奇妙で攻撃的な指導者
だが、それだけではない。もうひとつある。今度はそちらの事について触れてみたい。
というのは実は瞑想センターで瞑想を指導する指導者の中には大変攻撃的な人もいて、修行者とのトラブルが絶えないという実情があるからだ。
アメリカのサンフランシスコ山中に悪名高い「スピリット・ロック」というマインドフルネスの瞑想センターがある。
何故そんなに悪名を轟かせているかというと、一泊300ドルも取るからだ。
ほとんどのアメリカ人はこれに怒っている。
「10日間リトリートで3000ドル(約33万円)か・・・そんなんだったらミャンマー行って修行した方がいいじゃねーか、ふざけんな!」という事で彼らはみんなミャンマーまで来てマインドフルネスのシュエウーミン瞑想センターで修行する。
それはいいとして、そこの設立者であるジャック・コーンフィールド氏は1970年代初頭にタイでアーナーパーナー・サティを修行し、ミャンマーではマハーシ式を修行した人だ。
彼の自伝によれば、その時マハーシ瞑想センターで会った指導者というのは人格を疑うような攻撃的な人物であったという。
筆者はその指導者の事は知らないが、どんな人物であったかは大体想像がつく。いつもカッカカッカと怒りをあらわにし、癇癪持ちで何かあるとすぐ声を荒げるような指導者は、マハーシ式だけではなく集中没頭型の瞑想センターにはたくさんいるからだ。
しかしコーンフィールド氏はその指導者に驚いた。なぜなら日頃はそんな風でも一旦指導となると、こちらの状態を正確に見抜いて適切なアドバイスをよこしたからだ。
「この人悟ってる・・・・」氏はそんな感じで唖然とするしかなかった。
筆者もこのような体験は行く先々の瞑想センターであった。
例えば2000年代初めにマハーシ式のとある瞑想センターを訪れた時は、瞑想センターに着くなりまだ何の説明も受けていないうちから「早く修行しろっ!何やってる」とそこの指導者に怒鳴られたのだ。
あまりの事に呆気に取られていると更に怒ってどやしつけてくる。
しかたないからみんながやってるように真似だけして、瞑想してるフリをして誤魔化した。全く理不尽な思いがした。
それから暫くすると今度は別の日本人女性がそこを訪れた。
そしたらまたその指導者は、筆者の時と同じようにその女性をどやしつけた。
彼女は瞑想自体が初めてで、全く何も知らないにもかかわらず「ちゃんとやれっ!」と怒鳴られたのだ。あまりの事に泣いてしまった。
しかたがないので筆者が後でやり方を紙に書いて彼女に渡し、とりあえずその後の難は逃れる事が出来た。
だが、後でその事が指導者に知れるとまた怒り出し、筆者をどやしつけた。
マハーシ式の瞑想センターという所は、そのように修行者同士が話したりコミュニケーションをとったりしてはいけないからだ。
とは言ってもそんな時はやはり指導者なら「本来私がすべき事をあんたにやらせて手間取らせてしまって悪かった」と我々に謝罪すべきだったようなが気して納得出来ず、その場ではその指導者の人格を疑うしかなかった。
しかしその指導者はいざ瞑想の指導となったら正確に我々の状態を見抜き、的確なアドバイスをよこしたのだ。「悟ってる・・・」いやが上にもそう思うしかなかった。
その指導者のあまりにも攻撃的で非人道的な態度に対してそのような対応をとったのは、我々が日本人だったからだ。それが気の強い韓国人や欧米人だと全然違っていた。
ある韓国人男性の場合は、その指導者が怒鳴ると「何だっ!私が何をしたっ」と怒鳴り返した。そして住職に「あの指導者では駄目だから、あなたが直接教えて下さい」と大声で直訴していた。
これは毅然とした態度と言っていいのかどうかは判らないが、とにかく日本人にはない態度と言うか、我々には理性が邪魔をしてそんなハシタナイ事は出来ないと思った。
また欧米人の場合だと、怒鳴られたりすると直ぐその場で座を立ち、無言のまま荷物をまとめ、睨みつけながら去って行くのが普通だった。
あるロシア人青年はその瞑想センターに午後に着いた。
そしてその日は例によってまたヤイノヤイノとやられていた。
顔を見ると驚いて唖然としている。
だがその日は何とか平静を装って明るく振る舞っていた。
それでも次の日になると段々顔も曇りがちになってきた。そして何も説明されていないまま昼食の時間となった。
瞑想センターでは通常10時半から昼食の時間になるのだが、彼はまだ着いたばかりでそんな早い時間に昼食をとるなんて知らないから合図がなっても食堂へ降りて来なかった。そのため誰かが彼の事を呼びに行って連れて来た。
