【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#61】青い鳥を見つけた修行者

2025年1月4日土曜日

修行者列伝

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Uさん 日本人 20代 女性


C瞑想センターヤンゴン総本山


いわゆる「ビルメロ」のUさんがヤンゴンにあるマハーシ式のC瞑想センターを訪れたのは、2003年3月のこと。「ビルメロ」とは「ビルマにメロメロ」の略で、Uさんは、学生時代に旅行でミャンマーを訪れて以来、人々の優しさと親切さにすっかり魅了され、この国に深く惹かれるようになった。


「私ミャンマーバカだから、家に居る時はいつもロンジー穿いてるんです」


ロンジーとはミャンマーの民族衣装の巻きスカートのこと。ここまで来ると、もう完全にミャンマーの虜になっていると言っていい。



ミャンマーの民族衣装



「ミャンマーを旅していたら、どこへ行ってもみんな親切で、本当に楽しかったんです。それで、『どうしてこの国はこんなに生きやすいんだろう』って考えたら、やっぱり仏教の影響が大きいんだなと思ったんです。それ以外に理由は考えられないですよね。だから今回は、瞑想修行にチャレンジしてみようと思いました。」


Uさんは大学を卒業後、一度就職したらしいが、1年で辞めてしまったという。何か問題があったのだろうかと一瞬考えたが、恐らくそういうわけではないのだろう。では、なぜ辞めてしまったのか?その理由については、どうやらUさん自身に原因があったことが、言葉の端々から伝わってくる。


「日本って、生きづらいと感じることが多いんでしょうか。人間関係が本当に大変ですよね。いつも空気を読んで周囲に気を配らないといけないし。たとえば中国の人たちは、自分と合わない相手には遠慮なくガーッと言い合って、あとは気にせず無視するって感じじゃないですか。それってストレスが溜まらなくていいなと思います。でも、やっぱり一番素晴らしいのはミャンマーですよね。みんなが優しくし合う文化があって、本当に最高だと思います。」


Uさんはミャンマーに来るのは今回で3回目だそうだが、瞑想は初めてらしい。それでも、仏教への溢れんばかりの情熱を見せながら、教わるものには何でも、満面の笑みで楽しそうに取り組んでいる。宿舎にはUさんと同世代のネパール人女性とインドネシア人女性がいて、早速彼女たちと仲良くなり、いつも一緒に過ごしている。とても心強そうだ。





「何かひと月じゃ物足りない。せっかくだから、もっとここにいたい。」

そんなこともあり、Uさんは当初ひと月の予定で観光ビザで滞在していたが、それを変更して、一年ほどC瞑想センターに滞在することに決めた。そのため、一度タイに渡り、瞑想修行のためのビザを取得することにした。



精神崩壊のUさん




4月のヤンゴンは猛暑に見舞われる。日中の気温は40度近くに達し、夜も30度を超える熱帯夜が続く。このような厳しい環境の中、修行者たちは冷房どころか扇風機さえない部屋で就寝しなければならない。

さらに、この時期はミャンマーの正月にあたり、多くの熱心な仏教徒が新年の休暇を瞑想センターで過ごそうと押し寄せる。そのため、通常は100人程度で満員になるC瞑想センターも、この時期には400~500人もの修行者で溢れかえることになる。

宿舎には一部屋につきベッドが2つしかないにもかかわらず、そこに4人から5人を詰め込むうえ、瞑想ホールまでも宿泊スペースとして利用される。それまで広々とした空間で瞑想していた修行者たちは、一転してぎゅうぎゅう詰めの大混雑の中で過ごさなければならなくなる。さらに、猛暑で汗だくになった人々が多いため、あたりには学校の上履きのようなにおいが漂う始末だ。

このような正月期間は、4月7日または8日頃から23日または24日頃までの約2週間続く。そのため、できるだけこの時期にミャンマーの瞑想センターを訪れるのは避けたほうがよい。実際、この期間に訪れても超満員で入所を断られる可能性が高い。





