動き始めたんです。そして止まらなくなって、どこまで行くんだろうと思っていたら、100メートルぐらい進みました」



そしてU比丘はその体験を、次の面接指導の時にJ長老に話した。


普通はラベリングをしながら歩いていて集中力が深まると、足と一体化して「足だけになった」という体験をするものだが、U比丘の場合はどうしても足の感覚一点に集中する癖があったため、そのような体験になってしまったようだ。


それでも集中力がそこまで深まるという事は、マハーシ式で修行する上ではいい事だ。


だからU比丘の体験を聞いたJ長老は、その報告を聞くなり、早速彼に対象との一体化(ジャーナ・禅定)に入る方法を教えた。



「では坐る瞑想をやって、まったく身体感覚を感じない状態に入ってみなさい。今なら出来るから」



通常マハーシ式の指導者であれば、そこまで集中力がついた時は、足の痛みが生じたり滅したりする様子を観察するように指導する。足の痛みの生滅を、強力な集中力を持って覗き込むと、瞬間瞬間生滅しているのが見えてきて、容易に足の痛みと一体化する事が出来るのだ。


マハーシ式ヴィパッサナー瞑想の開祖である、マハーシ・セヤドーこと、ウ・ソバナ長老は、様々な経典の解説書を出版されているが、これを読むと解説の合間に何気なく2〜3ページとか4〜5ページに一度の割合でこの方法について説かれている。



「全ての心身の現象は、生じたり滅したりしている。足の痛みもよく観察するように」



だからマハーシ・セヤドーの本を読むと、サブリミナル効果で知らず知らずのうちに瞑想中に足が痛い時は、痛みが生滅する様子を観察するように仕向けられてしまう。


一種の洗脳かもしれない。それだけマハーシ式では足の痛みの生滅を重視しているのだ。







しかしこのJ長老は、その方法とは違った、身体感覚のなくなった部分を使って禅定の状態に入る「アディターナ」(決意)という方法を指導していた。


これは恐らくマハーシ・セヤドー直伝ではなく、J長老のオリジナルか、他の所で昔から伝わっていた方法だと思われる。


つまりマハーシ式では足の痛みの観察がオススメだが、禅定に入るためには、指導者によっては他の方法を教える事もあるという事だ。


だからU比丘もこのアディターナを教わり、ちょっと試してみたら、何と!直ぐ身体感覚を感じない状態に入ってしまったではないか。これは恐らく数週間の寝ずの修行で、相当集中力が深まっていたのだろう。



「は、は、は、入ってしまいました。たった20〜30分だったんですが、入ってしまったんです」



そして嬉しさのあまりに、その事をJ長老に報告する際に、笑っているのか、浮ついているのか判らなくなっているU比丘。


J長老もU比丘の体験を全て聞いて、間違いなく入ったと確信したようで



「うむ、いいでしょう。では次は1時間入っていられるように決意してから瞑想して下さい」



と、いつもとは打って変わって優しい口調で伝えた。


そんなやり取りを一日置きの面接指導のたびに繰り返しているうちに、U比丘はいつしか1時間半ほど身体感覚のない状態に入っていられるようになった。


しかしこの状態は、5時間も6時間も入っていられるまで磨かなければ、禅定は完成されない。


U比丘はまだまだ集中を切らす事なく、寝ずの修行を続け、その状態まで持っていかなければならないのだ。今は決して気を抜いてはならない時だ。




「嘘に決まってる。あんな人が入る訳ないじゃないですか!あの人は平気で嘘をつける人ですから、虚偽の報告をしているだけです」




そしてU比丘の体験に嫉妬して、必死でそれを否定しようとする第二のサイコパス。だが集中力が研ぎ澄まされたU比丘には、そんな声は聞こえない。


だがそんな時だった。一緒に修行していたインド人の比丘が、U比丘に相談を持ちかけてきたのだ。



「200ドル持ってない?」



U比丘は年金生活者であり、月々の年金を役所からミャンマーまで送金してもらっていた。


だからそれでいつも修行者全員に食事を寄付したり、気前よくお布施をしたりしていた。


200ドルぐらいどうという事はない。


インド人比丘はそれを知っていたのでU比丘に助けを求めてきたのだが、一体どうしたというのだろう?



第三のサイコパス 


「私はここに来た時、寺務所の外人担当職員に、ビザの3か月の延長を頼んで料金を支払い、7月から10月まで3か月間滞在した。ビザは当然の如く延長してあると信じていた。だが修行を終えて帰国するために、今日その職員の所にパスポートを取りに行ったら何と!1か月しか延長していなかったではないか。だから2か月間の不法滞在になったので、罰金一日3ドルあたりの2か月分で、合計180ドル以上払わなければならなくなった。しかし私は余分なお金は持っていない。しかもその職員は、私がビザ切れになっているのを知りながら、2か月間何も言わなかったんだ」



この頃Mセンターで外人係だったKという職員は、チップを渡さなければ仕事をしないというとんでもない男だった。このように外人修行者のビザの延長という、自分に義務付けられた仕事であっても、チップを払った人の手続きしかしなかった。そればかりか、チップを渡さない修行者にはこうして嫌がらせまでしていた。



またこのKは、修行者が瞑想センターに滞在するための宗教ビザを取得する際に必要なスポンサーシップレターについても、チップを渡さなければ発行しなかった。だからKが外人担当だった2013〜2014年の間は、いくらM瞑想センターにスポンサーシップレターの送付を頼んでも、サッパリ送って貰えなかった。