そしたら何とその指導者は彼の事を「何で降りて来ない」と怒鳴ったのだ。
何も判らないまま右往左往するしかないロシア人。
それを見ている方は「信じられない・・・」とその指導者の人格を疑う事を超えて「この人はどこか頭がおかしいんじゃないか?」と思うしかなかった。
そしたらロシア人は食事をとらずに部屋に戻り、荷物を持ってそのまま瞑想センターを出て行った。「何だここは?」みたいな顔をして。
どうもその指導者は全く他人の気持ちを察する事が出来ないようだった。その日本人女性やロシア人青年は見るからに真面目そうな人たちで、サボったりするようなタイプではなかったにもかかわらず、その彼らが何も判らず右往左往しているのを見てサボってると決めつけて怒鳴りつけるのだ、見ていて胸が痛んだ。
だが彼は、リトリート慣れしていて最初から上手く出来る修行者に対しては優しくしていた。
何も知らない初心者だけを怒鳴りつけるのだ。
普通は初心者に優しく教えて、慣れるにつれて厳しくなっていくと思うのだが?凄く理不尽な気持ちで一杯になった。
また更にその瞑想センターとは別のマハーシ式の瞑想センターでは外人の自殺者を出した。
何でもその自殺した修行者を指導していた長老はもの凄く攻撃的な上に口が悪く、毎日面接指導でその修行者をどやしつけていたのだという。
具体的にいうとその長老は、修行者たちに座る瞑想をしている1時間のうちにあった事を全部ノートに書かせて報告させるというやり方で指導していた。
しかしその修行者の報告は不十分で、長老は「それだけじゃないだろう!もっとあるだろう!何やってるんだ!ちゃんとやってるのか?」と声を荒げ、しかも口が悪いので余計な事まで言って傷つけていたという。
そのため修行者は怒鳴られないようにと毎日怯えながら1時間の事を全てレポートしていた。しかし長老は全くそれに満足する事なく「何度言えば判るんだ!話をちゃんと聞いてるのか?」と更に激昂した。
そんな面接指導が1週間、2週間と続くうちにその修行者は精神的に追い詰められて施設内で・・・・
これはその長老をよく知る人から聞いた話だ。その話をしてくれた人もまたその長老にさんざんとっちめられ、ひと月の滞在予定を1週間で切り上げてその瞑想センターを去った経験があった。そして事あるごとに顔をしかめながらその長老の異常さを語った。
攻撃的な指導者の正体
筆者が最初に行ったその瞑想センターでは、指導者の3分の1ぐらいはそのようなタイプの人々だった。
いや、この際はっきり言おう。彼らはそうだ、ある種の発達障害を持っている人々だったのだ。
集中が全ての集中没頭型瞑想は、目先の事に没頭し、周囲の事が何も見えなくなってしまうタイプの発達障害を持つ人々には、その生まれ持った能力を存分に発揮できる最高の方法となる。
彼らはこの瞑想を修行するために生まれたと言っても過言ではない。
だから集中没頭型の瞑想を修行するセンターには大概こういう攻撃的で癇癪持ちの指導者たちがいて、しょっちゅう修行者たちとトラブルを起こしている。
サイコパス研究で有名な脳学者の中野信子教授はマザー・テレサの事をサイコパスに分類している。
それが本当かどうかは判らない。しかし発達障害のある人がジャーナを使って悟ると、本当にサイコパスと言われてもしょうがないようになる。
そして指導も他の指導者から見たら信じられないような疲労の激しいものになったりする。
筆者の場合はその指導者から歩行瞑想をする時に一歩につき「足を上げたい、上げる、運びたい、運ぶ、降ろしたい、降ろす、足が床に触れる、踏みたい、踏む」と9か所もラベリングするよう言われた。一歩歩くたびいちいちこんな事をやっていたら疲れてしょうがなかった。
また極度にゆっくり歩かなくてはならないから、じれったくていつもストレスを溜めていた。
よく苛立って一緒に修行していたバングラデシュ人修行者やタイ人修行者たちと喧嘩したものだ。向こうも同じ事をやっているから同じように苛立っていたのだ。
そしてそれを違う指導者の面接の時に報告した時の事だ。違う指導者はそれを聞いた途端呆れた顔をして「何それ・・・?そんなんじゃ疲れるだろう・・・?」と言った。だから当然「疲れ果てました」と答えた。そしてラベリングを「上げる、運ぶ、降ろす」の三つだけに減らして貰った時の解放感といったら、まさに手枷、足枷、首枷、そして座敷牢から放たれたような気分だった。