「時間があったので、ラオスのヴィエンチャンまで行ってきました。」

そんなわけで、Uさんはミャンマー人たちから「タイに行ったら4月末まで戻ってこない方がいい」と言われ、その期間を旅行して過ごした後、再びC瞑想センターにやってきた。それほどしてまで戻ってきたということは、よほどCのことが気に入ったのだろう。





「コンタクトレンズで目の角膜を傷つけたみたいで、涙が止まらなくなったんです。」


だが、そんな時だった。Uさんは突然、思わぬアクシデントに見舞われた。目を負傷し、涙と鼻水が止まらなくなり、瞑想どころではなくなってしまったのだ。

そのため、Uさんは常にハンカチで涙と鼻水を拭き続けなければならない状況に陥ってしまった。何をする時でも、食事中でも絶えずハンカチで顔を拭きながら過ごさざるを得なかったのである。



C瞑想センターの大食堂



とはいえ、周囲に誰もいなければ気にせずに済むが、瞑想センターのような大勢が集まる場所ではそうもいかない。周囲の目を気にしながら常に溢れる涙を拭わざるを得ない。こうした状況が重なり、Uさんは目の状態だけでなく精神的にも次第に疲弊していった。


「あの人が私のことを笑っている。

あの人も、あの人も、

みんなが私を笑っている。」


そして、いつしかUさんは、誰もが自分の姿を嘲笑しているように思えてきた。誰を見ても自分に注目しているような気がしてしょうがなくなってしまった。何やら被害妄想のような思いが、絶えず心をよぎっている不安定な精神状態に陥ってしまったのだ。


「そうだ、早く病院に行かないと。眼科医よ。眼科医はどこ?」


そしてUさんはそんな不安定な精神状態のまま、眼科医を探してヤンゴンのダウンタウンへと向かった。



見つからない眼科医


ヤンゴンのダウンタウン



「オフタルモロジスト。眼科医は英語でオフタルモロジストね。よし、覚えた!じゃあ、一刻も早く町へ行ってオフタルモロジストを見つけなきゃ。」


そう決意し、止めどなく流れる涙と鼻水を拭きながらダウンタウンへ向かったUさん。しかし、不案内なこの町で眼科医を探すのは容易なことではない。仕方なく、道行く人に聞きながら見つけることにした。


「オフタルモロジストはどこにいますか?オフタルモロジストをご存じないですか?」


ダウンタウンに着いたUさんは、涙と鼻水を流しながら必死で声をかけ続けた。しかし意外なことに、誰も眼科医のことを知らない。どうしてだろう?ミャンマーには眼科医がいないのか?


「ああ、あの人も笑ってる・・・こっちの人も。みんな私を笑ってる。」


そんな疑念が頭をよぎる中でも、涙と鼻水は一向に止まらない。被害妄想も、止まる気配はなかった。


「なるほど、きみの言わんとする意味はだいたい見当がつきました。きみはこう言いたいのでしょう?『目医者はどこだ?』と。」




 

だが、その時だった。ようやく話が通じる相手が現れた。その人によると、「ボージョー・アウンサン・マーケットの前に行ってみろ」とのことだった。言われた通り、急いでそこへ向かった。


少数民族の民芸品から宝石などの特産品を扱う店まで
1800ものテナントが入ったミャンマー最大の商業施設、
ボージョー・アウンサン・マーケット



「よく考えたら、ミャンマーの人たちは英語がネイティブじゃないんだから、『オフタルモロジスト』なんて言ってもわかるわけないよね。こういうときは『アイ・ドクター』って言わなきゃダメだったんだ。」