更にKは、外人修行者がM瞑想センターへのお布施として持ってきた現金を、全てネコババしていた。


Mセンターの寺務所には、お布施係の人がいるのだが、外人はそんな事は知らないから間違えてKの所にお布施を持っていってしまう。


Kは間違えていると知りながら「お布施係がいるのに俺の所に持ってきたという事は、これは俺へのプレゼントだな」と言って全部自分のポケットに入れてしまっていたのだ。



「あの人は以前勤めていた会社では、横領で懲戒解雇になっているらしいよ。何でMセンターがああいう人を雇っているのか判らない」



これは職員の間で囁かれるKの噂を知る、あるミャンマー人比丘から聞いた話だ。Kは第一、第二の怒り型のサイコパスとは違う、狡猾な貪欲型のサイコパスだったのだ。ちなみにサイコパスには貪タイプ、瞋タイプ、痴タイプの3種類がある(と思われる)。


しょうがないからU比丘は、インド人比丘と一緒にダウンタウンの入国管理局まで行って、2か月分の不法滞在分を払ってやる事にした。


また、その事で職員のKに文句を言うと、逆に「ザマアミロ」とばかりに笑われて、全然話にならなかった。


そんな事をやっているうちに、せっかく研ぎ澄まされた集中力は途切れ、頭の中は怒りやら何やらでゴチャゴチャになり、U比丘は大事な禅定の状態に、二度と入れなくなってしまったではないか。



「ガーン!しゅ、集中力が落ちてる」









瞑想センターを去ったU比丘 


 せっかく何週間も寝ずの修行を続け、集中力を磨いて禅定に入りかけたU比丘であったが、その状態を壊されて、また最初からやり直しになってしまった。


だが、再びあの研ぎ澄まされた状態まで持っていくにも、もう疲れて精も根も尽き果てている。だからこれ以上気力を振り絞る事は、体力的にも精神的にも辛かった。




「ほら、やっぱり嘘だった。あの人は結局ハッタリだけの人なんですよ」




第二のサイコパスはそんなU比丘を見て、嬉しそうにほくそ笑んだ。本当に何という奴だ。こんな他人の不幸を喜ぶなんて。


また、指導していたJ長老も、せっかくいいところまで行っておきながら瞑想を壊してしまったU比丘に、再び厳しく接するようになった。



「何をやっているんだ!」



そういう事もあってU比丘のメンタルの状態は、どんどん悪くなっていき、瞑想していても居眠りだけが目立つようになっていった。


面接指導の時も禅定の事には全く触れなくなり、以前のようなラベリングし損ないの体験ばかりを話している。そのためJ長老からは呆れたような顔をされるようになり、気がついたらU比丘は、いつの間にか瞑想センターを後にしてしまっていた。



第四のサイコパス 


 久し振りにU比丘の話を聞いたのは、それから6年後の2020年の初めの事だった。



「マレーシアのL瞑想センターにいた時に、U比丘という日本人に会ったんです。あの人は凄い。僕は師と仰いでいます」



私はある日本人修行者とのやり取りの中で、そのような言葉を耳にしたのだ。








「U比丘がいる?しかも師と仰がれている?それではあの後マレーシアに渡って修行を完成させたのか?」


私はその人の話から、てっきりU比丘はその後禅定を完成させ、涅槃を達成し、現在マレーシアで教えているのかと思ってしまった。


だが、よく話を聞くとU比丘は別に指導者になった訳ではなく、今でも一修行者として滞在しているとの事だった。


「僕も所帯持ちですが出家を考えているので、あの人の生き方は本当に参考になります。彼を手本にしてこれからの人生を考えていこうと思っています」


何だ!師と仰ぐとはそういう意味だったのか!一瞬驚いてしまったではないか!


しかしU比丘は、現在は人間関係に恵まれた修行環境に居るとの事で、それを聞いて安心した。


瞑想の方もすっかり上達し、そのLセンターでは他の修行者たちから一目置かれる存在になっているという。


こうなるとミャンマーにいた頃とは全然違う環境だ。U比丘はやっと何も心配する事なく修行に打ち込める場所を見つけたのだ。これは地獄から天国へ移ったようなものだ。修行が進むのも当然だろう。


それにしてもU比丘は、追い込まれた時に見せたあの奇跡のパワーを発揮する事はもうないのだろうか?


あれは地獄から抜け出そうとして振り絞った渾身の力だった。人間はそういう時には凄まじいまでの能力を発揮するように出来ているのかもしれない。


天国にいてはとてもではないが、出せるものではない。


そうなるとU比丘は今、いい環境にいるのか悪い環境にいるのか判らない。彼はこのままではもう、奇跡のパワーを発揮する事はできないかもしれないからだ。


そう考えると何だかもったいないような気もする。


だから私は、ついU比丘には地獄にいて貰いたいなどと思ってしまう。



「天国なんてあなたには似合わないよ」と。



彼のあの渾身の力を思い出すたび、どうしてもそう思えてしかたないのだ。逆境を克服しようと必死になった時のあの奇跡のパワーを、何としてでももう一度発揮して貰いたいではないか。


「よし、では今度U比丘に会ったら、絶対に彼を地獄に引きずり落としてやろう」


そういう訳で私は今、第四のサイコパスになってしまったのであった。


画像出典
エメラルド寺院 Supachai Nainamas




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  最終更新日 2023.12.31

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