また「仏教では怒りは禁じられているはずなのに何で指導者がそんなにも攻撃的なんだ?」と疑問に思われる方も居られる事だろう。
彼らはそんな時「悟ってる者が怒るのと、一般の人が怒るのとでは違う。一般人が怒ればそれは悪業となるが、悟ってる者は怒っても怒ってるうちに入らない」と言う。
だから法話の時は「我々が怒ったとしても、あなた方は怒ってはいけませんよ」などと全く説得力のない事を言う。
そんな事だから悟った人々はやりたい放題やる。
その法話の時にマイクの調子が悪くて上手く話せないとなると、直ぐ腹を立ててマイクを放り投げる。
或いは弟子が自分の元から独立して自身の寺を持ちたいと言い出せば、腹を立てて頭をひっぱたく。そんな事を堂々と信者たちが見ている前でやる。
だが別に彼らは悪気があってやっているのではない。ただ他者の気持ちを察したり、配慮のある言動をとったりする事が出来ないだけなのだ。
人前で堂々とやっているのではなく、周りの人々が見えないだけなのだ。
だから修行者の方はその辺の事を考慮して、何としてもトラブルになる事だけは避けておきたい。その指導者と合わなかったら他の所へ移ればいいだけの事なのだから。
彼らの中には驚異的な記憶力を持つ者もいる。
例えば知人のチェコ人の比丘は、凄まじいまでの記憶力でたちまちミャンマー語とパーリ語をマスターしてしまい、チェコ語とパーリ語、ミャンマー語の辞書を作った。
彼はアスペルガー症候群で日頃はかなり奇妙な言動をとり、人格すら疑われているのだが、生まれ持った記憶力を存分に活かして仏教界にそのような貢献をしている。
彼のお陰でチェコ人たちは母国語で仏教を学べるのだから。
そもそも仏教というのは漢訳阿含経典やパーリ経典が成立する以前は、ずっと口伝で伝えられてきたものだ。
ブッダ没後500年から1000年ぐらいは物凄い記憶力のいい人たちが教えを暗誦して後世に残していたのだ。
だからその頃は修行者たちはそのチェコ人のような鬼のような記憶力の持ち主にずっと支えられてきたに違いない。
それを考えると彼らの仏教への貢献は測り知れないものがある。
いや、これはミャンマーの仏教に限らず、日本の仏教でも伝説になっている無師独悟の聖者には、多かれ少なかれそのような「生まれ持っての性質」が無きにしもあらずだったと思う。
それは仏教のみならずキリスト教の方でも無師独悟の聖人たちがいるわけだが、やはり彼らはそのような「驚異の集中力」の持ち主だったと思う。
なぜならジャーナに入るなどという離れ業は常人には長年の修行なしで出来る事ではないのだから。
だからたとえ問題があったとしても、そのような事情があるからくれぐれも彼らの事を邪険に扱うべきではない。
瞑想の世界も学問やスポーツ、芸術の世界と同様、偉大と言われている人は・・・・・(カミヒトエ)なのだから。
ただしそういう聖者たちというのは、たとえ悟ったのが20代の時であっても、それから50年経っても60年経ってもずっと怒りんぼの「初段」のままで、二段三段と昇段し、怒りのない境地まで行ったりする事はないようだ。
そういう理由で集中没頭型の瞑想センターに行けば何処に行ってもそのような指導者がいるので、そういった事をよく心に留めておいて頂きたい。
もし攻撃的な指導者が苦手だという場合は、最初に瞑想センターをあちこち見学に行って、その中で一番白人さんたちが多い所を選ぶといい。
白人さんたちは絶対に攻撃的な指導者にはつかないので、白人さんたちが多い所というのは、攻撃的な指導者がいないという事を意味している。
さもなくばマインドフルネスの方に来ればいいだけの事。
こちらは集中力を使わないからそのようなタイプの人々は能力を発揮できず、つまらないので寄って来ない。
また、彼らが一番憎むのもマインドフルネス瞑想だ。なぜなら彼らにはコツコツと自分を見つめて悟るなどというじれったい事は一番苦手な分野になるのだから。
また、こちらの創設者は集中没頭型の方とは対照的に弟子たちに「指導する立場の者が怒ったら一般の人々も怒っていいものと思って真似をする。
だから悟ったのなら余計に怒ってはならない」と説いている。
その創設者は怒りのない境地まで行っていたため、その言葉には凄い説得力があり、弟子たちも真似をして決して怒らないように努めている。
それでも毎日毎日信者たちから土下座されて殿様のように持ち上げられ「長老様、今日の昼食は我が家で召し上がって下さい」と毎日毎日豪華な食事の接待を受けていれば、たとえマインドフルネスの指導者であってもブクブク太って思い上がってしまう事は避けられない。