ぶつぶつ呟きながら、教えられた場所へ向かってみた。すると、髭を伸ばした男性や、頭にスカーフを被った女性たちがやたらと多いエリアに着いてしまった。





「えっ、ここって・・・イスラム居住区じゃないの?」

なんということだ。教えられた通りに来てみたのに、そこは眼科医がいる場所ではなく、まさかのイスラム居住区だった。


「ああ、私は何という無駄な時間をつぶしてしまったのだろう。」

ハンカチで汗や涙を拭きながら絶望感に打ちひしがれたUさん。しかし、その時、ふと目に入ったのは一軒のメガネ屋だった。


「あっ、メガネ屋だ!そうだ、メガネ屋なら眼科医の場所を知っているかもしれない!」

そう思い立ち、早速その店に飛び込んで「アイ・ドクター」の居場所を尋ねてみた。

「それなら、このビルにいる先生のことだね。」

店員にそう言われて外に出てみると、ビルの2階に「眼科医院」の看板が見えるではないか。


「あった!眼科医だ!」

それだけではない。その通りをよく見渡してみると、なんと道の両側にメガネ屋が軒を連ね、20〜30軒ほども並んでいるではないか。しかもメガネ屋の上階に眼科医院が入っているビルもいくつかある。


「なんということだ!この通りはメガネ屋と眼科医院の街じゃないか!!」


ヤンゴンのダウンタウン中心部のイスラム居住区には、通称「メガネ屋街」と呼ばれるユニークな一角がある。Uさんはこの通りの存在を知らずに町を彷徨っていたが、幸運にもたどり着き無事に眼科医の診察を受け、薬をもらって帰ってきたのであった。





ケガの功名


「それで、面接指導の時に長老に『そんなわけで周囲の人の目が気になってしょうがない』って言ったんです。そしたら『だから、心が身体から出ないようにしろって言っただろう』って言われたんですよ。」


苦労した甲斐もあって涙も止まり、無事に瞑想修行に復帰できたUさんであったが、それでもまだ少し被害妄想が残っていた。それでそのことを指導者に話したら、今度はそのような言葉が返ってきたという。





実は私も、C瞑想センターに着いた時に最初に言われたのが、Uさんがその時に言われたのと同じ「心が身体から出ないようにしなさい」という話だった。これは前々回の第59話にも書いたことだが、Uさんも私も同じ長老から指導を受けていたから、同じことを言われるのは当然と言えば当然。




しかし、私はそれを「何をやる時も、常に気づいていなさい」という意味に受け取っていた。気づいている時は必ず心が身体内にあるからだ。そして、何かを見たり聞いたりする時は、気づきながら注意を向ければ、心が対象に持っていかれない。要は心の注意点を常に自分で持っていなさいという指導だと思っていたのだ。

「それで、みんなどうしてるか聞いたんですよ。そしたらルームメイト達も、いつも心の注意点が身体内にあるかどうか確認しながら生活してるって言ってたんです。だから私もそうしてます。」


ところがUさんは、長老に言われたことをそのまま受け取って、いつも心の注意点を身体内にキープするようにしていると言う。当然ながら、何かを見たり聞いたりする時は、注意点が対象に吸い込まれないよう、気づきながらやっているそうだ。


「そしたら、見事に止まったんですよ、被害妄想が。周囲の人の目が全然気にならなくなったんです。心が身体の内側にあると、何があっても他人の目が気にならなくなるものだと実感しました。本当にすごい体験でした。」


これは第59話の話の続きになるが、「心が身体の内側にあって、何かを見る時の視点を内から外に向ける」と、物事をありのままに見ることができる。一方で、心が身体の外に出て、そこから振り返るように外から自身を見ると、何を見ても自分を想像してしまう。それ故に「自分が何かを見ている」「自分が何かをしている」という考え方になり、自分と他人を比較したり、他人の目を気にしたりして苦しくなる。


実は、前々回この話を書いたところ、大きな反響をいただいてしまった。そのため、前回も「内側から外側への視点」にまつわるエピソードを紹介したところ、また多くの問い合わせをいただいた。だから、しつこく今回も同じテーマに関連する体験談をお届けしようと思っている。


それはいいとして、だからこそ、Uさんはこの時、心を常に身体内に置き、視点を内から外に向けることで、無敵になれる感覚を体験したのだ。

考えてみると、「常に気づいていようとすること」と「常に心を身体の内側に置こうとすること」は、同じ意味だと言える。なぜなら、心がどこにあるのか常に気づいていなければ、身体の内側に留めておくことはできないからだ。つまり、「常に今、ここにいろ」と言うのと、「常に心が身体から出ないように」と言うのは同じことをやるように言っているわけだ。


「心が自分の内側にあるときは、他人の評価を気にすることもなく、他人に嫌われないようにしようと考えることもなくなりますよね。それはとても良いことだと思います。私は普段、仕事で周りから嫌われないように気を遣ってしまい、そのせいで疲れてしまうんですよ。」


そんな風にUさんは、瞑想修行の恩恵をひしひしと感じ始めていた。



安全地帯




「私は学生時代から旅行が好きで、色んな国を訪れてきました。それは、世の中のどこにも自分の居場所がないと感じていたからです。居場所を見つけるための旅だったのですが、いくら探しても見つけることはできませんでした。しかし、最近になってようやく気づきました。こここそが自分の居場所だと。それは、自分自身の内側だったんですね。青い鳥は意外と近くにいるものだ、と改めて実感しました。」


幸せの青い鳥。Uさんは、自分の瞑想体験を記録するノートの表紙に、青いペンで太くそう書いていた。探し求めていたものをやっと見つけたようで、嬉しそうな表情を浮かべている。


「ここが安全地帯なんですよね。心をちゃんと自分の中にしまっておけば、他人に何を言われても全然気にならないし、もうここから離れられません。」


脚下照顧。探し求めていた安堵の場所は、実はあまりにも近すぎて、気がつけないところにあったのだ。

しかし、そうは言っても長い時間をかけて身につけた習慣は簡単には消えず、他人と接していると、どうしても相手にどう思われるかを気にしてしまう。その結果、心は身体から外へ向かい、つい外部から自分を見つめるような視点で自分を想像してしまう。そうなると、不安定な状態に逆戻りしてしまうのだ。


「だから、人と接する時には、必ず慈悲を持たなきゃいけないんですよね。ネパールの子が言ってました。『慈悲があれば、心は身体から離れていかない』って。嫌いな人にも慈悲を送るのは、正直抵抗があるんですけど、自分を守るためなら仕方ないです。」


「情けは人の為ならず」とはよく言うが、なるほど、慈悲を持って他者に接することは、その人のためではなく、実は自分のためでもあったのか。Uさんは、心をただ身体の内に収めておくだけでなく、それによって他のことにも気づいたようだ。


「結局、みんな自分を守りたいんだと思います。威圧的な態度で他人に接したり、圧迫面接で新人を追い詰めたりするのも、結局は舐められないようにして、相手を自分の思い通りに動かしたいからですよね。これって、いわば自分を守るための威嚇行為です。でも、大の大人たちがそんなことをやっているから、世の中がどんどんギスギスしていくんじゃないでしょうか?私はそういう接し方をされて嫌な思いをしたからこそ、絶対に他の人には同じことをしません。私は、慈悲の心を持って人と接していきます。」


Uさんの事情について私は何も尋ねなかったが、彼女はそんな感じで自ら語り出したのであった。


日本の味恋しさ


ヤンゴン国際空港



そんなUさんが帰国を決意したのは、そんな話をしてから数日後のことだった。本来なら4月末にタイで3か月のビザを取得して、それを延長して1年以上滞在する予定だった。でも、なぜか6月末になると突然「帰る」と言い出したのだ。


「もう満足したと言うか、やりたいこともできたし、日本の味も恋しくなりました」


どうやら彼女は、心を守る方法を身につけたことで自信を持ち、思い切って何かにチャレンジしてみる気になったようだ。


「ヒロさんは日本の食べものが欲しくなったりはしませんか?よく長い間日本の味から離れて平気でいられますね」


だがそんな時、彼女は唐突にそんなことを聞いてきた。えっ、マジ?まさか本気で日本の味が恋しくなって帰るってこと?違うでしょ?


「本当に食べたいものはないんですか?日本にいた時に好きだったものとか?」


意外なことにそんな理由で帰るのか???

そんなに恋しいものかね?日本の味が?そんなの1年ぐらい食べなくたって、どうってことないだろうに。私はUさんの帰国理由を知って、信じられない思いがした。

「お願いします。何か言ってください。何が食べたいですか?」


まあ、そこまで言われたら、答えないわけにはいかない。だから私は、『別に欲しいわけではないけど、朝食でお粥を食べたときに梅干しを思い出す』とか、『水のシャワーを浴びた後に、小学生の夏休みに毎日プールに行って、帰りに駄菓子屋でラムネを飲んでベビースターラーメンを食べたことを思い出したりすることはある』と、まあ、それくらいかなと伝えた。

そして、何だか少しがっかりした・・・それぐらいのことで修行を止めてしまうなんてもったいないからだ。

しかし、Uさんは思い立ったら吉日ではないが、それからの行動は早かった。あっという間に航空券を予約し、帰国の準備を整えてしまった。それからミャンマーに何の未練もないかのように、本当に満足しきったような晴れ晴れとした表情で、爽やかにC瞑想センターを去っていった。

一方の私は、すっかりシラけたような気持ちになった。それでも、よく考えればUさんは、瞑想を初体験でいきなり3か月も修行したのだからすごい。普通なら、初心者のうちは一日中瞑想を続けるだけでも飽きてしまうものだ。それを3か月も続けられたということは、生真面目な性格の上、よほど乗り越えたい苦しみがあったのだろう。そして念願通り安全地帯を見つけた。その達成感は間違いなく大きかったはずだ。

Uさんはよくやった。そうだ、やっぱりすごいじゃないか!私は何とかそう思い直そうとしていた。


Uさんからの差し入れ


カリカリ梅



日本からわざわざ紙袋に包まれた差し入れが届いたのは、それから半年が経った頃のことだった。その頃はC瞑想センターには、このシリーズ第2話に登場するS氏がいて、ちょうどヤイノヤイノとやっている最中だった。




「Uさんと一緒に、東京のミャンマー語教室で勉強している者です。彼女から預かってきたものがあります。」

在日ミャンマー人女性と結婚したというその日本人男性は、正月休みを利用して奥さんの里帰りに同行した際、Uさんからの差し入れを届けるために、C瞑想センターまで足を運んでくれたのだった。

えっ!Uさんはお元気ですか?

突然現れたUさんの使者に、私はすっかり度肝を抜かれてしまった。

「Uさんは今、旅行代理店で働いていますよ。」

彼女は帰国後、ミャンマー語の勉強を始め、仕事も大好きな旅行関係に就いたようだ。なるほど、彼女らしい選択をしたと思った。

彼女の近況を聞きつつ、肝心の差し入れの袋を開けてみた。すると中にはカリカリ梅、ベビースターラーメン、そしてラムネ菓子が!




 

その瞬間、不意に半年前のUさんとのやりとりが脳裏に蘇った。

――そういうことだったのか・・・!

やっぱりUさんは、日本の味が恋しくなり帰ったわけではなく、本当にやりたいことをやるために帰ったんだ。そうか、執拗に聞いていたのはこういうことだったのか・・・・・・・・・





使者の男性が去り、私は水のシャワーを浴びた後に、ベビースターラーメンをポリポリつまみながらふと思った。

あの時はC & Cのことを忘れていた・・・





C & Cとは、東京の新宿〜八王子間を走る京王線という私鉄の、大きい駅の構内にあるスタンド式のカレー屋のことだ。私はそこのカレーが大好物なのだが、どうせならそれを食べたいと言っておけばよかったなぁ・・・という思いでいっぱいになったのだ。

あれは、レトルト入りもあったもんな・・・





なぜなら、Uさんも私も同じ沿線に住んでいて、そのあたりの話題で盛り上がることが多かったからだ。そして、彼女とその話をするたびに、私は C & C の味を思い出していた。

でも、あの時に限って忘れていた・・・

普段は日本の味への欲望など全く湧いてこない私であったが、一度刺激されたらそれは止めどもなく湧き上がり、気がつけばいつまでもなにやら後悔する羽目に陥ってしまっていたのであった。



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  最終更新日 2023.12.31

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